第二十六話 セインのカルム村観光(2)
家を出て程近いところにあるパン屋から、香ばしい甘い香りが漂ってくる。
「いらっしゃい」
恰幅のいい女性が笑顔で迎えてくれた。
「おや、巡界士さんじゃないかい」
「いい匂いがしてたので、つい」
「今丁度、夏限定の桃パンが焼き上がったとこなのさ」
「桃パン?」
あまり聞かない名前に小首を傾げる。
「桃にクリームチーズ、燻製ハムを乗せて焼いたパンだよ」
女性は胸を張る。
「濃厚でクリーミーなあまじょっぱさが癖になるって大好評でね」
「うわ、聞いただけで美味しそう」
女性がにやりと口の端を持ち上げる。
「もうすぐこのパン狙いの常連客が押し寄せるよ?買うなら今のうちさね」
ウィンクまでする女性に、セインは「それは是非買っておかないと」と笑い、名物パンを三つ取る。
「毎度あり」
会計を済ませて店を出ると、入れ替わりのようにお客が押し寄せて来た。
「本当に来た…」
セインは小さく笑う。
焼き立ての香りの残る紙袋を収納に入れ、再び歩き出す。
子供達のはしゃぐ声が聞こえる。時折、注意する大人の声も。
井戸端では買物袋を抱えた女性達が世間話に花を咲かせている。
のんびりとした光景に目を細めながら歩いていると、やがて家々が途切れ始めた。
代わりに現れたのは、規則正しく並ぶ果樹の列だった。
桃の甘い匂いが漂ってくる。
「さっきの桃パンの桃ってここのかな?」
思わず見上げる。
枝には大ぶりの桃が実り、陽射しを受けて艶やかに色付いていた。
「どうかしましたか?」
果樹園の青年が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「ああ、失礼。先程桃パンを買ったもので…こちらの桃を使っているのかな、と」
苦笑するセインに青年は「ああ!」と目を輝かせた。
「そうです、うちの桃です。あのパン買えたんですか?羨ましいなぁ」
「そんなに入手困難なんですか?」
「争奪戦ですよ、あれは…」
「桃の提供者が食べられないんですか?」
「昼には売り切れますからね…」
青年が遠い目をする。
「……去年なんて一回しか買えませんでした…」
「えぇ……」
一回、と思わず繰り返してしまう。
「予約とか……できないんですか?」
「皆そう言うんですけどね。おばちゃんが『並べた瞬間が勝負だよ』って」
「おおぅ……」
思わず収納へ視線を向ける。
どうやら思っていた以上に貴重品を手に入れてしまったらしい。──三個も。
「羨ましい……」
青年は本気で羨ましそうに収納を見た。
思わず苦笑する。
どうやら本当に人気らしい。
「そのうちまた買えるといいですね」
「そう願ってます……」
改めて周囲へ目を向ける。
果樹園では何人もの農夫達が収穫作業に追われていた。
「今年は豊作なんですか?」
「おかげさまで、例年より出来は良いですね」
青年は成熟した果実を見て満足そうに目を細める。
「鳥害も少なかったですし」
「それは良かったです。……お仕事中にすみません。ありがとうございました」
「いえいえ」
セインは一礼してその場を去る。
青年の視線が籠手に向かっているような気がした。──桃パン恐るべし。
果樹園を抜けると、今度は木柵で囲われた広場が見えてきた。
鶏達が好き勝手に歩き回り、地面を嘴でつついている。
その奥には木造の鶏舎が建っていた。
「平飼いかぁ……」
木柵の上に、一羽の立派な雄鶏が陣取っていた。
「おお」
思わず足を止める。
鮮やかな羽毛。
堂々とした立ち姿。
見事なものだ。
「こんにちは」
そっと近付き、声を掛ける。
不意に雄鶏が大きく鳴いた。
その声に反応するように、周囲の鶏達が一斉に顔を上げる。
「ああ!ごめんごめん!警戒させちゃった?」
そっと一歩離れる。
が、柵から降りた雄鶏が、勢いよく飛びかかってくる。
「おっと」
反射的に身構える。
次の瞬間。
ごっ。
「おお」
脛当てに雄鶏の蹴りが直撃した。
しかし痛みはない。
雄鶏の方が少しよろめいた。
コケッ!
再び蹴爪が鎧を蹴る。
コ……ッ!
「何もしないよー」
「ははは!そいつぁ無理だな!」
声に振り向く。
鶏舎の脇から、餌桶を抱えた男性が歩いてきた。
「知らない奴には容赦しねぇんだ」
「立派な雄鶏ですね」
「蹴られてもそう言えるとは、あんたわかってるねぇ」
男は嬉しそうに笑う。
「雄鶏は雌鶏を守るために戦う。かっこいいじゃないですか」
「そうだな。だがな、迂闊に近づいといて『攻撃されたから雄鶏を処分しろ』って奴も世の中にゃいるんだよ」
男は雄鶏の頭を軽く撫でた。
「こいつは自分の仕事をしてるだけなんだがな」
「……それでも嫌がる人はいますからね」
「まぁな」
男は餌桶を持ち直す。
その足元へ、どこからともなく鶏達が集まってきた。
「人気者ですね」
「飯の時間だからな」
男が苦笑する。
「仕事の邪魔しちゃいましたね」
「気にすんな」
男は餌を撒きながら奥へと歩いていく。
セインは雄鶏へもう一度視線を向けた。
先ほどまで攻撃してきていた雄鶏は、今度は雌鶏達の様子を気にするように辺りを見回している。
やはり立派だ。
セインは頷いて先へと歩き始めた。
しばらく歩く。
今度は低い鳴き声が聞こえてきた。
木柵の向こうでは、何頭もの豚が泥だまりに転がっている。
その奥に屋根付きの豚舎が見える。
豚舎の隣には小さな石造りの建物が建っている。
窓からは香ばしい燻製の匂いが漂っていた。
匂いの種類は違えど、どこかで見た光景だった。
牛舎の隣に加工場があったように、こちらも育てるだけでなく加工まで行っているのだろう。
加工場へと伸びる、石で舗装された道の入口に看板が立っている。
──燻製ハム販売中。
セインは迷わず足を向けた。
加工場へ入ると燻製の香りが一際強くなる。その奥にスパイスの香り、豚の脂の甘い香りが漂っている。
「これは絶対うまいやつだね」
「いらっしゃいませ!」
店頭にいたのは十七、八歳の少女だった。
「この燻製ハムって桃パンに使ってるやつですか?」
「はい、そうです!お客様、桃パンご存知なんですね」
少女が元気良く答える。
「大体地元住人しか買えないから、旅の方とか存在すら知らないんですよ」
「そうなんですか。今日たまたま買えたもので」
「えっ!買えたんですか!?すごい幸運じゃないですか!」
自慢できますよ!と力を込める少女に、セインは乾いた笑い声を上げた。
「私まだ試食の分しか食べた事ないんですよね。しかもお父さんと半分こだったし……」
「そ、そうなんですか……」
左手の籠手がずっしりと重くなった気がした。
「あ、ごめんなさい。お客様に余計なお話ししちゃった」
「いえいえ」
セインは笑顔で首を振り、並べられた商品を見回す。
「お嬢さんのおすすめを教えてもらっても?」
「あ、はい!燻製ハムは勿論なんですけど、この生ハムと、こっちのフランクフルトもおすすめです!あ、あとベーコンも脂の甘味があって美味しいですよ!」
「じゃあ、おすすめ全部500gずつください」
「わ!ありがとうございます!すぐにご用意しますね!」
手早く準備された商品を、会計して収納へと仕舞う。
「ありがとうございました!」
元気な声に見送られセインは笑顔で店を出る。
収納の中身が随分賑やかになった。
「これも一旦冷蔵庫に入れに帰らないとね」
見回りというよりは観光していたような気もするが、たまにはいいだろう。
気付けば昼も近い。
セインはのんびりと家へと帰った。
***
「そろそろ着いた頃かな、あの二人」
冷蔵庫にハム達を仕舞う。
昼用にとレオンが作っていったサンドウィッチを食べ終えた頃、来客を知らせるチャイムが鳴った。
「はい?」
玄関を開けると、そこには見覚えのある女性が立っていた。
「あ……突然すみません」
診療所で見た、あの子の母親だった。
「何かありましたか?」
「いえ、悪い話じゃないんです」
母親は少しだけ表情を緩める。
「息子が目を覚ましたんです」
「そうですか!それは良かった」
「はい。それで……」
少し気まずそうに母親は笑う。
「巡界士さん達が様子を見に来てくれていたって話したら、会いたかったって拗ねてしまって」
「拗ねた?」
「自分が寝てる間に帰っちゃったって」
それはまた、とセインも苦笑する。
「あの、お仕事でいらしているのに、こんな事をお願いするのも申し訳ないのですが……」
母親は申し訳なさそうに眉を下げた。
「お時間がある時で構いませんので、また顔を見せてやってくれませんか?」
「もちろん」
セインは快く引き受ける。
「じゃあ行きましょうか」
「……えっ!?」
母親が驚いたように目を瞬く。
「私だけではありますが、今丁度手が空いているので」
「あ、ありがとうございます!」
何度も礼を言う母親を、セインは「行きましょう」と促す。
「……いつ頃、目を?」
「今朝七時頃です。その後一応検査もして異常はないと、普通病棟に移ることもできました」
「本当に良かったですね」
「はい」
昨日の朝に見た時に比べて、母親の表情は別人のように明るかった。
案内された病室は、東に広がる大きな窓がある部屋だった。
「エリオ」
「あ!ママ!ももパンあった?」
「ごめんね、やっぱり売り切れてたの」
セインは何も言えずに立ち尽くす。
「そっかぁ……。ざんねん」
「また今度一緒に買いに行こうね」
「うん!」
元気良く返事をするエリオは、そこでようやくセインの存在に気が付いた。
「おにいちゃん、だぁれ?」
セインはにこりと微笑む。
「巡界士のセインだよ」
「じゅんかいし!ほんとう!?」
「うん。ほら」
セインは左手の籠手に刻まれた紋章をエリオに見せる。
「あかい!いっきゅうだ!」
「よく知ってるね」
「うん!ぼくね、おおきくなったらじゅんかいしになるんだ!だからいっぱいべんきょうしたの!」
「そうなんだ。楽しみだな」
「うん!…でもね、ぼくのくるまこわれちゃったんだって。きょうかいのくるまこわしちゃったの…」
こわしちゃったらじゅんかいしになれない…?と不安気に見上げてくるエリオ。
「大丈夫。エリオがわざと壊したんじゃないって、ちゃんとわかってるからね」
「ほんとう?」
「うん」
エリオはほっとしたように息を吐いた。
「ぼく、びっくりしたんだ」
「びっくり?」
「うん」
「だってね、おそらがぐちゃぐちゃだったから」
「お空が?」
セインは瞬きをする。
診療所で聞いた母親の証言が脳裏を過った。
「うん。だからね、ママが『くるまにのるときはちゃんとまえをむきなさい』っていってたのにうえむいちゃったの。そしたらね、くるまがびゅーんってなっちゃった」
「そっか。お空がぐちゃぐちゃだとびっくりするよね」
エリオの言葉に合わせるように頷く。
事故の記憶を言葉にするのは、大人でも難しい。
「うん。すごくね、ぐちゃぐちゃだったの」
そう言ってエリオは窓の外を指差した。
「あんなかんじに」
小さな指が示した先は、連なる山々。
グレイヴ達が向かった方角だ。
エリオの言う『ぐちゃぐちゃ』はセインの目には映らない。
どこまでも青く澄んだ空が見えるだけ。
だが。
胸の奥をざらりとした何かが通り抜けた。




