第二十七話「ブラントの仕立屋」
騒がしい表通りから、少し路地に入ると、「ブラントの仕立屋」と言う看板がある。
エミルは、その店の戸を叩き、扉を潜った。
仕立て上がったばかりの真新しい商品が、トルソに着せられて並んでいる。
どの布地にも、微細で美しい刺繍が施されていた。
「あら。エミルじゃない」と、ふくよかな夫人が声をかけてくる。「夫が待ってたわ」
「久しぶりだね、パウラ。フランツを呼んでくれるかい?」
「ええ。断る理由がない」
そう受け答えて、職人の妻は二階に夫を呼びに行った。
階段を降りてきたフランツは、姿勢の良い痩せ気味の老人だった。白髪で、分厚い眼鏡をかけているが、その神経質な指先は、一片の誤りも無く糸の芸術を紡ぎ出す。
「久しぶりだね、エミル。例の件かい?」
「ああ」
そうやり取りをすると、フランツは妻の方を見た。
パウラは視線を察し、「お茶を淹れて来るわね」と言って、二階への階段を上がって行く。
妻の姿が完全に見えなくなり、台所の扉を開け閉めする音を確認してから、フランツは囁き声で切り出した。
「あの怪盗なら、世の騒動の前に、私の店にも来たよ。堂々と、『アンゼーエン』と言うサインを残して行った」
「その時に、商品の受け渡しをした人物は、どんな姿だった?」
「女性だ。ブルネットの髪で、緑色のドレスを着ていた」
「それも、変装だろうか?」
「いや。明らかに女性だった。喉に張り出しも無かった。手も、爪の様子も、働いた事のない婦人のものだった」
それを聞いて、エミルは息を吐いた。
「私の所に来たのは、最初は老婆。次に、青年。しかし、どちらのサインも同じ筆跡だ。これを見てくれ」
エミルは、胸ポケットに入れてきた、サインの描かれた書類と、伝票を見せる。
フランツも、受付の後ろにある棚から、用意していた書類を取り出した。
「夫へのプレゼントとして、刺繍入りの上着を仕立ててほしいと言う依頼だった」
そう言いながら、フランツは書類を見せる。
其処には、男物のジャケットを仕立てるために必要な、身体のサイズの情報が書かれていた。
「警察にとっては、重要な情報になりそうだな」と、エミルは呟く。「しかし、私達にとっては、意味のない情報だ」
「コルネリアを尋ねるか?」と、フランツは言い出した。「彼女なら、『読める』はずだ」
「そうしよう」
そこまでやり取りをすると、二階の扉を開ける音がした。
「パウラ! 茶は良い! 出かけてくる!」と、フランツは見た目に似合わない大声を出した。




