第四話 昇級
セインに連れられ訪れた3Fは、まるで図書館の様相だった。
壁際全面の天井まで届く棚にも、通路を区切るように等間隔に並ぶ、人の背丈程の両面棚にも隙間なく本が詰められている。
見上げた先まで、背表紙の列が途切れない。
整然と並ぶそれらは、ただ積まれているのではなく、誰かの手で積み重ねられてきた“知”の層そのもののようだった。
通路の奥まで同じ光景が続いている。
乾いた紙の匂いがわずかに揺れ、足音がやけに遠くまで響いた。
「すげぇ……」
思わず零れた声。自分でも気づかないまま足が止まっていた。
視線は勝手に棚を辿り、背表紙を一冊ずつ追いかけてしまう。
きらきらと目を輝かせるグレイヴに、同じく立ち止まったセインは「意外だね」と驚いた表情を浮かべた。
「意外って何がだよ」
先程の「ノミ発言」の所為か、セインに対するグレイヴの声には険がある。
「グレイヴって本とか読まなそうじゃない」
「バカにしてんの?」
ぴくりと眉が跳ねる。
「違う違う。感覚的っていうか、理屈すっ飛ばして本能で動いてそうっていうか」
悪びれる様子もなく、セインは言葉を重ねた。
「やっぱバカにしてるだろ」
「いや、褒めてるんだって」
「ど こ が だ よ」
言葉に圧が籠る。
「なんで伝わらないかなぁ」
心底不思議そうに首を傾げるセイン。その後ろに、スッと人影が差した。
気配無く現れたそれに、グレイヴは目を見開く。
直後、セインの脳天に向けて、容赦なく分厚い本の角が振り下ろされた。鈍い衝撃音が静かな書庫に響く。
「言い方を考えろと何度言わせる気だ」
「──痛ぁい…!」
頭を抑えて呻くセインを気に留めることなく、人影はグレイヴに向けて「すまないな」と詫びを口にする。
さらりと伸びた金の髪から、尖った耳が僅かに見えた。
「……いや、あんたが謝ることじゃないっすけど…」
「なかなか指導が行き届かなくてな」
「なんか、大変っすね…」
「わかってくれるか」
「っす」
しみじみと頷き合う二人の横で、セインが「そんなおかしな事言ったかなぁ?」と頭をさすりながら言う。
「だって、本ばっか読む奴ってさ、いちいち理屈っぽくなるじゃない?ルシエルみたいに」
今度は、乾いた綺麗な音が書庫に響いた。ルシエルが手にした本が、再びセインの脳天にしなやかに叩きつけられたのだ。
「痛ぁ!ちょっと!話は最後まで聞いてよ!」
「一言多いんだ、貴様は」
金地に青が混ざった不可思議な色の瞳が、鋭くセインを睨む。
続きがあるなら聞いてやる、と腕を組むルシエルに、セインはグレイヴを見る。
「ほら、さっきの解析の時もさ、君、色んな説明吹っ飛ばして結果だけ言ってたでしょ?」
言われ、グレイヴはそうだったか、と首を傾げた。
「だから直感?で動いてるっぽいなって。んで、そういう人ってあんま本読むイメージないでしょって話」
一理あるかもしれない、と納得しかけた時──。
「それに何より、見た目が本読まなそう」
「…やっぱコイツ嫌い」
口をへの字に曲げてセインを一睨みしてから、グレイヴはルシエルを見上げる。
「ここの本って読んでも良いんすか?」
「後で好きなだけ読むといい」
期待に目を輝かせるグレイヴに苦笑混じりに告げると、ルシエルは本棚の奥へ向かって歩き出した。
「先に本題を済ませよう。こっちだ」
「本題?」
「昇級の手続きだ」
そのためにセインに呼びに行かせた、とルシエルは息を吐いた。
「昇級っすか?」
「元々、能力が高いと報告は上がっていた。その上で今回の件が決め手になった」
不満か?と問われ、グレイヴは「まさか」と首を横に振る。
「ありがたいっすね」
「なら、いい」
笑みすら浮かべたグレイヴの即答に、ルシエルは満足気に頷いた。
「けど、昇級手続きって受付でするもんじゃないんすか?」
今まではそうだったけど、と目を瞬かせるグレイヴに「三級まではね」とセインが応じた。
「二級以上は特別任務とか仮所属の問題もあるから、副支部長クラスの認証と手続きが必要なんだよ」
と先を行くルシエルを指差す。
「……副支部長」
驚きはあったが、不思議と納得のほうが大きかった。
並ぶ本棚の間を抜けていく。
規則的に続いていた通路の先には、半ば隠すように一枚の扉が設けられていた。
「認証盤の管理端末はこの先に置いてある」
扉を開いた先には、外の蔵書空間とは対照的に簡素な執務室が広がっていた。
壁際には書類棚と、認証盤を横にいくつも繋ぎ合わせたような大型の管理端末。中央には、来客用らしい黒い革張りのソファとローテーブルが置かれているだけだ。
ルシエルが迷いのない足取りで壁際の管理端末へと向かう。
「グレイヴはこっち。座って座って」
セインがソファーの背を叩きながら、グレイブを呼んだ。
遠慮しても仕方がないと、グレイヴは素直にソファーに腰掛ける。
ルシエルの指が端末の上を滑り、端末の画面がいくつも切り替わる。
「じゃあ、籠手外して」
セインが言って手を差し出す。
「なんで?」
「手続きに必要なんだよ」
そんな警戒しなくても、とセインは苦笑する。
「三級までは簡易更新で済むが」
と、ルシエルがちらりとグレイヴを見やって口を開いた。
「二級以上は特別任務権限、所属明記、指定地区移動許可……制限領域の認証解除が入る」
淡く光る盤面へ指先を滑らせながら、ルシエルは続ける。
「安全上、簡易同期では処理できん」
「あー……なるほど」
納得したように頷き、グレイヴは左の籠手を外してセインへ預けた。
「はい、じゃあこっちにセットするね」
受け取ったセインが、籠手を端末にセットする。
盤面に次々と文字が羅列されていく。
◆氏名
グレイヴ
◆階級
三級巡界士(昇級認証待ち)
◆所属
未所属
◆現所在登録地
ブラガンデ共和国 レゾナ支部
◆巡界士登録地
フィネル王国 エルオン支所
◆依頼引受状況
0件
◆依頼実績
一級受注件数/達成件数 0/0件
二級受注件数/達成件数 7/7件
三級受注件数/達成件数 18/18件
◆巡界履歴
フィネル王国エルオン支所
フィネル王国バルザ支所
フィネル王国ニール支部
…
…
…
ヴェルディエ帝国クーラント支部
ヴェルディエ帝国シュスール支所
ブラガンデ共和国レゾナ支部
1F認証盤で表示される情報よりも数段多いそれに、グレイヴは「へぇ、ここまで記録されてるのか」と驚きと共に呟く。
最後に“昇級認証・一部制限解除を行いますか”“はい・いいえ”と表示され、ルシエルが迷わず“はい”を選択すると淡い光が籠手の紋様を走った。
その瞬間。ピピピ、と小さな警告音と共に、盤面が赤く点滅する。
ルシエルはグレイヴをじとりと見据える。
「……お前、何か弄ったな?」
「え、あー……ちょっとだけ?」
ルシエルが端末へ向き直り幾つか操作すると、赤い警告表示は消えた。
「収納術式の一部が変更されている」
「取り出し遅かったんで」
「容量も増えている」
「少ねぇっすもん」
「勝手に支給品を調整するな」
ルシエルは僅かに眉を寄せ、一瞬だけ部屋の隅へと視線を向ける。
何かを確認するような間の後、再び端末へ向き直った。
「…軽度だから今回は不問にするが、過度な改造は処罰対象だ」
処罰と聞いてグレイヴは瞬く。
「マジっすか」
「支給時に説明されているはずだが?」
支給された当時の記憶を探ってみるが、改造するなと言われた覚えはない。──ただ。
「……分解するな、とは言われたっす……」
グレイヴの返答に、ルシエルは眉間を押さえて「それは一切弄るな、という事だろう」と息を吐いた。
「本来、そう簡単に弄れるものではないのだがな」
「収納って結構簡単に書き換えられるっすよ?」
端末上に表示された調整痕を見ながら、ルシエルは目を細める。
「魔道具技師でもない限り、普通はせん」
「俺、技師免許持ってるっす」
「……どおりで常識が通じない」
技師連中ときたらこんな奴らばっかりだ、と特大のため息を落とすルシエルに、グレイヴは首を傾げた。
グレイヴの様子に「とはいえ」と、ルシエルは端末へ視線を戻しながら、言う。
「現場側の改造案が正式採用されることもある。実際、今の正規機能にもそうした調整の積み重ねが反映されている」
──ピン。
小さな音が鳴ると同時、籠手の紋章の光が落ち着く。
端末から籠手を取り外し、グレイヴに手渡しながらルシエルは渋面を作る。
「だからといって勝手に弄っていい理由にはならんがな」
「う」
「せめて事前に報告をしろ」
籠手を装着しながらグレイヴは「……気を付けるっす」と頷く。
拳を握ったり開いたりして感触を確かめつつ、紋章を確認する。円を断つ一本線。その色が黄色へと変化していた。
「……これで二級、か」
ぽつりと零したグレイヴに、ルシエルは「ああ」と頷いた。
「本日付で、お前は二級巡界士だ」
その言葉は思った以上に重く響いた。
三級とは違う。
任されるものも、背負う責任も。
「で、ここから半年はレゾナ支部預かりね」
「……は?」
間の抜けた声を上げたグレイヴに、セインがけらけら笑う。
「俗に言う仮所属ってやつ。二級以上に昇級した巡界士は、その手続きを行った支部か支所で、一定期間活動しなきゃいけない決まりなんだよ」
「聞いてねぇ…」
「今言ったからね」
因みにレオンも今預かり中なんだよ、と続いた言葉に、先刻の「好きで選んだわけじゃねぇ」という言葉を思い出し、グレイヴは妙に納得した。
「宿泊棟の上層階に部屋を用意してある」
「……上層階?」
「所属者用区画だ。説明は向こうで聞け」
一拍置いてルシエルは続ける。
「……書庫に関してだが、そこで読む分には好きにして構わん。貸出したければ私に言え。支部敷地内ならば許可する」
「──マジっすか!?」
本日一番の勢いで食いついてきたグレイヴに、ルシエルはほんの僅かだけ、形の良い唇の端を緩めた。
「わかっていると思うが、破損汚損は厳禁だ」
「勿論っす!!」
力一杯応えてグレイヴは踵を返す。
扉を開けたところでくるりと身体ごとルシエルに向き直り「あざっした!」と一礼して飛び出していった。
初回は五話同時投稿です。




