第十九話「擦り切れたフリル」
朝六時。エミルは振り子時計の音で目を覚ます。昨日眠ったのは二十三時だった。
睡眠時間は工場労働者より短いが、彼の体質的に疲労を取るには充分だった。
ストーブの火を熾し、お湯を沸かす。お茶の準備をする傍ら、フライパンを温め、チーズとブレッドを一切れずつ焼く。
食器籠の中の皿とカトラリーナイフを取り出し、布巾で磨いて曇りを取る。
磨いたばかりのナイフで、溶けて香ばしい香りをさせ始めたチーズを、その隣でこんがりと焼けているブレッドに乗せる。
フライパンに残ったチーズの脂は、ブレッドの焼き面で拭きとった。
チーズの滴りそうなパンを皿に移して、じっくりと蒸らした陶器のポットから陶器のカップへ、輸入品の紅茶を淹れた。
誰を持て成す事も考えて居ない、一人用のテーブルに皿とカップを持って行き、食べ始めた。
カトラリーを使っていないが、手づかみでも食べこぼしはない。
腹を満たした後は、食器を真鍮のシンクに置き、手を洗ってタオルで拭いた。
壁に貼ってある表を指で辿って見る。そこには、一週間分の仕事の予定が書かれている。
今日は、ドレスの修復の続きが一点だ。擦り切れてしまった縁のフリルを直してほしいと言う依頼だった。
昨日のうちに仮縫いまでしておいたものだ。
受け渡し日は三日後。今日中に本縫いを終わらせておけば、一日くらいは時間ができるだろう。
仕事を待つ日に成ってしまった一日で、エミルは店舗の隅々まで清掃をした。
羽の房をつけた埃取りで棚の隙間を叩き、窓を格子まで一つ一つ細かくクロスで拭く。
作業台やテーブルを念入りに磨き、床にモップをかける。
その時に成って、床の隅に布切れが落ちているのを見つけた。
以前直したドレスの、擦り切れたほうのフリルだ。
何となく、それを作業台に乗せる。何時もの癖で、ポンポンと布を叩いた。
バイオリンの音色に合わせて、フリルは鮮やかに床すれすれを舞い踊る。
蝶のように舞うフリルは、時々スカート布を鬱陶しそうに蹴り上げた。
あのドレスの持主は、随分と情熱的なお転婆のようだ。
後日、ドレスの受取日が来た。
静々と、淑女の仕草で受け取りに来た女性は、ブロンドと青い瞳を持った物静かそうな女性だった。
この女性が、あんな荒らかなダンスを踊るとは、と、エミルは意外に思った。
礼金を受け取り、紙袋に入れたドレスを渡すと、女性はあくまで淑女の仕草で帰って行った。
笑気ガスパーティーの話が世間で話題になるのは、いずれの事である。




