第三十八話「新人従業員」
劇場の衣装は、並べられていると、もはや、色とりどりのカーテンにしか見えなくなった。
無数にある衣装をチェックして、傷や綻びを見つけたら、部屋に持って行ってトルソに着せつける。
そうすると、ようやく「衣服」である事が認識できた。
であるが、縫っても縫っても、仕事が終わらない。
エミルは、劇場での仕事の他に、町に店も構えているので、出かけても、自宅である部屋に戻っても、一定時間は、針仕事を続けなければならない。
異国の僧のように「無心」になる事を心がけてみたが、その内にそれは無理だと悟った。
それから、「衣装を繕ってほしい時は、舞台で使う一週間前までに、申し出ること」と言う決まりを設けた。
使用人として、劇場の部屋を借りている身とは言え、そのくらいの「人間らしい注文」は、劇団員にも受け入れてもらえたのだ。
そんなわけで、エミルは、部屋にいる間も、演劇の台詞と、オーケストラの音楽を聞きながら、チクチクと針を動かす毎日である。
大きな事件に巻き込まれる事も無く、平和と言えば平和だ。
新しい住所に構える事になった新店舗では、接客係を雇った。
受付を守って、客に必要な書類を書かせ、商品の受け渡しをする役目の人物だ。
エミルの目に留まったのが、ルカ・シュミットと言う、二十一歳になったばかりの青年である。
面接の場で、彼は言った。
「貴方の店で、真面目な受付係として働けます。簡単な丈直しや、レースの叩きつけを直すくらいの裁縫技術もあります。
家が商家なので、金銭感覚はしっかりしています。お客さんの無理な値切りに応じない、胆力もあります。それから、字が綺麗だと言われます。読みやすく、分かりやすい書類を作る事が出来ますよ。
お茶の淹れ方も、母からしっかり教わりました」
成人したばかりなのに、出来る事をしっかりと言ってくれる所が、好印象であった。
面接の合格を告げた時、ルカは非常に安心したと言う笑みを浮かべ、「貴方の仕事に協力できることを、嬉しく思います」と述べた。
後は、その弁舌の力が、実際の能力に見合って居たら良いのだ。
ルカを雇ってから一ヶ月。エミルの店は順調に仕事が運んでいる。
エミル本人が居なくても、依頼はどんどん入ってくるし、ルカは「その日の仕事に必要な道具と商品」を、事前に用意してくれている。
これは、劇場の部屋にいるより、居心地が好いかも知れない。
後は彼が、お茶にミルクを入れ過ぎる癖を直してくれれば、完璧なのだが。




