34話 音速のザント
ドゴォォォォォォォンッ!!!!
再び、ゼンガルの無造作な振りが王都の石畳を粉砕する。
彼が片手で振り回す数千トンの『大木』が、まるで巨大な破城槌のように空気を叩き潰しながら迫る。ザントは二振りの分厚い刀を交差し、必死にその超質量を受け流そうと立ち回るが、魔法すら介在しない純粋な物理的暴力は、確実に彼のサイボーグの身体を内側から蝕んでいた。
ガガガガガッ!と嫌な金属音が鳴り響く。
強靭なはずの装甲はひしゃげ、関節部の駆動系からは限界を知らせる赤い火花が散り、背部のブースターの排熱音は、まるで断末魔の悲鳴のように甲高く濁り始めている。
「チィッ……なんてデタラメな重さだ……! 木一本振り回してるだけだってのに、山にでもぶつかってる気分だぜ!」
「ザント! 右のモーターが焼け焦げているぞ! 一度距離を取れ、このままではお前の腕がもたない!」
ザントの熱を帯びた背中におぶられた私は、彼の太い首に腕を回しながら、焦燥感に駆られて叫んだ。
これ以上、あのふざけた質量の連撃を真正面から打ち合えば、間違いなくザントの身体は完全にスクラップにされる。私の右手の小指に宿る無限の『豊穣の権力』も、あの巨大な大木が巻き起こす暴風と、次々と飛来する岩盤の嵐の前では、届く前に弾かれてしまい有効な打開策になり得ていなかった。
焦る私。絶体絶命の戦況。
だが、そんな私の必死の心配をよそに。
ザントは突然、フッと余裕ぶった、それでいてひどく甘ったるい、キザな声を出した。
「ヘッ……なに不安そうな顔してんだよ、天使ちゃん。そんな険しい顔してちゃ、せっかくのべっぴんが台無しだぜ?」
「……は?」
「安心しな。可愛い女のピンチに身体を張るのは、いつの時代もいい男の特権だ。お前みたいな極上の女を守るためなら、俺は地獄の底まで付き合って――」
ゴォォォギィッ!!!!
ザントがその寒気を催すような台詞を言い終わるよりも早く。
私は、ありったけの力を込めた右拳で、ザントの後頭部――最も分厚い鋼鉄の装甲部分を、全力でぶん殴っていた。
「いっっっってェェェェェッ!?」
ザントは目を白黒させ、バランスを崩して前のめりにズッコケそうになった。
「おまッ、痛ぇな!? 何すんだバカ!! ただでさえダメージ溜まってんのに、脳みその配線がショートするかと思ったぞ!」
「貴様こそ、この期に及んで何を血迷っている! 三流の舞台役者でも言わないような、その女たらし特有の気色悪い口説き文句を吐くな! そんな下らないことを言う暇があるなら足を動かせ、このポンコツ鉄屑!!」
「鉄屑じゃねぇ、ザントだ! せっかく俺が、ちょっとでもお前の不安を和らげてやろうって男気を見せたのに、背中からフルスイングで後頭部殴る奴がいるかよ!! お前も手ぇ痛ぇだろそれ!」
「頼んでもいない気遣いだ! お前のその安い台詞のせいで、私の精神的な疲労は今の物理ダメージの三倍に膨れ上がったぞ!」
「なんだと!? てめぇ、今すぐ振り落としてやろうかコノヤロウ!」
敵の猛攻の真っただ中。一歩間違えれば二人まとめて赤い肉塊に変えられるという、死と隣り合わせの極限状態だというのに。
私とザントは、おんぶされた状態のまま顔を近づけ、周囲の轟音すら掻き消すような声量でギャーギャーと痴話喧嘩を始めてしまった。
一方。
その信じられない光景を数メートル先で見ていた、第1番隊隊長ゼンガルは。
……完全に、無言だった。
「…………」
彼は、十人がかりでも抱えきれないほどの超巨大な大木を、まるで番傘でも差すかのように片方の肩に担いだまま。水色の髪を朝の風に揺らし、まるで大理石の彫刻のように静止していた。
一切言葉を発しない。ただ、泥沼の死闘の最中に突如として始まった不可解な内輪揉めを、瞬き一つせずにじっと見つめている。
相手が勝手に隙だらけになっているのだから、そのまま大木で更地にしてしまえばいいものを。彼の中に残る騎士としての礼節がそうさせるのか、あるいはただ単に、あまりにも場違いな光景に思考が追いつかず呆れ果てているだけなのか。
彼は、私たちが「ポンコツ!」「泥ネズミ!」と喚き散らすのを、静かに、そしてひどく行儀よく待ち続けていた。
「大体お前はいつもそうだ、肝心なところで無駄口を叩くから――」
「あーもううるせぇうるせぇ! 分かったよ、俺が悪かったから耳元で怒鳴るな! 鼓膜のセンサーがイカれる!」
ザントが辟易としたように首を大きく振り、ようやく正面の敵へと向き直った。
ゼンガルは、私たちがようやく静まったのを確認すると。
コホン、と上品に、一つ咳払いをした。
「……お済みですか?」
「「うるさい!!」」
「それは失礼しました」
ゼンガルは優雅に微笑むと、再び両手で大木の幹を構え直した。その細められた瞳の奥には、またしてもあの理不尽な破壊の意思が、どす黒く燃え上がっている。
「……チッ。まあいい」
ザントは、熱を持った二つの刀を握る手にギリッと力を込め、低く、獣のような唸り声を漏らした。
「どのみち、小細工が通用しねぇパワーバカなら、やりようは一つだ。……いいさ、本気を出してやるよ」
その言葉に、私はザントの背中で耳を疑った。
「……は? 本気を出してやる? 貴様、まさか今まで本気じゃなかったというのか!?」
「あー、えっと……なんというか。奥の手みたいな、諸刃の剣というか……」
ザントはばつが悪そうに、カシャカシャと赤いカメラアイを瞬かせた。
「使うと後で機体のパーツがぶっ壊れかけるし、オーバーヒートの反動がデカすぎて俺自身の寿命もゴリッと縮むから、あんまりやりたくなかったんだけどよ。このままだと、寿命が縮むどころか、あの丸太でミンチにされちまうからな」
「そんな大事なものを今まで出し惜しみしていたのかこの大バカ! さっさと使え!」
「へいへい。……舌噛み切っても知らねぇぜ。振り落とされんなよ、天使ちゃん」
ザントは姿勢を極端に低く落とした。
直後、彼の全身の装甲の隙間という隙間から、プシュゥゥゥゥッ!と、視界を白く染めるほどの凄まじい量の冷却ガスが強制排出され始めた。
周囲の温度が一気に跳ね上がる。
彼はニヤリと好戦的な牙を剥き出しにし、低く、呪文のように呟いた。
「フンッ……」
「――抑制解除」
ドォォォォォォォォンッ!!!!
その瞬間。
ザントの足元と、背部の巨大なスラスターから噴出していた青白い炎が、爆発的な『赤黒い炎』へと変色した。
ただの推力ではない。凄まじい熱波が広場を焼き焦がし、ザントの鋼鉄の身体そのものが、内部からの超高温に耐えきれずに真っ赤に赤熱化していく。周囲の空間が陽炎のようにぐにゃぐにゃと歪み始める。
それは、機体を守るサイボーグとしての安全装置を完全に破壊し、エンジンの出力を自壊の危険が伴う致死領域にまで引き上げる、禁断のオーバードライブモードだった。
「……ほう。自壊覚悟の熱暴走ですか。その覚悟は賞賛に値しますが、それでは私の大木の重さと範囲には――」
ゼンガルが、余裕の笑みを浮かべて言葉を言い終えるより、ずっと早かった。
バツォォォォォンッ!!!
空気が、文字通り「爆発した」ような、聞いたこともない破裂音が鼓膜を打った。
私の視界が、景色が、世界そのものが、ぐらりと後ろに『吹き飛んだ』。
Gという概念を超えた殺人的な加速。私は咄嗟にザントの首に腕を回し、顔を背中に押し付けることしかできなかった。
「なッ……!?」
大木を構えていたゼンガルの水色の瞳が、この戦闘が始まって以来、初めて明らかな『驚愕』に見開かれた。
速い。異常だ。
聖騎士団の第4番隊隊長だった昔から『音速のザント』と呼ばれ、その圧倒的な直進速度で恐れられていた彼の普段の動きですら、私の天使としての動体視力で捉えるのがギリギリだった。
だが、今の彼は、己の代名詞であったその異名すらも、完全に過去の遺物として置き去りにしていた。
――音速を、超えている。
空気を切り裂くのではない。空間そのものを圧縮し、弾け飛ばしながら進むような、あまりにも理不尽で暴力的な『絶対速度』。
ゼンガルが、その規格外の筋力で超重量の大木を振り下ろそうと、筋肉を収縮させたそのコンマ一秒の間に。
ザントはすでにゼンガルの正面から掻き消え、残像すらも置き去りにして、振り下ろされる大木の完全な死角である背後へと回り込んでいた。
「もらったぜェッ!!」
音を完全に置き去りにしたザントの狂気的な咆哮が、一拍遅れて広場に轟く。
限界を超えた超音速の推進力と、赤黒い炎を纏った鋼鉄の腕が振るう二刀流の連撃。
デタラメな重量に任せて戦場を完全に支配していた化け物の認識を、自らの命を燃やす極限のサイボーグのスピードが、ついに完全に凌駕した瞬間だった。




