第二十二話「酔いの回らない伝聞紙」
細かな黒い組木と白壁の家々の間を、安い酒の臭いをさせた酔っ払いが歩いている。
彼の布質の良い上着はボロボロだ。
彼は繕い屋のドアを開ける。
「仕事持って来たぞぉ!」と、ドラ声が響いた。
エミルは眉間に皴を寄せ、「その上着を直せと?」と聞いた。
酔っ払いは嬉しそうに笑み、「分かっているな」と言う。
この奇妙な酔っ払いはフリードリヒと言う。度々、泥酔して、同じ酒場に居た者と喧嘩をし、多くの場合は負ける。
その時に傷んだ服を繕わせるため、エミルの店を訪れるのだ。
エミルは、本人ごと持ち込まれたスーツの上着を、裏返して作業台に乗せた。
ボタンを引き千切られ、引っ張り回されて所々ほつれている。
エミルは静かに繕いを始めた。
チクチクと作業を進めている間に、客は椅子の上で眠り込んでしまった。
エミルは、修復が出来上がった所で、スーツの上着の肩を、ポンポンと叩いた。
再現されたのは、フリードリヒが仕事をしているシーンだった。
記者として働いているフリードリヒは、上司に「こんなものは売れない」と罵られ、書き上がった原稿を突き返された。
「もっと人目を惹く記事じゃなきゃならん」
「それでは、現実の声が届きません」と、フリードリヒは言い返す。
上司の言葉はこうだ。
「現実はどうでも良い。みんな、伝聞紙の中に夢が見たいんだ」
意識を覚ましたフリードリヒに、エミルは水差しのサービスを与えた。
フリードリヒは水を飲んでから、「何が見えた?」と聞いてくる。
「エーヴィヒ社が腐敗した理由が」と、エミルは答えた。
少し酔いが醒めたフリードリヒは、言えなかった愚痴をこぼす。
「だろうな。伝聞記者が幻想を書いてどうする」
エミルはこう答えた。
「私も、最後に薬品パーティーについての話を読んだよ」
「最後に、か」と、伝聞記者は呟き、エミルさえもエーヴィヒ社を見限ったのだと知った。
もう一口水を飲んでから、「俺も辞める」と言い出した。
「エーヴィヒは、もう信用できん」
その言葉を聞き、「貴方の気がそれで済むなら」と、答えた。
「気は済まない」と、フリードリヒ。「新しい社を作る。『酔わない世』を届ける紙を発刊するぞ!」
そう決意した伝聞記者は、礼金を払い、繕いあがった上着に袖を通した。
フリードリヒは、意気揚々と繕い屋を出て行った。
その後、フリードリヒが総監督をした伝聞紙が世に出る事になる。
その紙面を読んで、エミルは確かに「酔いの回って居ない世界」を見たような気がした。




