自信喪失
トルコ イスタンブール チャムルジャタワー。トルコの国花チューリップをモチーフとし、マルマラ海とボスポラス海峡、トルコの街を見下ろせる369メートルのタワーだ。2021年5月にオープンし、トルコのシンボルとなっている。
タワーの上部、細い棒の頂上で潮風に吹かれながら立っている一人の男――ジンがいた。
「ククク……最高の景色だ。ついさっきこの国も俺様の物になった」
目を細めながら回転するように歩き、周りを見渡した。
「これだから、星喰いは止められねえ」
気持ちよさそうに手を広げたところで、一滴の黒粒がジンの足元に落ちた。そして、驚くことに黒粒が妖しい声を発した。
「ジン、どこまで終わったのかしら? マドレーヌはあと南極だけよ」
「おっ。俺もあとはヨーロッパだけだ」
「あら、結構速いのね。まあ、リュカオーン星の時から分かっていたのだけど」
「まあな、強欲を舐めるなよ」
「そうね。貴方のおかげで、岳斗とシャルルを回収出来たわ」
「パインも中々人形作りが上手えな。本物かと思ったぜ! ……つうか、俺の人形、あまりにも雑魚すぎねえか? ジェシカの炎に食いついて、焼かれるって、いくらなんでもバカにし過ぎだぜ!」
「貴方の印象を薄くしたかったの。少しでも気づかれないようにね」
「やれやれ……強くして、最後まで残らせた方が良かったんじゃないか? まあ、最も俺様の能力を再現できるのは俺様自身だけだがな!」
「あらぁ……。すごい自信ね」
「ワハハハッ!」
ジンが笑いながら、周りを見渡した。
「にしても、この星は美味えぜ! 料理大星と命名したいもんだな、ククク。で、そっちはどうだい?」
「こっちも順調よ。貴方がお偉いさんたちをたくさん地下に引き摺り込んだおかげで、身代わりスライムから有益な情報を手にしたわ。念の為に、アニーも世界中の植物や動物に寄生して、奴らの動きを筒抜けにしてるわ」
「へえ、そりゃ良かったぜ。上手くいけば、敵さんの懐に入り込めるって訳だ」
「そうね。後はウィルソンたちとボスね。上手くやってくれると良いんだけど……」
「ククク、寂しいか?」
「フフフ、そうね。光がボスを警戒してるから仕方がないんだけどね。というわけで引き続き頑張ってね」
そう言うと黒粒が蒸発して、霧散した。
「さて、次の地点に行くか。何処にすっかな……?」
西の方を向いて、涎を一滴垂らした。
「イタリアにするか。美味え飯もあるしな、ククク」
黒いゲートを出して、その中に入った。すぐに黒いゲートが音もなく消えた。
世界の終わりまであと47時間36分。
マサさん、タクマ、おひさ、英一郎と日向たちはそれぞれの家や店に戻って行った。残った十次郎
と新吾は澤宮一家やゼロ、ジョーと焼きそばを食べることにした。エリスは精神体なので、食べることは出来ない。
「それにしても……どえらい話になっちゃったな、十次郎」
「新吾ぉ……。俺ぁ、あと数日で世界が滅びるなんて、信じられねえよ」
「まあ、ここまで来たら岳斗たちを信じるしかねえぜ」
北三郎たちの暗い雰囲気を吹き飛ばすように、ジョーが叫んだ。
「素晴らしいッ! 麺のソースが具材と絡んで、食欲がそそられる……マダムの料理は芸術ですな! 舌が喜んでいる!」
「あらぁ、ありがとう〜」
「やれやれ、ジョーはこんな時でもいつも通りだな」
「フッ……ボス。私は傲慢さ。どんな時でも慌てないジェントルマンなのだよ」
「ククク、俺も良い部下を持ったもんだ」
昼食が終わり、ゼロが立ち上がった。
「岳斗、俺と戦え」
「えっ?」
「光は俺と同じ……それ以上かもしれん。となると、少なくとも俺に勝てるようにならなければいけねえって訳だ」
「そうか……そういうことならやってやるか。すぐにぶっ飛ばしてやらあ!!」
岳斗も立ち上がって、大部屋にある武器を装備した。邦子も慌てて立ち上がった。
「えっ、今? 今は暑いんじゃない?」
(大丈夫だ! 俺の魔法で冷やせばいい)
「あっ、そうか。シャルルは魔法使いなのね」
(ああ。じゃあ、行ってくるぜ)
「うん! 無理はしないで」
ラグナロクまであと47時間02分。牧場を歩く岳斗とゼロの前にエリスが現れ、白いゲートを出した。
「さあ、入ってください。裏世界なら、どんなに暴れようが、表世界に影響はありません」
「おおっ、サンキュー」
裏世界に入ると、途端に生気の匂いが途絶え、死の匂いが漂う。
「んあ……人間だった時には感じなかったが、匂いが違うな」
「死者の魂が彷徨う世界……今の俺にとっちゃ、落ち着く場所になってしまった。ククク……」
「では、私は一旦表世界に戻ります。夕方になったら、再び現れましょう」
「わかった」
エリスが白いゲートの中に入って、消えた。それを見届けて、ゼロが黒いゲートから剣を取り出した。
「さて、始めるとしようか」
「ああ」
(岳斗! 俺も手伝う)
「ああ。頼りにしてるぜ、相棒」
心の中の相棒に呼びかけながら、双剣を抜いた。そして、地面を力強く蹴った。
ラグナロクまであと43時間32分。白いゲートが開いて、エリスが現れた。そこには無傷で立っているゼロと全身に切り傷を刻みながら、地面に倒れている岳斗がいた。満身創痍のようで、肩で息をしている。
「来たか、エリス」
「成程、その様子だと貴方の圧勝ですね」
「あぁ……だが、単純に俺が強いわけではない」
ゼロが岳斗を鋭く見据える。
「こいつらの連携に迷いが生まれている」
「迷いですか?」
「ああ。よくよく思い返したら、岳斗は俺に追い詰められた所まで、シャルルはマカロフにホムンクロスだと明かされて、自分が魂を集める駒でしかなかったと判明した所で記憶が途切れているはずだ」
「……ッ!」
「岳斗、シャルル。どうやら、貴様らは自信を失って、負け犬と成り果てたようだ」
そこまで言って、岳斗に背を向けた。
「今のお前と戦っても時間の無駄だ。仕方ない、世界の終わりを見物するとしようか」
「ま、待て……!」
岳斗の声を気にも留めず、黒いゲートを出した。中に入って、すぐゲートも消えた。
「くっ……! くそぉ……!!」
拳を地面に叩きつけて、辛酸を舐める岳斗。突然白いオーラが岳斗を包み込み、傷を一瞬で消し
た。
「あっ……エリス」
エリスの方を振り向くと、ちょうど突き出した手を戻す所だった。
「岳斗、シャルル……分かっているとは思いますが、世界を救えるのは貴方達しかいないのです。この世界を生かすも殺すも貴方次第……。期待外れだろうがなんだろうが、私たちは貴方に願う事しか出来ません」
そこまで言って、エリスも背を向けた。そして、白いゲートの中に入った。
しばらく地面に横たわったののち、起き上がった。ゲートを潜って、玄関へと足を踏み入れる。居間の扉を開いた瞬間、黄金色の妖狐獣人がいた。書類やノートをテーブルに広げて、書類に何やら書き込んでいるようだ。腹よりも太い尻尾の上で紅葉たちが気持ちよさそうに寝ていたが、岳斗に気づいて、駆けつけた。
「兄様ぁ〜! おかえりッ!」
「あっ、岳斗君! おかえり〜!」
「よう、紅葉、向日葵、桜。シャルルと合体したからか、お前の言葉が分かる……む? あんたは……」
髪型や顔つき、体型がるり子に似てるような感じがしないでも無い。
「いや……仙にも見える。まさか、るり子?」
「うん。エリスさんに妖力を底上げしてもらったら、こーんなモフモフなコンちゃんになったのよねぇ〜!」
半袖Tシャツから豪快に飛び出した首毛に手を突っ込む。手が最も容易く埋まったのを見ながら、これ以上なく嬉しそうな顔を浮かべた。尻尾を大きくリズミカルに振り始める。
「ほお〜、嬉しそうだな。俺もその気持ち分かるぜ!」
(俺は最悪の気分だがな……)
「るり子の尻尾気持ちよかったぜ!」
「モフモフぅ〜!」
「本当か!? 良いなぁ〜」
「兄貴、てめえだってモフモフで太い尻尾持ってるだろ」
と、るり子が尻尾に手を突っ込んで、能で使う若女のお面を取り出した。立ち上がって、お面を高く掲げた。尻尾は長く、尻尾の先から足元まで10センチほどである。
「シャシャ、よくも俺に人間をやめさせたなーーーーーッ! 貴様にも人間を辞めさせてやるッ!」
(んなっ? 俺の愛称か?)
「いや、荒橋留美彦先生の代表作『シャシャの奇妙な巡行』の主人公の名前で、本名は射乙女乱紗。四千年間の歴史を持つ中国拳法の頂点に立つ射手神拳の73代目の息子で、74代目当主に相応しい拳士となるべく修行を一日たりとも欠かさねえ。ある曇りの日、呪湯郷に来たシャシャは白髪を逆立てた管理人に案内され、数百種類の泉に立てられた無数の竹が立てられている場所で修行をしていたが、そこに耳に三つのほくろがある貧乏英国少年ディゴー・ブランディアが乱入したぜ。シャシャを泉に落とそうと飛び蹴りしたが、躱されて、自分が泉に落ちた。泉から這い出てきたディゴーは吸血魔になっていたのだッ!」
(何だってッ!?)
「ディゴーが落ちた泉は吸血鬼溺泉ッ! 動きが早くなって、シャシャを別の泉に落とした。そしたらシャシャは女になったッ!!」
「娘溺泉ッ! それは! 作中で一番有名な泉ッ!」
るり子が腰を斜めに捻りながら右腕を前に出して、指を岳斗に差した。岳斗も右手を腹に添えて、深くお辞儀した。
「イグザクトリー。そこから二人は宿敵であり、親友の関係になったのだ」
(奇妙な関係だな……。なんで、そのドラキュラ少年はシャシャを狙ったんだよ?)
「73代目は世界を駆け巡って、雲隠れしてる。73代目を倒せば、73代目がスイス銀行に預けている莫大な財産が全額自分の物になって、他の様々な恩恵も受けられるんだぜ。シャシャとディゴーは世界中を旅しながら、時にお互い闇討ちしたり、出し抜いたり、出し抜かれたりするって訳だ。世界中の拳士たちもそれを狙ってて、少しでもライバルを減らそうとシャシャたちに襲いかかるのを返り討ちにするのが、この漫画の基本的な流れだな」
(ほへえ〜。壮大な話だな)
数十分後。書類仕事を終えて、仕事部屋の棚に片付けたるり子。居間に戻ってくると岳斗と北三郎がテレビを見ていた。北三郎は向日葵と桜を膝に乗せた胡座の姿勢で日本酒を飲んでいる。岳斗は胸に紅葉を乗せて、テーブルの下で横になっている。るり子がテーブルの横に座った。
「母ちゃんも仕事が終わって、今お風呂だぜ」
「あっ、そうなの? 北さんは入りました?」
「ああ。岳斗はまだだな」
「るりさん、先に入っていいぜ」
「わっ、ありがと……あれ? そういえば、モフモフだから水吸っちゃうんじゃない?」
放射状に大きく膨らむ尻尾を掴んで、軽く揉んだ。
「あっ……そういや、そうだな。でも、魔法使うにしても、裸を見るわけにはいかないしな」
「なら、私が乾かしましょう」
台所の方から声がする。と、扉をすり抜けて、エリスが姿を現した。
「エリスさん!」
「私も神術……魔法みたいなのを使えます。普段の暮らしで役立つのもたくさんありますよ」
「お〜! ありがとぉ〜!!」
と、浴室の方からドアが開いて、邦子が出てきた。
「ふ〜。良い湯だったぁ! どっちが入る?」
「あっ、私です!」
るり子とエリスが浴室に向かう。ドアが閉まるのを見届けて、岳斗が口を開いた。
「るりさん……戦うつもりなんだろうか?」
「うん……。私たちも止めようとしたんだけど、せっかく力を得たんだから岳斗とシャルルが戦っているのに、指を咥えて見てられないって言ったの」
「るりさんがそんなことを……」
「確かに岳斗もシャルルも私にとっては大切な人。流石に言い返せなかったわ」
「ん……」
窓の向こうの牧場を見る。昼と違って、闇に覆われた牧場は全てを飲み込みそうな風景に見える。
「今エリスが妖術の使い方を教えてるんだとさ。初歩的な攻撃妖術と治療妖術はマスターしたみてえだ」
「へえ〜。随分上達が早いんだな。仙の魂を継いだってのもあるかもしれねえが」
「そうかもね。エリスも最大限サポートするって」
「そうか、俺も俺で頑張るぜ」
紅葉たちが岳斗の前で座って、真剣な表情で岳斗を見上げた。
「るり子もそうだが、兄貴も生きて帰ってこいよ」
「あたし、まだまだ岳兄に甘えたいんだから!」
「兄様、るり子をよろしくね」
「ああ、もちろんだ! 絶対に全員生きて帰ってきてやる!」
(俺もやってやるぜ! なんたって、岳斗の相棒を名乗ってんだからな!)
さらに数十分後。るり子とエリスが居間に現れた。
「エリスのドライヤー、気持ちよかったぁ〜」
Tシャツや半ズボンから飛び出した首毛や手足、尻尾や顔全体が艶々でふっくらした毛並みになっている。
「んあ……っ!? おぉ……」
岳斗が思わず顔を赤くしながら立ち上がる。同時に立ち上がった邦子がるり子の首毛に顔を埋め込んで、匂いを吸い込んでいる。紅葉たちも負けず、尻尾に抱きついた。
「あぁ〜! あぁ……モフモフだぁ」
「まるで毛布みたぁい〜!」
「この尻尾、とろけるな……」
「温かいねえ〜! 向日葵と桜にも負けないモフモフっぷり!」
「あははっ! 邦子さん、みんなも可愛い!」
「ぐっ……いいなぁ」
「尻尾とか、天国だろうな……」
「ふふっ。触りたそうな顔してるね〜」
るり子が少しいたずらそうな笑顔を浮かべる。 岳斗と北三郎の心情を察して、シャルルのテレパシーが響いた。
(おい、岳斗! エロ親父も! いくらるり子が絶品な絨毯でも、レディの体触るなよ!?)
「ば……バカ言っちゃいけねえよ! 俺だってなぁ……良識くれえあるぜ!? なぁ、親父!」
「あ、あぁ……! 俺だって良い歳したおっさんだぜ!」
(はいはい。俺の魔法であれくらいの出来に仕上げるから、岳斗は気が済むまで自分の尻尾に抱きつけば良いだろ。北三郎は首毛と上半身、肉球とか存分に触って良し! 特別中の特別だぞ、変態野郎共!)
「おぉ〜。さすがシャルル様!」
「ちぇ、野郎かよぉ〜。まあ、ありがたくモフらせて頂くぜ」
尻尾を大きく振りながら、ワクワクした足取りで浴場に向かう岳斗だった。
湯で満たされた白い浴槽で足を伸ばす岳斗。上に飛び出たイルカ尻尾を左右に揺らしながら、物思いに耽っている。
「シャルル……」
(なんだ……? まあ、言いたいことは何となく分かる)
「あぁ。俺……よく生きて帰って来れたな」
(そうだな……。お前は覚えてないかもしれんが、俺と加那江がツォンに負けそうになった時、お前が別空間から壁を破って、飛び出たんだ。それで、ツォンとマカロフを撃破した。すぐに復活したがな)
「何っ!? 俺が?」
(お前、暴走してたんだ。目が赤くなって、マズルも伸びてた)
「何……? でも、ゼロは生きてる。俺をツォンのところに行かせたのだろうか?」
(うーん、あり得るかもしれん。ゼロもツォンを倒そうとしてるしな)
「ん…………」
(で、暴走した原因は分かるか?)
「えと……ゼロが俺に向かって手をかざした瞬間、何故か八年前の記憶が溢れ出して、そこからは記憶が無え」
(成程。どうやら、お前のトラウマを突いたようだな)
「トラウマか……」
(奥底に隠された想いを無理やり引き摺り出して、お前の戦闘能力を高めようとした)
「でも……それでも勝てなかった」
(……)
俯いて、黙る二人。体を沈めて、顎まで浸った。
「俺……勝てるかな?」
(わからん。しかし、勝たなきゃいけねえ)
「あぁ、分かってる……。分かってるんだがな…………」
それきり、二人とも再び無口になった。




