第三話 レオン
階段を上がるにつれて、空気の密度が変わっていくのがわかった。
1Fの喧騒はもう遠い。
音が妙に抑えられている。防音処理でもしているのか、足音すら吸われるようだった。
2Fに到着した瞬間、その違いははっきりとした形になる。
静かだった。
無音ではないが、必要な音だけが存在しているような、不自然な整い方をした広い空間。
円形に近い構造の中央に、大型の魔導投影盤が設置されている。
空中には複数の立体図形が浮かび、波形と文字列が重なり合いながら流れていた。
壁際には机が並び、数人の巡界士が黙々と作業をしている。
その中に──見知った顔があった。
「よぉ。久しぶりだな、グレイヴ」
軽い声。
緊張感の欠片もない調子で手をひらひらと振っているのは、無駄に色気を漂わせた黒髪の獣人。
「レオン?」
驚きに目を見開くグレイヴに、レオンの狼耳がぴくりと立ち、黒い尻尾がゆらりと揺れた。
「……お前がいるのは聞いてねぇんだけど」
「今仮所属中なんだよ」
ニヤリと笑うレオンに、グレイヴは小さくため息をついた。
「また面倒そうなとこ選んだな」
「好きで選んでねぇけどな」
短い掛け合い。
それだけで、この空間の空気が僅かに緩む。周囲の巡界士たちが一瞬だけ視線を寄こし、すぐに作業へ戻る。
レオンはそれを気にする様子もなく、顎で投影盤を示した。
「船の件、上がってきてる」
細かい線が交差して形取られたエンリット号が空中に表示される。その模型図の中で緑に光る点をレオンは指差す。
「これがお前な」
そして船の左側面。海面部から急速に接近する、巨大な紫色の光の塊。
「こっちが『船喰』だ」
紫の光から、幾筋もの激しい線状の光波が放たれる。おそらく雷撃を表したものだろう。が、その大半が、ある一点に吸い寄せられるように収束し、海面へと落ちていく。
直後、緑の点が紫の光の上を激しく飛び跳ねるように動き回り、やがて紫の光はたまらず船から離れていった。緑の点が船へと戻ると、立体映像はまた最初から再生され始める。
「へぇ、よく出来てんな、これ」
「今回は船側の航海ログが生きてたからな」
レオンは肩をすくめたが、視線は映像に向けられたままだ。
「で、だ」
レオンは軽く指を弾いた。
投影が切り替わる。
結界ログ。
被害推定。
通常討伐基準。
それらが一瞬で並べられる。
「この規模、三級単独で処理できる想定じゃない」
その言い方に、グレイヴは軽く鼻を鳴らした。
「出来たんだからいいだろ」
まぁな、と苦笑し、レオンは赤い瞳をグレイヴに向ける。
「いいけど、不可解な点が多すぎるってことで補足解析になったんだよ」
「不可解?」
首を傾げるグレイブに、レオンは「たとえば」と映像を操作する。
表示されたのは、紫の光から放たれた線が一点に集中された場面。
「ここに雷撃が集中したのはなんでだ?」
「そりゃ、集めたから」
事も無さげに答えるグレイヴに、レオンは渋面を浮かべた。
「どうやって」
「ん」
左手の籠手。その紋章から金属製の槍を一瞬で抜き出し、レオンに押し付ける。
「何だこれ?」
「槍」
「それは見りゃわかんだわ」
「同じもん投げた」
一拍置いて「あー」と眉を顰めたレオンが問う。
「なんか雷引っ張った感じか?」
「そう」
「槍投げただけでそんな上手くいくか?」
押し付けられた槍を吟味する様に眺めていたレオンが、柄の一部を指す。
「この刻印なんだ?」
「スイッチ」
端的過ぎる答え。だがレオンは慣れたように次の質問を投げる。
「何の?」
「熱源」
「は?なんで?槍に熱源?」
レオンは首を捻る。
「火を使わずに熱を出す実験」
「んなもんどうすんだよ?」
レオンは更に首を捻る。
「色々使える」
その色々が聞きてぇんだがな?とレオンは苦笑する。
「スイッチ入れてみても良いか?」
「良いけど、気を付けろよ」
「おう」
刻印に触れる。小さな駆動音。
そして──。
「……熱ッ!」
レオンは思わず手を離す。
音を立てて床に落ちた槍をグレイヴは拾い上げ、刻印に触れる。
「だから気を付けろって言ったじゃねぇか」
「どう気を付けるか言っとけよ…」
レオンは肩を竦めた。
その拍子に僅かな金属音を拾って、グレイヴはレオンの肩口へ視線を向ける。
「……お前、コートの金具緩んでるぞ」
「あ?ああ…これか」
武装コートの肩当てを固定している金具が僅かに浮いていた。
「なんか音すんなぁとは思ってたんだよ」
「左に負担かける癖治ってねぇのな。…後で直してやる」
「助かる」
会話の温度感そのままに、レオンは再び投影盤へ向き直った。
「話、戻すぞ」
立体映像の時間を少しだけ進める。次いで表示されたのは、一点に収束された線が海面に落ちた場面。
「お前が叩き落としたんだな」
「うん」
「で、雷撃の殆どが海面に拡散した、と」
手元で何かしらの操作をして、ふと気付いた様にレオンがグレイブに問う。
「よく初撃のタイミングわかったな」
「魔法と同じだ。発動前に“空気が揺らぐ”」
その言葉に、周囲が止まる。──が。
「あー、あれか」
レオンは当たり前の様に納得して頷いた。
「んじゃ次」
再び映像が動き出し、紫色の光の上で緑の点が飛び跳ねる画面で止まる。
「これは何してた?」
「雷出すとこ狙ってた」
「なんで?」
「雷出せなくなったら、ただのデカブツだろ?」
「確かにな」
ふむ、と頷きレオンは映像に視線を向けた。
その時。
「そこで納得しちゃうあたり、レオンも大概あれだよね」
不意に背後から割り込んできた声。視線を向けると、そこには白い重鎧姿の青年が笑いながら立っていた。
「あれってなんだよ」
レオンは不服そうに腕を組む。
「いやぁ、ちょっと前から話聞いてたけどさ。……君たち雷の伝播速度、わかってる?」
「めっちゃ速い」
グレイヴの即答にレオンは頷き、青年が爆笑する。ピンクブロンドの髪がふわふわと揺れた。
「うん、そう。めっちゃ速いよね」
一頻り笑った後、目尻に浮かんだ涙を拭いながら青年は二人に近付いて、言う。
「あれ、見てから動けるもんじゃないからね?」
「そうなのか?」
「マジで?」
これだもんねー、と再び青年は笑う。
「……ねぇ、その槍見せてもらっても良い?」
青年が興味津々な顔でグレイヴに詰め寄る。
急に距離を詰められ、思わずグレイヴは身を引きつつも槍を渡す。
ありがとー、と言いつつ青年は刻印に触れた。
「おお!本当だ!あっつい!!」
青年は妙に楽しそうだ。
「これ、他にも見せたい人いるんだけど、いい?」
「失敗作だぞ?」
「いいのいいの」
笑う青年にグレイヴは首を傾げつつ「なら、いいけど」と頷く。と、「ありがとねー」と言いながら、青年は自身の籠手の紋章へと槍を収納した。
そして、ふと思い出したようにグレイヴに再び視線を向ける。
「そういえば、ルシエルに君を呼んで来いって言われてるんだった」
「ルシエル?誰?」
聞き覚えのない名に首をひねる。
「ここの偉くて怖い人」
「おいセイン」
青年──セインの言い様にレオンが「怒られても知らねぇぞ」と苦笑する。
「だって、事実でしょ」
「ノーコメントで」
二人のやりとりを聞いていたグレイヴはひっそりと眉根を寄せた。
偉くて怖い人から呼び出される心当たりはない。
「なんか怒られるような事したか、俺?」
「やらかしてるっちゃやらかしてるが、そういうことで怒る奴じゃないから安心しろ」
コイツが怒られるのは余計なことばっか言うからだ、とセインを顎で指してレオンは苦笑する。
「……やらかした覚えねぇんだけど」
「お前はもうちょっと自覚しろ…」
レオンは盛大にため息をついた。グレイヴは「何を?」と小首を傾げる。
「こういうのだよ」
未だ繰り返し流れている船喰との戦闘模型映像を指して言ったのは、セイン。
「自分が基準からズレてるってことは自覚しないとね」
一瞬、ピンクアッシュの瞳が鋭さを宿す。息を詰まらせるグレイヴにセインは表情を緩め「それにしてもさ」と紫の光の上で飛び跳ねる緑の点を指して言った。
「なんて言うか──ノミみたいだよね」
一瞬の沈黙。
「言い方!」
「コイツ嫌い」
グレイヴは憮然とした表情でそっぽを向いた。
初回は五話同時投稿です。




