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35話 木々を乗り越え、音速を超えろ

バキィィィンッ!!!!……メキメキメキッ、ドガァァァァァンッ!!

 それは、鋼の刃と大木が激突したとは到底思えない、まるで隕石同士が衝突したかのような異常な破裂音だった。

 音速の壁を完全に置き去りにしたザントの双刃が、ゼンガルが盾として構えた『超巨大な大木の幹』に、一切の容赦なく深々と叩き込まれる。

 超音速の推進力と、赤熱化したサイボーグの限界を超えた馬力。凄まじい衝撃波と超高温の摩擦熱が一点に集中した瞬間、ゼンガルの規格外の膂力をもってしても耐えきれず、盾にしていた大木の幹が内側から爆発したかのように真っ二つにへし折れた。

「なッ……!?」

 絶対の防壁が粉砕され、ゼンガルの無防備な身体が完全に晒される。

 巨大な隙。その致命的な一瞬を、オーバードライブ状態のザントが見逃すはずもない。大木の残骸を突き破り、必殺の刃がゼンガルの首元へと殺到した。

 ザシュッ!!

「クッ……!」

 ゼンガルは空中で強引に身をよじり、超人的な反射神経で致命傷だけは回避した。だが、赤黒く燃える刃の切っ先が、彼の白く美しい頬と首筋をかすめ、純白の軍服の肩口を浅く切り裂く。

 鮮血が空中に舞い、ゼンガルは王都の分厚い石畳を数メートルにわたって深く削りながらズザァァッと後退した。

 着地した彼は、休む間もなく流れるような動作で背後の自然へと手を伸ばした。

 広場を囲む森から、先ほどと同等かそれ以上に巨大な『別の樹木』の根本を片手で掴み、地盤ごとブチブチィッと引き剥がして、新たな盾兼鈍器として強引に構え直す。

 だが。自らの肌を裂かれ、別の木を引っこ抜いて防戦を余儀なくされたというのに。

 新たな大木を構えたゼンガルの水色の瞳に浮かんでいたのは、焦燥や恐怖ではなかった。

 それは、世界でたった一つの、完璧な芸術品を発見した狂信的な鑑定士のような、おぞましいほどに純粋な『歓喜』だった。

「ハハッ……素晴らしい!素晴らしいですね!!ザント!!」

 ゼンガルは、自らの頬からツーッと血を流しながらも、恍惚とした笑みを浮かべて叫んだ。

「その圧倒的な力、その絶対的な速度!なぜ……なぜ、聖騎士団にいた時にそれを見せなかったのですか!?」

 ザントは一切の返答をしない。

 ただ無言のまま、機体を内側から焼き尽くすほどの赤黒い排熱の炎を撒き散らしながら、新たな大木を構えるゼンガルの全方位から、流星群のような超音速の斬撃を浴びせ続ける。

 空気を切り裂く轟音が幾重にも重なり、分厚い大木の幹が瞬く間に削り取られていく。

「私達なら!我らがドロステの科学班の粋と、エノク女王陛下の恩寵をもってすれば、その力を『自壊』などという諸刃の剣のまま腐らせることは絶対にありません!」

 バチバチバチッ!!と、大木を削り取る刀の火花が、ゼンガルの狂気に満ちた美しい顔を赤く照らし出す。

 だが、彼の舌は止まらない。

 重騎士ゼンガルは、自身の属する王国の価値観こそが絶対であると信じて疑わない、狂信的なまでの無邪気さと傲慢さで、ザントへと言葉の刃を投げかけ続けた。

「かつて、誰よりも強さを追求し、失った時を取り戻す、そして...《《ナヴィ》》に復讐するため、力を求めて前へ進もうとしていた貴方なら……その命を削るデメリットすら完全に克服し、神の領域に届く究極の騎士になれたはずだ!」

 そして、ゼンガルの瞳が、ザントの背中で息を呑む私へと真っ直ぐに向けられた。

「それなら、どうです!? 今、貴方の背中で……貴方の熱い肩に顎を乗せているだけの、その薄汚い泥まみれの堕天使を捨て、私達の所へ帰りませんか!?」

 ゼンガルの言葉に、背中にしがみついている私の身体がビクリと大きく跳ねた。

 私の顎が乗っている彼の鋼鉄の肩越しに、ゼンガルの醜悪で、しかしあまりにも甘美な誘惑が鼓膜を打つ。

「今のその絶対的な力を見せた貴方なら、第4番隊隊長の座なんて生温い! もしかしたら、この第1番隊の私の跡継ぎに……いや、ビター総隊長に代わる『次期総隊長』の座にすら就けるかもしれない!!」

 それは、聖騎士団の頂点。

 かつて彼が所属し、青春と野心を注ぎ込んだであろう白亜の城における、絶対的な権力と名誉、そして無限の強さの確約だった。たった三日前に国を裏切った大罪人に対して、現役の隊長が放つ言葉としてはあまりにも破格すぎる、奇跡のような恩赦の条件。

(……ザント)

 私は、赤熱化して今にも溶け落ちそうな彼の鋼鉄の首に抱きつきながら、無意識のうちにその腕の力を強めていた。

 この男は、損得勘定で動く。面白いか、面白くないかで動く。

 もし、彼が究極の強さを求め、この自壊の呪いから解放されることを望むのなら。泥水の底で私と共に死ぬよりも、あの輝かしい純白の世界へ戻ることを選んだとしても、私は彼を責めることはできない。

 ――だが。

 ザントの動きは、ただの1ミリも、コンマ1秒すらも鈍ることはなかった。

 ドゴォォォォォンッ!!

 返答の代わりに叩き込まれたのは、ゼンガルが盾にしていた新たな大木の幹を半ばからへし折り、その衝撃でゼンガルの左腕の骨をも砕かんばかりの、さらに出力を限界突破させた渾身の一撃だった。

「なっ、何を……!?」

 自身の提示した最高級の提案に対し、一切の躊躇も迷いもなく、ただ純粋な殺意の塊をぶつけてくるザントの態度に、ゼンガルは初めて理解不能といった困惑の表情を浮かべた。

「私の話が聞こえないのですか!? 貴方のその力は、そんな泥にまみれた反逆者の背中で使い潰していいものではない! 神聖なる国のために、より高みを目指して振るってこそ――」

 ゼンガルがそれでもしつこく、理解できないとでも言うように美辞麗句を並べ立てようとした、その瞬間だった。

 ザントの赤く明滅するカメラアイが、激しい怒りに発光した。

「――うるせぇッ!!」

 戦場の空気をビリビリと震わせるような、鼓膜を裂く怒声。

 ザントは鋼鉄の牙を限界まで剥き出しにし、腹の底から湧き上がるありったけの嫌悪と、己の生き様を否定されたことへの底知れぬ怒りを込めて、ゼンガルの御託を怒鳴り散らして叩き斬った。

「黙れェェェェェッ!!!」

「……ッ!?」

 そのあまりにも粗野で、一切の交渉の余地を持たない純粋な『拒絶』の咆哮に。

 常に優雅で紳士的であったゼンガルの顔が、雷に打たれたように強張った。

 栄誉も、地位も、究極の力も。

 この泥水を知り、裏都市で這いつくばって生きる連中の熱量を知ったサイボーグの心には、欠片ほどの魅力も持たないただのゴミ屑でしかないという絶対的な事実。

 それが、言葉よりも遥かに重く鋭い刃となって、無敵の重騎士の傲慢なプライドを根元から完全にへし折っていた。


静まり返った戦場に、ザントの野蛮な怒声が木霊した。

 次期総隊長という、騎士であれば誰もが喉から手が出るほど欲するであろう究極の栄誉。それを、一片の迷いも躊躇いもなく「うるせえ」の一言で切り捨てられたゼンガルは、目を丸くしたまま言葉を完全に失っていた。

 そんな重騎士の硬直などお構いなしに、ザントは赤熱化した装甲からシューシューと威嚇のような超高温の白い蒸気を噴き上げながら、苛立ちも露わに叫び続けた。

「いいか!? 俺は今!! 無駄に重い美女を背負いながら、無駄に消費の激しい力を使って、無駄に長え、無駄に綺麗すぎて、無駄に……中身がすっからかんなお上品な説教を垂れる、水色頭の野郎の相手をしてるんだよ!」

 ザントは両手の刀をギリッと握り直し、赤いカメラアイを凶悪に光らせた。

「お前のその押し付けがましい講釈と、背中のこの重さといろんなもんが重なって……俺はもう、最高にイライラしてしょうがねえんだよ!!!」

「……私が寛大で良かったな」

 ザントが己の怒りを豪快に爆発させた直後。

 彼の燃えるような鋼鉄の背中にしがみついている私が、その排熱音すら置き去りにするほど地を這うような低い声で、彼の耳元へと囁いた。

「私以外の美女なら、お前をここでぶん殴って、目が腫れるまで殴って、顔の形が変わって、鼻が折れて、頬骨もぐしゃぐしゃに、顎を外して、貴様が泣いて懇願しても殴り続けて、泣き叫んでうるさいお前を黙らせるためにお前の舌を引っ張って、ちぎって、そのちぎった舌をお前に食わせて、吐いたらお前にまた食わせて、暴れないように足、腕、頭、腹、首、胸、内蔵、筋――」

「まってまってまってまって!!!怖い!!長い!!」

 ザントは敵の目の前だというのに、鋼鉄の顔を盛大に引き攣らせて叫んだ。

「途中からただの猟奇的なスプラッター妄想になってただろ!マジで天界追い出されて正解だわお前!俺が何したってんだよ、『ちょっと重い』って事実を口にしただけで、なんでそこまで徹底的に生体解体されなきゃならねぇんだよ!!」

「誰が重いだ鉄屑!!私は羽がもがれてむしろ軽量化されているだろうが!!貴様のそのポンコツなサスペンションがイカれているだけだ!」

「ポンコツって言うな! だいたいお前は態度だけじゃなくて日頃食ってる角砂糖のせいで質量も態度もデカく……あだっ!?髪引っ張んな!」

 超音速の死闘を繰り広げ、互いの命を削り合っていたはずの戦場のど真ん中で、私たちはまたしても醜い痴話喧嘩を再開してしまった。

 しかし、オーバードライブ状態で全身のパーツが悲鳴を上げているザントは、これ以上背中で喚き散らされるのは限界だったらしく、左手の小太刀をスッと器用に持ち替えると、空いた左手で私の顔面をわしづかみにし、無理やりその口を物理的に塞いできた。

「むぐっ!?んーっ!!んーっ!!」

「はいはいストップ! お前はもう喋るな!」

 ザントは私の抗議の呻き声を完全に無視し、忌々しそうに熱い息を吐いてから、再びゼンガルへと鋭い視線を向けた。

「と、いうわけだ。これ以上俺に無駄に話して、無駄に時間を使って、無駄に体力を使わせるなよっ……!!」

 ドバァァァァァンッ!!!

 ザントの背部スラスターから、これまで以上の赤黒い爆炎が吹き上がる。

 私の口を左手で塞いだまま、ザントは残った右手の打刀一本に全推力と質量を乗せ、空間を削り取るような超音速の跳躍で、大木を構えるゼンガルへと真っ直ぐに襲い掛かった。

「……ッ!!」

 ズドガァァァァァンッ!!!

 ゼンガルは辛うじて巨大な大木の幹を盾にしてその一撃を防いだが、片手で放たれたとは思えないほどの理不尽な重撃に、彼の身体は泥水の中を大きく後退させられた。分厚い樹皮が弾け飛び、火花と木屑が嵐のように舞い散る。

「なぜ……なぜ分からないのです、ザント!!」

 大木の幹を削られながら、ゼンガルはそれでも叫んだ。

 彼の端正な顔には、己の絶対的な価値観が通じないという理解不能な現象を前にした恐怖と、強引に自らの正しさを証明しようとする狂信的な執着が浮かんでいた。

「王国の庇護のもと、共に『正義』を成すことこそが我ら騎士の存在意義! 泥まみれの裏都市で這いつくばって、一体何を得るというのですか! 戻ってきなさい、貴方の居場所は白亜の城にこそ――」

「くどい!!」

 ザントが、大木の幹を真っ向から押し返すように赤熱化した打刀を叩きつけながら吠えた。

「俺はもう、息苦しい城の椅子に座る気は微塵もねぇんだよ! 誰かに勝った負けたとか、城の中で点数競い合って上層の顔色をうかがうような窮屈な生き方は、裏都市のゴミ箱に捨ててきた!」

 ザントの赤いカメラアイが、大木越しにゼンガルの水色の瞳を真正面から射抜く。

「てめぇらのその小せぇ物差しで、俺たちを勝手に測んじゃねぇ! 次期総隊長だぁ? ふざけんな! そんなクソみてぇな肩書き……俺の背中でギャーギャー喚いてる、この凶暴な堕天使の『角砂糖一個』にも満たねぇんだよ!!」

「…………ッ!!」

 その言葉を聞いた瞬間。

 常に優雅な微笑みを絶やさず、紳士という完璧な仮面を貼り付けていたゼンガルの端正な顔が、ピキリと音を立てるように歪んだ。

 ドロステ王国の栄誉。次期総隊長という頂点。

 ゼンガル自身がすべてを捧げ、誇りとしてきた絶対的な価値を、ザントは背中にいる名もなき堕天使の「角砂糖一個」以下だと断言したのだ。

 それは、重騎士の存在意義そのものを、裏都市の泥靴で完膚なきまでに踏みにじる、究極の侮辱に他ならなかった。

「……愚かな。そこまで狂っていたとは」

 ゼンガルの顔から、ついに一切の『優雅さ』が消え失せた。

 美しく整っていた水色の髪を振り乱し、彼の顔は、純粋な怒りと殺意だけに塗り潰された醜悪な獣のそれへと変貌していく。

 異常な膂力で大木を握りしめる腕がさらに膨張し、ギリギリと木が悲鳴を上げる。

「ならば……その言葉ごと、エノク様の御前で塵一つ残さず粉砕して差し上げましょう!!」


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