表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/38

27話 第3番隊隊長ガイム

――王城バベル・スパイア、中層テラス。


ビター・アルカイデは、冷たい朝の風に純白の総隊長マントをはためかせながら、遥か眼下の広場で起きている事象を静かに見下ろしていた。

その手には、白磁のバイオリンと細い指揮棒が握られている。先ほど、洗脳した身内を詰めた『空間収容瓶』を、寸分の狂いもなく敵陣の中央へ射出するために振るわれたものだ。

かつての仲間を爆弾として投下し、身体だけでなく心ごと粉々に叩き折る。

それが、女王エノクの狂気的かつ合理的な意向を汲み取った、完璧な絶望のシナリオのはずだった。


だが。

遥か下層から吹き上がってくるのは、悲鳴でも命乞いでもなく――大地を揺るがすほどの、怒りに満ちた地鳴りのような『咆哮』だった。


「……総隊長」

背後に控えていた第1番隊隊長・ゼンガルが、涼しげな顔のまま歩み出て声をかけた。

「どうやら、あの仕掛けは失敗だったようですね。内部からの精神的崩壊を狙いましたが……逆に、ネズミどもの士気がかつてないほどに上がってしまっている。貴女も、直に下へ出向かれますか?」


その言葉を聞き、ビターは無言のまま眼下を睨みつけた。

朝靄の向こう側、血に染まった広場の中央で、泥にまみれた弱者たちが誰一人として逃げ出すことなく、天に向かって反逆の刃を突き上げているのが見える。


(なぜ……)

完璧な盤面、完璧な絶望を与えたはずだった。

かつて、誰よりも優しく才能に溢れていた妹のミルクが、民衆の身勝手な声と重圧によっていとも容易く心を壊されたように。人間などという脆弱な生き物は、圧倒的な不条理と悲劇の前では、無様に這いつくばって折れるはずなのだ。

なのに、なぜあいつらは立ち上がるのか。

愛する者を理不尽に殺され、泥水を啜らされながらも、なぜあれほどまでに熱く、狂おしいほどの光を瞳に宿して前を向けるのか。


ギリッ……。

無意識のうちに、ビターは自身の薄い唇を強く噛み締めた。

微かな血の鉄の味が口内に広がり、完璧な機械であるべき彼女の冷徹な仮面に、ほんの一瞬だけ、苛立ちとも焦燥ともつかない人間らしい亀裂が走る。

妹を壊した『人間の脆さ』を憎み、心を捨てたはずの自分自身が、泥臭く立ち上がる彼らの圧倒的な生命力によって否定されたような気がしたからだ。


だが、ビターはすぐに目を伏せ、冷酷な理性でその亀裂を完全に塞ぎ込んだ。

再び目を開いた時、その瞳にはもはや一切の感情の揺らぎはない。


「……森の中では、私の飛剣を飛ばすのは危険です。味方を巻き込む恐れがある。あいつらの拠点に収容瓶をピンポイントで入れるのが精一杯。あのように広い場所へ出てきてしまっては……」

ビターはゼンガルを一瞥し、指揮棒をスッと下ろした。

「私はここで、自分の千里眼を使って貴方達の盤上を完璧に管理します」


そして、眼下の戦場へと冷徹な視線を向け、凛とした、しかし絶対零度の号令を響かせた。

「……作戦は続行です!!」


「小細工が通用しないというのなら、ただ圧倒的な力の差ですり潰すまでです。各部隊長に伝達……これより、全軍による一斉突撃を開始しなさい。一匹残らず、ドロステの正義の元に『浄化』するのです」


「はっ!! 全軍、総隊長命令! 突撃開始ィィィッ!!」

通信用の魔道具を構えた副官の絶叫と共に、指令が光の信号となって包囲網の各部隊へと伝播していく。


チャキィィィンッ!!


広場を取り囲んでいた数千の聖騎士たちが、一斉に純白のマントを翻し、殺意に満ちた怒号を上げて雪崩を打つように動き出した。

迎え撃つのは、リドを先頭に、悲しみを復讐の炎に変えた裏都市の獣たち。


「「「殺せェェェェェッ!!!」」」

「「「ドロステの正義にひれ伏せェェェッ!!!」」」


純白の軍勢の波と、泥に塗れた反逆者たちの群れ。

決して交わることのない二つの巨大な意志が、ついに広場の中央で激突する。

剣と鉄パイプが激しく交わり、火花と鮮血が朝の空に舞い散る。怒号と悲鳴が入り混じる地獄の釜の蓋が、完全に開け放たれた。


ドロステ王国の歴史上、最も凄惨で泥沼の死闘となる『本当の戦い』が……今、本格的に幕を開けたのだった。


ガァァァァァンッ!!


鼓膜を破るような金属の激突音と共に、純白と泥黒の二つの波が正面からぶつかり合った。

王都の中心に位置する広場は、瞬く間に血で血を洗う凄惨な乱戦の舞台へと変貌した。


「足を止めるな!! 奴らの陣形は机上の空論だ、実戦の泥臭さを知らない!」


魔力を使い果たし、肉弾戦を封じられた私は、後方の瓦礫の上に立ち、戦場全体を俯瞰しながら指揮官としての役割に徹していた。私の『戦いの頭脳』が、聖騎士団の規則正しい包囲網の中に生じる僅かな綻びを次々と見つけ出していく。


「右翼の動きが鈍い! 盾の隙間、鎧の関節部分を狙え! 真正面から打ち合うな、泥を投げ、足元をすくい、複数人で一人の騎士を確実に地に引きずり下ろせ!!」

「うおおおおッ!! 天使様の言う通りにしろ!!」

「足を止めれば死ぬぞ!! 喰らいつけェェェッ!!」


私の的確な指示と、それに呼応する裏都市の住人たちの狂気じみた連携が、聖騎士団の計算を狂わせていく。

装備の質も、個人の戦闘能力も、圧倒的に聖騎士団の方が上だ。だが、裏都市の者たちには『死への恐怖』が完全に欠落していた。

腕を斬り飛ばされようが、腹を刺されようが、彼らは倒れない。血反吐を吐きながらも聖騎士の純白のマントにすがりつき、兜の隙間から顔面に噛みつき、狂ったように鉈や鉄パイプを振り下ろす。

その人間離れした怨念の猛攻に、訓練されたはずの聖騎士たちが次々と悲鳴を上げて隊列を崩し始めていた。


「どけェェェェッ!! この白豚どもがァァァッ!!」


その乱戦の最前線で、ひときわ巨大な暴風を巻き起こしているのが、ザントだった。

失った左腕の断面から火花とオイルを撒き散らしながら、彼は背中のブースターを全開にし、生身の騎士たちをまるでボーリングのピンのように次々と撥ね飛ばしていく。

残された鋼鉄の右腕が唸りを上げ、大盾ごと聖騎士を粉砕する。彼は自身の体が壊れることすら厭わず、裏都市の民を守るための最大の『矛』であり『盾』として、鬼神のごとき奮迅の働きを見せていた。


四方八方から迫る聖騎士団を、怒りと狂乱のカウンターで次々と押し返していく反逆者たち。

その混乱の渦を縫うように、一人の少年が、血走った瞳のまま戦場を駆け抜けていた。


リドだ。

彼はマリィの血がべっとりと染み付いたダガーを逆手に握り、一切の無駄を省いた獣のような低い姿勢で、聖騎士たちの刃を掻い潜っていく。

彼の目には、もはや周囲の雑兵など映っていなかった。ただ、この理不尽な死のゲームを敷いた『隊長格』の首だけを狙い、殺意のコンパスに従って東の広場へと突き進んでいた。


――そして。

リドが、分厚い盾の陣形を敷いていた一団を横から抜けようとした、その時だった。


ズドォォォォォォンッ!!!


突如として、リドの目の前の石畳が爆発したかのように吹き飛んだ。

巨大な『神旋風』が横薙ぎに空間を切り裂き、リドの周囲にいた敵味方問わない数名の兵士たちが、木の葉のように宙を舞って絶命する。


「……ッ!!」

リドは間一髪で後方へ跳躍し、舞い上がる土煙の中でダガーを構え直した。


ズシン、ズシン……。

土煙を真っ二つに割って、重々しい足音が響く。

そこから姿を現したのは、身の丈をゆうに超える巨大な大剣を肩に担いだ、筋骨隆々の巨漢。

圧倒的な威圧感を放つその男こそ――第3番隊隊長、ガイムだった。


「チッ……。どいつもこいつも、行儀の悪いドブネズミどもめ。エノク様の美しい王都を、泥と血で汚しやがって……」


ガイムは忌々しげに地面に唾を吐き捨て、肩に担いだ大剣をゆっくりと下ろし、その切っ先をリドへと向けた。

巨大な熊のようなガイムの前に立つと、ダガーを構えたリドの姿は、あまりにも小さく、ひ弱に見えた。


「おい、そこのクソガキ。お前らみたいな最底辺のゴミが、俺たち聖騎士団に勝てると思ってるのか?」

ガイムが嘲笑うように太い声を響かせる。


だが、リドは後ずさりすることなく、マリィの血に濡れたダガーをさらに強く握りしめた。

その瞳の奥で、復讐の業火がさらに激しく燃え上がる。


「……勝てるかどうかなんて、どうでもいい」


リドの口から紡がれたのは、地獄の底から響くような、低く冷酷な声だった。


「俺はただ……マリィから未来を奪ったお前らを、一匹残らず肉片に変えてやるだけだッ!!」


「威勢だけは一人前だな……! なら、その薄汚い命ごと、俺の大剣でまとめて両断してやるよォォォッ!!」


ガイムの咆哮と共に、大気が震える。

大切な者を喪い、復讐の鬼と化した少年と。

王国の正義を掲げ、圧倒的な力で弱者を蹂躙する大剣の隊長。

血塗られた広場の片隅で、決して交わることのない二人の死闘が、今、火蓋を切った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ