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33話 絶望の質量兵器と、最終手段の決断

「へっ、どうした? 自慢の細剣がなくなっちまったな。それとも、その白くて細いお上品な素手で、重装甲のサイボーグである俺たちと殴り合う気か?」


血と泥にまみれた王都の広場に、ザントの野蛮で挑発的な声が響き渡った。

彼は背中に私を乗せたまま、油断なく二振りの分厚い刀を正眼に構え、背部の巨大なスラスターから威嚇するように高温の白い蒸気を噴き上げさせている。

数メートル先。私の『豊穣の権力』によって急激な時間の進行を強制され、完全に赤錆と化し、ボロボロと砂のように崩れ去った武器の残骸を、第1番隊隊長・ゼンガルは無言のまま見下ろしていた。

武器の消失。それは剣に命を懸ける騎士にとって、文字通りの死を意味する絶対的な絶望であり、最大の隙であるはずだった。


――だが。

死の淵に立たされたはずの水色の髪の紳士は、その絶望的な状況にあって、なおも涼しげな笑みを崩していなかった。いや、その表現は正確ではない。彼の端正な顔面に張り付いていた「貴族的な余裕」という名の薄氷が、今、ピキピキと音を立ててひび割れようとしていたのだ。


「……クッ、フフッ……アハ、アハハハハハハッ!!」


静寂を切り裂いて広場に響き渡ったのは、優雅な紳士のそれとは似ても似つかない、腹の底のさらに奥底、どす黒い泥土の中から湧き上がるような狂気じみた高笑いだった。

ゼンガルは、手の中に残った赤錆の柄を、まるで汚物でも払うかのように無造作に地面へと投げ捨てた。肩を激しく揺らし、天を仰いで笑い続けるその男の姿は、もはやドロステの正義を体現する聖騎士のものではない。

ゆっくりとこちらへ向けられた水色の瞳からは、先ほどまでの「余裕」という仮面が完全に剥がれ落ちていた。代わりにそこにあったのは、燃えたぎるような、それでいて底なし沼のように昏く、おぞましい『暴力への渇望』だった。


「武器……? ああ、そうですね。剣が失われたのならば、代わりのものを用意しなければなりませんね。……フフフ、では、今から『これ』を私の新たな武器にしましょう」


ゼンガルは両腕をゆっくりと広げると、王都の広場の端、歴史ある石畳を突き破ってそびえ立つ、巨大な自然へと顔を向けた。

そして、ひどく滑稽な、まるで魔法学校に入学したばかりの幼い子供がお遊戯でも始めるかのような、大仰で丁寧な身振りで、一つの魔法の詠唱を口にした。


「――《筋力増強フィジカルエンチャント》」


ポワッ、と。

ゼンガルの細身の身体を、薄く、本当に微弱で頼りない、蛍の光のようなオーラが包み込んだ。

空間が震えるような魔力の奔流でもなければ、大気が軋むような重圧もない。ただただ、あまりにも平々凡々とした、涙が出るほど地味な魔力の発現だった。


「……あ? 《筋力増強フィジカルエンチャントだと?」

ザントが拍子抜けしたように、赤いカメラアイを瞬かせ、刀の切っ先を僅かに下げた。

「なんだそれは! 隠された上位魔法か!? 強いのか!?」

私はザントの背中にしがみつきながら、砕けた肋骨の痛みを堪えて鋭く問いかけた。

私の『豊穣の権力』のような神の力とは違う、人間たちが長い歴史の中で編み出した未知の魔術体系。もしかすると、触れたものを塵にするような恐るべき呪いかもしれない。

だが、ザントの口から出たのは、呆れ果てたようなため息だった。


「いや、強いも何も……初級中の初級魔法だぞ、あれ」

ザントは信じられないものを見るように、ぽりぽりと鋼鉄の頬を掻いた。

「魔法学校に入ったばかりの鼻垂れガキが、一番最初に習うようなお遊び魔法だ。騎士団の見習いどもが、重い荷物を運ぶ時や、土木作業の時に気休め程度に使う、魔力消費も最低クラスのショボいバフだぜ。あいつ、武器を壊されたショックで、ついに現実逃避して狂っちまったか?」

「初級魔法……? ただの荷運び用の魔法だと?」

私は眉をひそめた。

この土壇場、しかもドロステ聖騎士団の最強を担う第1番隊隊長が、見習いのお遊戯魔法を使う? そんな馬鹿な話があるはずがない。狂気に歪んだあの瞳が、そんな無意味な行動をとるはずがないのだ。


「しかし……あいつが先ほど、私の顔を片手で掴み上げた時のあの握力は、人間の骨格が出せる力ではなかったぞ。まるで鋼の万力だ。もし、その基礎的な筋力に魔法が乗ったとすれば……」


頭を握り潰されかけた時の、あの頭蓋骨が内側へとメキメキとたわむほどの絶望的な暴力を思い出し、私がそう言いかけた、その瞬間だった。


ズゴゴゴゴゴゴォォォォォォッ!!!


突如として、王都の広場を囲む大地そのものが、悲鳴を上げて隆起した。

局地的な大地震のような轟音と激震に、私とザントは弾かれたようにゼンガルの方へと視線を向ける。


「「…………は?」」


私とザントの口から、全く同時に、間抜けな驚愕の声が漏れた。

それは、私たちのこれまでの常識と物理法則を、根底から粉々に叩き割る光景だった。

ゼンガルは、広場の端に生えていた『大木』――大人が十人がかりでも腕を回しきれないほどの極太の幹を持ち、樹齢数百年はあろうかという巨大な神木の根本に歩み寄っていた。

そして、ただその細く優雅な片手を、苔むした大木の幹に無造作に添え。

まるで、道端に生えている邪魔な雑草でも摘み取るかのような、あまりにも軽く、日常的な動作で。


ブチブチブチィィィッ!!!という、地脈が引きちぎられるような悍ましい音と共に。

数千トンの土砂と、王都の地下深くにまで絡みついた強靭な根を岩盤ごと引き剥がし、その超巨大な大木を『片手で引っこ抜いた』のだ。


「ウ、ウソだろ、おい……ッ!? なんだあのデタラメな腕力は!?」

ザントが驚愕に目を剥き、無意識のうちに数歩後ずさった。

「さあ、お待たせいたしました。泥ネズミの駆除作業……第二幕と行きましょうか」

根の先端から大量の土砂と岩盤の塊を雨のようにボトボトとこぼし落としながら、見上げるほどの大木が、天を覆い隠す巨大な影となって私たちにのしかかる。

その信じられない質量を片手で軽々と持ち上げたゼンガルは、紳士の顔に獰猛な狂気を満開に咲かせたまま、私たちに向かってその理不尽な暴力を横薙ぎに振り抜いた。


「――お気をつけて。少し、風が吹きますよ」


ブンッ!!!


ただ、大木を振るっただけ。

だが、その常軌を逸した物理的な質量が音速に近い速度で空間を移動したことで、暴風雨のような凄まじい『衝撃波』が広場を薙ぎ払った。

メキィィィッ! バキバキバキバキッ!!!

大木の直撃を受けた周辺の森の木々たちが、まるで脆い爪楊枝か乾いたパスタのように次々とへし折られ、根こそぎ宙へと吹き飛んでいく。空気が圧縮され、カマイタチとなって私たちの肌を切り裂きにくる。


「天使ちゃん、舌噛むなよッ!!」

ザントは咄嗟にスラスターを最大出力で噴射した。

青白い爆炎が石畳を焦がし、迫り来る大木の薙ぎ払いと、弾丸のように飛散する無数の木々の破片を、上空への決死の跳躍で間一髪で回避する。

ドバァァァンッ!!と、私たちがコンマ一秒前までいた空間を、大木の先端が通過していく。凄まじい風圧が私の泥まみれの髪を荒々しく乱し、巻き上げられた瓦礫の破片が頬をかすめ、新たな血の線を引いた。


「なんなのだ、あのバケモノは……!」

私はザントの熱を持った装甲に必死にしがみつきながら、悪態をついた。

「《筋力増強》が初級魔法だと言ったな! 見習いが気休めに使う程度だと言ったではないか!」

「知るかよ! あれは魔法の力じゃねぇ……あいつ自身の、元から持ってる基礎筋力が根本的にバグってやがるんだ!!」

ザントの絶叫が、暴風の中で響いた。

その通りだった。魔法というのは、対象の元々の能力を掛け算で増幅させるものだ。もし、一般的な騎士の元の筋力が『1』ならば、初級魔法の『1.5倍』をかけたところで『1.5』にしかならない。

だが、もしゼンガルの元の筋力が『1万』だったとしたらどうなる?

たった1.5倍の初級魔法であっても、その増幅量は『1万5千』という、世界そのものを破壊しかねない規格外の暴力を生み出すことになる。優美な細剣という上品な武器で隠されていただけで、この男の本質は、異常なまでの筋肉密度と極限の膂力を誇る、純粋な『パワー型の化身』だったのだ。


「おや、避けますか。ネズミは飛び跳ねるのだけは得意なようだ。……ならば、これならどうです?」

空中に逃れた私たちを見上げ、ゼンガルは血に飢えた捕食者のように笑った。

彼は大木を持っていないもう片方の手を、無残に砕けた石畳の下――大地へと深々と突き入れた。

そして、王都の分厚い地盤と岩盤の塊を、家一軒ほどもある超巨大な岩の塊を、まるで発泡スチロールでも扱うかのように片手で軽々と抉り出した。

彼は、その巨大な岩塊を持ったまま、野球のピッチャーがボールを投げるかのような、完璧で無駄のないフォームで腕を大きく振りかぶった。


「潰れなさい」


ズドォォォォォンッ!!!

大砲から撃ち出されたかのような轟音。放たれた巨大な岩盤が、音速を超え、空気を赤熱させながら砲弾となって私たちへと一直線に飛来した。


「うおぉぉッ、冗談じゃねぇぞ!?」

ザントが空中でスラスターの推力を強引に偏向させ、身をよじってギリギリのところで岩の直撃を回避する。

だが、私たちのすぐ横を通過した岩盤の風圧だけで、サイボーグの数百キロある巨体が木の葉のようにバランスを崩しかけ、私もしがみつくのに必死だった。

ドゴォォォンッ!と、私たちが避けた岩盤が遥か後方の城壁に激突し、爆薬を仕掛けたかのような凄まじい爆発を起こして粉々に砕け散り、巨大なクレーターを穿った。


「まだまだ、弾ならいくらでもありますよ。さあ、踊りなさい!」

ゼンガルが楽しそうに、本当に心の底から愉快そうに笑いながら、次々と地面の岩盤を片手で抉り出し、機関銃のような連続速度で天に向かって投擲してくる。

ズドォン! ドゴォン! ズバァァァンッ!!

空気を引き裂く轟音が連鎖し、空が巨大な岩の弾幕で埋め尽くされる。


「クソッ! あいつ、本当に人間かよ!? 腕の筋肉どうなってんだ!」

「ザント、右だ! 次は左下から三連撃で来るぞ!」

広場は一瞬にして、巨大な隕石の雨が降り注ぐ、絶望的で理不尽な弾幕回避ゲームと化した。

私はかつての高位天使としての動体視力を極限まで振り絞り、迫り来る岩の軌道を先読みしてザントの耳元で怒鳴り続ける。

ザントは背部のスラスターを細かく、そして激しく噴射させ、縦横無尽に空を駆けながら、迫り来る家ほどの岩盤を次々と間一髪で避け続ける。少しでもかすれば、ザントの強靭な装甲ごと、私の脆弱な肉体など赤いミンチにされてしまう理不尽な質量兵器の嵐。


「……ハァ、ハァ……マジで冗談じゃねぇぜ、あの水色頭……!」

無数の岩盤をすり抜け、ザントが空中で辛うじて体勢を立て直し、半壊した壁面を蹴って広場の端へと着地する。

ズザザザザッ!と火花を散らして止まった彼の両腕の関節からは、限界を超えた急激な回避行動の連続による高負荷で、危険を知らせる赤いランプが点滅し、シューシューと激しい排熱の蒸気が噴き出していた。


「ザント、大丈夫か。お前の駆動系が限界に近いぞ……!」

「へっ、気にしてる余裕はねぇよ。それに、どんなデタラメなパワーバカだろうと、図体がデカい攻撃なら、やりようはいくらでもある」


ザントは、過熱した二つの刀を力強く握り直し、ギリッと鋼鉄の牙を鳴らして不敵に笑った。

私も彼の背中で荒い息を整えながら、決して枯渇することのない右手の小指――無限に使える『豊穣の権力』を再び熱く滾らせる。

紳士の皮を脱ぎ捨てた、理不尽なまでの質量の化身。

たった三日前に国に反旗を翻した、鉄の巨漢。

そして、泥にまみれてもなお神の誇りを捨てない、堕ちた天使。


巨大な大木を片手に担ぎ、もう片方の手で岩盤を弄ぶゼンガルを前に、絶望の泥沼の中で、私たちの反撃の次なる一手が試されようとしていた。


 ザントは二つの刀を握り直し、ギリッと鋼鉄の牙を鳴らした。

 私も背中で息を整え、無限に使える右手の小指の『豊穣の権力』を再び熱く滾らせる。

 紳士の皮を被った破壊の化身と、たった三日前に反旗を翻した鉄の巨漢、そして泥にまみれた堕天使。

 王都を揺るがす規格外の死闘は、いよいよその熱を極限まで高めつつあった。

「.......最終手段を使うしか......」


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