原作通りに進めたいんです!
私は薔薇園の入口を見る。
ーーセシリアはまだ来ない。
(セシリア……何してるの!?)
あと少し。
本当にあと少し待てばいい。
原作では、彼女が来るんだからーー。
(私は関わらない!私は脇役!)
その時ーー、イヴァンの身体が大きく揺れた。
「イヴァン様!」
膝が落ちる。
ミレイユが咄嗟に肩を支える。
ーー重い。
ーー重すぎる。
「しっかりしてください!」
「離せ……」
「離したら倒れますよ!」
「……俺に、構うな」
「嫌です!」
ーーつい、強い声が出た。
イヴァンが僅かに目を開く。
「……なぜだ」
「はい?」
「なぜ……俺を助けようとする」
(確かにーー)
そんなこと、考えていなかった。
「……目の前で人が倒れているからーーですけど?」
「……それだけか?」
「それ以外に何がありますか?」
「お前、俺が誰かわかっているんだろう」
「……ええ、まあ」
「なら……」
イヴァンが苦しそうに息を呑む。
「ハインリヒ公爵家に……借りを作れる……いい機会じゃないか」
「……」
言われて私は少し驚いた。
そんな状態でも、真っ先に出てくる考えがそれなのか。
「助ければ、見返りがあるから……だろう?」
「……」
私は、初めてーーイヴァン・ハインリヒという人間を見た気がした。
聖騎士団長でもなく、未来の冷酷公爵でもない。
ただ、誰かが自分へ手を差し出した時には、必ず何か理由があると思っている青年の姿。
「……なるほど」
私は小さく呟いた。
「それで、私が助けていると思っていらっしゃるんですね」
「……違うのか?」
「違いますね」
「……では、何が欲しいんだ」
「何も?」
イヴァンの目が細くなる。
「……そんなはずはない。……何も望まず、他人を助ける人間などーーいない」
ーー『人の心を持たない怪物』
原作で、後に彼へ向けられる言葉。
でも、もしかしたらーー逆なのかもしれない。
人の心を持っていなかったのではなく、人の心というものを、誰にも教えてもらえなかっただけなのかもしれない。
(それならーー)
私は彼の腕を自分の肩へ回した。
「じゃあ、今日、初めて会えましたね」
「……何?」
「何も望まずに助ける人間に、ですよ」
「……」
「立てますか?」
「お前は……」
「何か言いたいなら、あとでお願いします」
身体中の力を込めて、どうにか彼を立たせた。
「……まずは、人目につかない場所へ移動しましょう」
「……何が目的だ」
「まだ言います?」
「貴族が、何の利益もなく他人を助けるはずがない」
私は少し笑った。
「随分寂しい世界に生きていらっしゃるのですね」
イヴァンの足が止まった。
「……何?」
声が低い。
「い、いえ……」
「今、何と言った?」
「忘れてくださいませ」
「言え」
「……寂しい考え方だと申しました」
「俺を哀れんでいるのか」
「それは違います」
私は即座に否定した。
「ただ、勿体ないと思っただけです」
「何がだ」
「世の中には、見返りを求めず親切にしてくださる方もいらっしゃいますのに。最初からいないと決めつけていたら、一生見つけられないでしょう?」
「……」
それだけ言って、私は歩き出した。
イヴァンは何も言わなかった。
少し離れた場所に、大きな木がある。
どうにかそこまで連れて行き、木の影になる場所にイヴァンを座らせる。
「ここなら雪は凌げますね」
「……」
「私は人を呼んできます」
「ーー待て!」
腕を掴まれた。
「……誰を呼ぶ気だ」
「宮廷医です」
「駄目だ」
「どうしてです?」
「俺に毒を盛った人間が……宮殿内にいるんだ」
「……」
(確かに。それもそうか)
言われてみれば当然だ。
「では、聖騎士団の方をーー」
「ダメだーー。今夜、誰が敵かわからない」
「……」
困った。
どうしたものか。
(だからーーセシリアは一体、どこで何してるのよ!)
聖女なら毒を浄化して弱められるが、私に出来ることは何もない……。
「……」
イヴァンの息がまた乱れ始めた。
まずいーー時間がない。
「イヴァン様」
「……」
「少しだけ、待ってください」
「……何を……する気だ」
「あなたを死なせない方法を考えます」
「なぜ……」
また、同じ質問。
(いい加減うんざりしてきたわね)
「自分のためです!」
「何?」
「ここであなたを置いて帰ったら……、明日から、鏡を見るたび嫌な気分になりそうですもの。だから、あなたのためではありません」
「……」
「私が、私を嫌いになりたくないだけです!」
しばらく黙って、それから不意に、イヴァンが笑った。
「……変な女だ」
「初対面の女性に対して失礼ですよ」
「……では、名前を……言え」
「嫌です」
私が即答すると、イヴァンから笑みが消えた。
「なぜだ……」
「これ以上関わりたくありませんもの」
「意味がわからない」
「わからなくて結構です!」
(絶対教えない)
イヴァンはじっと私を見た。
そしてーー自分の右手の親指から指輪を抜いた。
黒曜石に、銀の狼が描かれた、ハインリヒ公爵家の紋章。
それを、私へ差し出した。
「持っていけ」
「何でしょう?」
「……家紋の印章だ」
「見ればわかります」
「これを……見せれば……ハインリヒ家は……一度だけ、お前の要求を聞こう」
私は目を瞬いた。
「金でも……領地でも……構わない」
私は慌てて首を横へ振った。
「いりません」
「……」
「怖いので仕舞ってください」
「……受け取れ」
私は指輪を彼の掌へ押し戻した。
「……では、ひとつだけーー今、願いを聞いて下さい」
イヴァンの目が動く。
『ほら見ろ』ーーそんな顔だった。
「今日のことは、どうか忘れてくださいませ」
「……」
想定していた答えではなかったらしい。
「……それが望みか?」
「はい」
「……」
ーーその時だった。
「誰か……いらっしゃるのですか?」
女性の声に、私は勢いよく振り返った。
金色の髪に白いドレス。
胸元に輝く聖印。
(来た……!)
ーー聖女セシリア。
本来、この場所にいるべき人だ。
「ーーこちらです!!」
私は手を上げた。




