第二十七話 危機
時間は少し遡り、セインが大量のハム達を家に持ち帰っている頃。
グレイヴとレオンは山の麓に車を停めていた。
「ここからは歩きだな」
「ん」
レオンは左の手甲から双剣を取り出し、腰に佩く。
耳が動き、尻尾が止まる。
「…気持ち悪いくらいに何もいねぇな…」
耳を澄ます。
何も聞こえない。
鳥の声も。
獣の足音も。
本来なら山に満ちているはずの生命の気配が、まるで根こそぎ消えていた。
──キィン……。
不意に耳の奥で微かな音が鳴った。
「……?」
違和感に目を細めるレオンを、グレイヴが「どうした?」と覗き込む。
「いや、なんでもねぇ」
「……そうか」
山に目を向ける。
やはり気配はない。
「行くか」
奥へと歩く。
耳を澄ませる。
何も聞こえない。
足元の草を掻き分ける。
虫一匹飛び立たない。
山である以上、それはあり得ない。
どれほど大型の獣が姿を消そうと、虫だけは残る。
その虫さえいない。
レオンの背筋を、ひやりとしたものが撫でていく。
「レオン?」
知らず立ち止まっていたレオンに、グレイヴが目を瞬かせる。
「……おかしい」
「え?」
「虫すらいねぇのは異常だ」
「そう、なのか?」
首を傾げるグレイヴに、レオンは頷く。
「普通じゃねぇ」
言いながら周囲を見回す。
木々に異常はない。
葉は青く茂り、枯死している様子もなかった。
「魔物の縄張りとかか?」
「だったら鳥は逃げても虫は残る」
即答だった。
グレイヴは小さく唸る。
レオンはしゃがみ込み、地面へ視線を落とした。
「獣道か」
踏み固められた土は残っている。
だが、その上に伸びた草は踏み倒された形跡がなかった。
「……嫌な感じがする」
「勘か?」
「勘……じゃねぇな」
グレイヴがレオンを見る。
「本能的な警鐘に近い」
「……勘じゃねぇか」
「違ぇよ」
二人は再び歩き出した。
変化はない。
相変わらず鳥は鳴かず、獣の気配もない。
だが。
奥へ進むほど、レオンの表情は険しくなっていった。
「……確かに静かすぎるな」
グレイヴが周囲を見渡す。
「今頃かよ」
レオンは力が抜けたように笑う。
そんなレオンを一瞥して、グレイヴは小さく頷いた。
「今、気付いた」
「……そういう奴よな、お前」
ほぅ、とレオンは息を吐く。
「で?」
何ピリついてんだ?と指摘されてレオンは頭を掻いた。
「不快感がある」
「不快感?」
「ああ。なんとも言えねぇ嫌な感じがする」
「……勘?」
「勘じゃねぇっつってんだろ」
レオンの指がグレイヴの額を弾く。
「痛い」
額を押さえたグレイヴが呻きつつも、後ろを振り返る。
しばし考えた後、レオンに向き直った。
「戻るか?」
「そういう訳にいくか。調査に来てんだよ」
「でも不快なんだろ?」
「あー……、まぁ」
レオンは言葉を探して、一瞬口を閉ざす。
「……なんつーか、腐った肉の匂いを嗅いでるような不快さがあるな」
「うわ、絶対ヤダ」
心底嫌そうにグレイヴが顔を顰めた。
「言っとくが、実際に腐った肉がある訳じゃねぇぞ」
間。
「お前……」
半眼を向けられたグレイヴはそっと目を逸らす。
「……でもそんな感じなんだろ?」
「それは、そうだがな」
「だったら引き返しゃいい」
「だから調査だっつってんだろ」
「調査なら『異常あり、原因不明』で終わってる」
レオンは数秒黙った。
「お前なぁ……」
「異常は確認した」
「その原因を調査するんだろうが」
「二人で?このだだっ広い山地中を?」
グレイヴが周囲を見渡す。
「……」
「何日かかんだよ。協会に連絡して調査チーム組んだ方が効率的だろうが」
「……それもそうだな」
「いつもならお前が言いそうなことなのにな」
「あー……。不快感に引っ張られ過ぎたかもな」
不快だからこそ原因を突き止めたくなる。
我ながら難儀な性分だと、レオンは肩を竦めた。
「帰るか」
「ん」
二人は来た道を戻る。
「報告書には『山地にて異常あり、原因不明、要調査』ってとこか」
「任せる」
「任せんな」
軽口を叩き合いながら、山を下る。
警戒はしていた。
だが、理不尽は不意に襲い掛かってくるものだった。
空気が、悲鳴を上げた。
──キィィィィ……ン。
耳鳴りと同時に視界が揺れる。
いや、揺れたのは視界ではない。
自分の感覚の方だ。
鋭い痛みが脳を刺す。
目元を押さえて蹲る。
自分の荒くなった呼吸音すら遠い。
目を閉じて息を整える。
耳鳴りが少し遠のいた。
数度頭を振って、ゆっくりと顔を上げる。
そこで初めて異変に気付いた。
白い。
グレイヴの、黒いはずの鎧が。
「……大丈夫か、レオン」
ごく自然にグレイヴの口から出た声が、僅かに震えている。
「──っ!!お前がだ!」
「正直ちょっとマズい」
「ちょっとじゃねぇよ!何が起こってる!?」
「鎧が暴走してる」
「どうすりゃいい!?」
「基板、壊してくれ」
「どこだ!?」
「ここ」
グレイヴの左手が心臓部を指差す。
「自分で壊そうとしたけど、力入らなくて無理だった」
グレイヴが地面に視線を落とす。
そこにはハンマーが転がっていた。
「わかった。動くなよ」
「ん」
言うなり踏み込んで一突き。
吸い込まれるように、刃先が鎧に沈む。
小さな破壊音。
手応えを確認すると同時に剣を引き抜く。
傾いだグレイヴをそのまま支えた。
「悪い、助かった」
「鎧脱げ、クッソ冷てぇ」
「…………」
「グレイヴ?」
「……指に力入んねぇ……」
「そういうことは早く言え!!」
レオンは舌打ちすると、グレイヴの身体を近くの木へ寄り掛からせる。
「脱がすぞ」
「ん」
返事を聞く前に、胸部装甲の固定具へ手を掛けた。
金具を外す。
留め具を引き抜く。
急ぎながらも手順だけは間違えない。
胸部装甲が外れる。
途端に白い冷気が溢れ出した。
「うわ……」
思わず顔を顰める。
異常だった。
鎧の内側には霜が張り付き、本来見えるはずの黒い下衣まで白く染まっている。
「お前、どんな術式積んでたんだよ……」
返事はない。
いや、返事をする余裕がないのかもしれない。
グレイヴの唇は青白くなっていた。
レオンは残る固定具を次々と外していく。
肩。
脇。
胴。
最後の固定具を外し、背面装甲を持ち上げようとして──止まった。
「……?」
動かない。
もう一度引く。
やはり動かない。
「グレイヴ」
「ん……?」
「引っ付いてる」
一拍。
「あー……」
妙に納得した声が返ってきた。
「納得してんじゃねぇ」
背中側。
汗を吸った下衣の一部が皮膚と共に凍り付き、装甲に貼り付いている。
無理に引けば剥がれるだろう。
だが、それ以外も持っていかれる。
「痛ぇぞ」
「ん」
レオンは短剣を取り出した。
凍り付いた布地の縁へ慎重に刃を滑らせる。
少しずつ。
本当に少しずつ。
布を切り離していく。
その間にも、グレイヴの身体は小さく震え続けていた。
「寝るなよ」
「寝ねぇよ……」
「信用できねぇ」
「ひでぇ……」
弱々しい抗議に、レオンはようやく少しだけ安堵した。
鎧を全て外し、収納に放り込んでおく。
「立てそうか?」
「ん」
グレイヴが木に手をつき立ちあがる。
が、上手く力が入らず体勢を崩した。
「無理そうだな」
「……立てる」
「やめとけ」
レオンはグレイヴに背を向けてしゃがむ。
「乗れ」
「……ヤダ」
「おい、こら」
「肩貸してくれりゃいい」
「身長差考えろ」
「…………ムカつく」
グレイヴは口をへの字に曲げた。
「いいから乗れ。俵担ぎされたいか?」
「…………むぅ」
グレイヴがのそのそとレオンの背に乗る。
思った以上に冷たい。
レオンは僅かに歯を食いしばった。
手甲から野営用の毛布を取り出し、グレイヴごと被る。
暑い。
だがグレイヴの体温をこれ以上下げられない。
「レオン?」
「……口閉じてろよ」
言って、レオンは車までの最短距離を一気に駆け抜けた。
後部座席にグレイヴを横たえ、運転席へ滑り込む。
「寝るなよ」
「……寝ねぇよ……」
「マジで頼むぞ……」
ここからカルム村まで通常なら三時間。
「んなにかけてらんねぇ」
レオンはアクセルを踏み込んだ。
***
瞼が開かない。
誰かの声がする気はするが、酷く遠い。
今何をしていたのかも思い出せない。
どうしてこんなに眠いのかも分からない。
身体も、頭も、何もかもが重い。
──このまま休もう。
そう思うのに。
遠くの声が、妙にうるさい。
ちょっと静かにしてくれ。
もう、本当に……眠いんだ……。
「グレイヴ!!」
ああ、うるさい。
もう少しで寝れたのに。
「……ん」




