第十二話「子羊のグローブ」
古びた子羊のグローブが、作業台の上にある。
皮の質感は荒く、人差し指の先に一ヶ所、目立つほつれがあった。
内側からほつれを繕って、補修用のクリームを塗りこんだ。余分なクリームを布で拭い、馬毛のブラシで埃を取る。
道具を片付け、真新しくなったグローブを、軽く叩いた。
誰かが身に着けているようにグローブが膨らみ、宙に浮いて行動を始める。
壁に向かって片手で何かを構え、もう片手でつまみを回しているような仕草をしている。
暫くそうしてから、つまみを回して居た手が、扉を開けた。
そこまで再現してから、手袋はぽとりと作業台の上に落ちた。
一体、何の再現だったのだろう。
グローブを取りに来たのは、まだ少年のような青年であった。
「親方のグローブを、受け取りに来ました」と、青年は言う。
名前を確認し、商品を見せると、「はい。それです」とのことだ。
受け取りのサインを求めると、申込時と同じ筆跡で、すらすらとサインを書いた。
礼金を支払い、商品を受け取って、青年は笑顔で帰って行った。
エミルは何となく腑に落ちないものを感じた。
伝聞紙に、「世間を騒がす怪盗の襲来 王室の危機」と、見出しが銘打たれている。
その伝聞紙に乗っていた写真を見て、エミルは頭の中が冷たくなった。
写真には、一枚のカードが写っている。
くるくると円を描く花文字を、つい先日も見たような気がする。
保存してあった依頼品の書類を見て行くと、それはあった。
円を描く花文字で、「アンゼーエン」と記されている。
その「N」の文字が、写真に写っている物と一緒なのだ。
何故、世紀の大怪盗は、敢えて「分かってしまうサイン」を書いたのか。
一介の繕い屋に、サインの筆跡を知られてしまっても、大丈夫だと思ったのだろうか。
そもそも、あのグローブを持ってきたのは、あの青年だっただろうか。
エミルは悶々とした気持ちを覚え、書類を留め針から外すと、作業台の上に置いた。
「このグローブを、お任せしたいのですが」と、老婆の声がする。
「子羊の革ですね」と、エミルの受け答える声。
「はい。人差し指の先に穴が開いてしまって」
「ああ、確かに。その他に直す所は?」
「全体の革の傷みの補修を、お願いします」
「畏まりました」
その会話を聞いて、エミルは改めて思い出した。
しわがれた声を出していたが、この老婆の声質は、先日の青年の物とそっくりだ。
事件に関して沈黙する事にしたエミルの下に、警察組織から依頼が来るのは後日である。




