第八話 食堂と昔話
風呂を上がる頃には、宿泊棟の食堂も朝の喧騒を帯び始めていた。
焼きたてのパンの匂いと、食器の触れ合う音。
巡界士達の談笑が飛び交う中、空いた席へ腰を下ろしたグレイヴは、己の空腹をようやく、だがしっかりと自覚した。
「…腹減った」
へたりと行儀悪くテーブルに懐くグレイヴに、二対の呆れの視線が向けられる。
「そりゃそうだろ。お前、昨日の晩も食ってねぇんだし」
「食事は健康維持に欠かせない要素だ。疎かにするな」
「…むぐ」
反論の余地はない。
「何か適当に持ってくる。座ってろ」
「そこまでじゃねぇよ」
「良いから。…ルシエルも適当に見繕ってきていいか?」
立ち上がろうとするグレイヴを制し、ルシエルに問う。
「構わんが…」
「じゃあ、こいつ見張っててくれ」
身を翻すレオンを見送り、ルシエルはグレイヴの隣に腰を下ろす。
「随分、世話を焼かれているな」
どこか呆れを含んだ声に、グレイヴは顔を伏せたまま居心地悪そうに身動いだ。
「……昔、あいつと一緒にいる時ぶっ倒れたことあるんで」
「見習い時代か?」
そうっす、とグレイヴはのろのろと顔を上げる。
「見習い研修の三年間、同じ班だったんすよ」
アイツ面倒見いいから班長任されてて、と懐かしそうに笑って再び顔を伏せる。
「問題児だらけで、支所でも歴史に残る悪ガキ班って有名だったっす」
「…それはさぞかしレオンも苦労しただろうな」
ルシエルのしみじみとした言葉に、グレイヴは肩を震わせた。
「……最終的に一番ヤバいことすんのアイツっすよ?」
「人聞き悪いこと言ってんなよ、お前」
絶妙なタイミングで戻ってきたレオンが、片手では支えきれない量の朝食盆を、もう片方で押さえつつ胡乱げな目を向ける。
「腹減らしてるからって、急いで戻ってきたってのにお前は…」
「さすが班長」
「うるせぇよ」
どかりとテーブルに置かれた朝食は、明らかに五、六人分を超える量だった。
ルシエルはわずかに眉をひそめる。
「……多過ぎるだろう」
「「え?」」
二人に驚いたような目を向けられ、ルシエルは一瞬押し黙る。
「三人で食うならこれくらいいるだろ?」
レオンは少し考えてから、手早く料理を取り分けていく。
ルシエルの前には、おおよそ普通の成人男性一人前分を乗せた皿が置かれた。
「これで足りるか?」
「十分だ」
「ルシエルって少食なんすか?」
「……少食ではない。必要量は摂っている」
次いで取り分けられた二人の皿を見て、ルシエルは「食べ切れるのか…?」と半ば呆然と呟く。
「食いきれねぇ量持ってこねぇよ」
「余裕」
「……そうか。なら、いい」
周囲では朝食を取る巡界士達の話し声と、食器の触れ合う音が絶え間なく響いている。
焼きたてのパンの香りに混ざって、スープの湯気がゆるく漂った。
どこか釈然としない顔のまま、ルシエルはようやく自分の皿へ手を伸ばす。
対してグレイヴは、会話が終わるより先に分厚いベーコンと焼きたてのパンを手当たり次第に口へ放り込んでいた。
掻き込むような勢いなのに、パン屑一つ散らさないあたりが妙に器用だ。
瞬く間に皿の上から料理が消えていく。サラダやスープも平らげたグレイヴに、レオンが自分の皿の野菜をそっと押し付けた。
「おはよー。ここ空いてる?」
軽い声と共に盆がテーブルへ置かれる。
見上げれば、ラフな白シャツ姿のセインが、一見爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
「別にいいぞ」
レオンが答えると、セインは当然のように空席へ腰を下ろしかけ──グレイヴの皿へ、しれっと殆どの野菜を押し付けているレオンを見て目を瞬かせた。
「何してるの」
「………食わせてる」
「野菜だけ?」
セインは、グレイヴの皿の上にじわじわと築かれていく緑色の山を見て、引き攣った笑みのまま眉を寄せた。
「嫌がってないの?」
問われたグレイヴは、口いっぱいにパンを詰めたまま首を傾げる。
どうやら気にしていないらしい様子に「グレイヴがいいなら良い…のかな?」とセインは苦笑する。
「そいつ何でも食うし」
「君が言うことじゃないよね?」
レオンは悪びれもなく肉へ齧り付き、グレイヴは押し付けられた野菜を当然のように処理していく。
その様子を見ていたルシエルが、静かにため息を吐いた。
「偏食を正当化するな」
「してねぇって」
「してるよね」
口の中の物を全て飲み込んで、グレイヴが口を開く。
「ちょっとでも食うようになっただけマシ」
ようやく胃が満たされてひと心地ついたのか、満足そうにふぅ、と息を吐いて続けた。
「昔は肉しか食わなかったし」
「おい、語弊のある言い方すんな」
レオンが顔を顰めて、肉を咥えたまま抗議する。
「間違ってねぇだろ」
「いや、俺だって普通に野菜食ってただろうが!?」
「あぁ、そうだったな。──無理矢理口の中に突っ込まれて、涙目で咀嚼してたな」
一瞬、テーブルに妙な沈黙が落ちた。
「……え、ちょっと待って。それ、どういう状況?」
セインの爽やかな笑顔が、今度は僅かに引き攣り始める。
「野菜を残すと拘束された」
グレイヴはテーブルの中央に備え付けられていたガラスのピッチャーから、自分のコップへなみなみと水を注ぎ、一口飲んだ。ほんのりと爽快なレモンの香りが鼻腔を抜ける。
「誰が拘束されてたって?」
「レオンが」
「誰に?」
「……班の女子二人」
当時を思い出したのかグレイヴは遠くを見つめる。
「…俺は普通に食ってたから横で見てただけだけど」
「止めないんだぁ…」
「口挟んだら怖ぇもん」
妙に実感のこもった声だった。
「ほっんと薄情だよな」
「お前だって俺がアイツらに連行されても知らん顔してただろうが」
「ありゃ引き篭もるお前が悪い」
即答だった。
「……なんかよくわからないけど、大変だったんだねぇ」
「主に俺がな」
「お前も大概だっただろ」
「いや、でも今の話聞く限りじゃ、レオン結構苦労人じゃない?」
「……そもそも、肉だけで腹満たして栄養失調になったから強制摂食になったんだぞ」
「え」
セインの笑顔が固まった。
「おま…っ!それは言うなよ!」
「本当に問題児しかいなかったのか…」
ルシエルが呆れたように呟き、レオンは露骨に顔を顰めた。




