とんでもないことになりました
私は視線を逸らした。
ちょうど、大広間の中央では王太子がセシリアへ手を差し出していた。
楽団がワルツを奏で、白いドレスがゆっくりと動き出す。
絵になる二人。
原作通りの光景。
それを見て、私は冷静さを取り戻した。
「イヴァン様」
「何だ」
「一年前のことは、もう終わったことです」
今度は、できるだけ柔らかく言った。
「私はあなたに恩を売ったつもりもありませんし、これから何かを求めるつもりもありません」
「俺が今、お前と話しているのは、恩を返したいからではない」
「……では、何のためです?」
だが、答えを聞くよりも先に、後ろから声をかけられる。
「失礼いたします、アスティメイラ嬢」
振り向けば、見覚えのある青年が立っていた。
彼は確かーーロッシェル伯爵家の令息だ。
「ごきげんよう、ロッシェル様」
柔らかな栗色の髪に、穏やかな笑顔。
いかにも育ちの良い貴族令息といった青年だ。
彼は私へ一礼すると、少し申し訳なさそうにイヴァンへも頭を下げた。
「ハインリヒ公爵、ご歓談中に失礼いたします」
「ああ」
イヴァンの返事は短かった。
明らかに愛想はない。
けれどエドワードは気にした様子もなく、再び私へ向き直る。
「アスティメイラ嬢。よろしければ、私と踊っていただけませんか?」
「あ……」
そうだった。
社交界へ正式に出るということは、こういうことでもある。
舞踏会で誘われ、何人かと踊り、話をする。
その中から親しい相手ができることもあるだろうし、家同士が気に入れば縁談へ発展することだってある。
今までなら、面倒だと思ったに違いない。
けれど今夜は正式なデビューの日だ。
一曲くらいは踊っておいた方が無難だろう。
「ええ、喜んで――」
「待て」
そう言って、イヴァンが私の腕を掴み、私はもちろんエドワードまで目を見開く。
「……イヴァン様?」
イヴァンは私ではなく、エドワードを見ていた。
「すまないな。俺が先に申し込んでいるんだ」
「……はい?」
思わず素の声が出た。
「……そうなのですか?」
エドワードが驚いてこちらを見る。
「いいえ!」
「そうだ」
私とイヴァンの声が重なる。
私はゆっくりイヴァンを見る。
エドワードは私たちを交互に見たあと、どうやら何かを察したらしく、一歩下がった。
「では……私はまたの機会に」
「いえ、ロッシェル様、違うんです。別に私は――」
だが、言い終わる前に爽やかな笑顔を残し、逃げられた。
(絶対に誤解されたわ……)
私はその背中を見送り、それからイヴァンへ向き直った。
「何をなさっているんですか!」
「何が?」
「『何が?』じゃありません!どうして勝手に断るんです?」
「あの男と踊りたかったのか?」
「……そういう問題ではなくて――」
「お前は、ああいう男と結婚するのか?」
あまりにも突然で、私は瞬いた。
「……はい?」
「貴族令嬢なら、いずれ結婚するのだろう?」
「まあ……そうですね」
家を継ぐのは弟のランスに決まっているし、特別な事情がなければ、いずれは誰かと結婚することになるだろう。
「良い方がいれば、いずれは?」
「良い方というのは?」
「……えっと、そのままの意味です。家同士も問題がなく、穏やかな家庭を築ける方……でしょうか」
「それは、貴族としての意見だろ?お前は、どんな男が好きなんだ?」
「……え?」
(どうしてそんなとを聞くのよ……)
私は不審に思いながらも、無視するわけにもいかず私は少し考える。
ーー財産。
ーー地位。
ーー容姿。
もちろん、どれも良いに越したことはない。
けれどーー。
「……私を尊重してくださる方、でしょうか」
自然と、そんな言葉が出た。
「無理に何かを押しつけたりせず、お互いに自分の人生を持ったまま、自然体で一緒にいられる方がいいです」
イヴァンは黙っている。
「……なぜそんなことを聞くんです?」
「この一年、俺にも縁談は山ほど来た」
質問には答えず、彼は別の話を始めた。
それは、意外な話ではない。
帝国屈指の家柄であり、若く、顔も……すごくかっこいい。
しかも王国最強と呼ばれる聖騎士団長でもある。
放っておかれるはずがない。
「……それはそうでしょうね」
「だが、顔も覚えていない女がほとんどだ」
「……それは少し失礼なのでは?」
「会う前から、向こうが欲しいものがわかっていたからな。覚える価値もないと思った」
「……」
「ハインリヒ公爵家の夫人の地位、公爵家との繋がり、領地、王家への発言力ーー。本人より父親の方が熱心な家も数多くあった」
それは、あの夜ーー彼が言っていた世界そのものだった。
誰もが何かを望んで近づいてくる。
だから、人が無償で他人を助けるなど信じられない。
「別に、それが悪いとは思わない。むしろ、それが当然だと思っていなしな」
「……ずいぶん合理的ですね」
「だが、お前は、俺が何者かわかっていながら、何も求めず去っていった。誰と結婚しても同じだと思っていたが、お前だけは違う」
(……なんだかーーすごく嫌な予感がするのは気のせい?)
「アスティメイラ嬢」
「……はい」
「俺と結婚してくれ」
「はい……?」
理解が追いつかなかった。




