24話 洗脳の小瓶と、ガチで潰しに来る正義
冷たく湿った水路を抜け、王都の地上へと出た我々を待っていたのは、眩しいほどの朝の光だった。
バベル・スパイアの広場を一望できる廃墟群の一角。そこは、昨夜のうちに私が目星をつけ、密かに準備を整えさせておいた『反逆の拠点』だった。
瓦礫の山に身を潜めながら、我々は王都の心臓部へ向けてついに戦いを挑む。
「……ここまでは予定通りだ。これより、本格的な作戦を開始する」
私は拠点の中央で、泥だらけの地図を広げ、リドやザント、そして武装した裏都市の人々を見回した。
昨夜のうちに、私の戦いの頭脳と、かつて聖騎士団に所属していたザントの内部情報をすり合わせ、綿密な迎撃プランを練り上げておいたのだ。
「ザントの提供した情報によれば、ドロステ聖騎士団は基本的に『番隊』ごとに別れ、四方八方から包囲するように攻め込んでくるのが常套手段だ」
私の言葉を引き継ぎ、ザントが地図の三箇所を指でトントンと叩いた。
「ああ。だが、今は『第4番隊隊長』である俺がこっち側に寝返ってるからな。実質的に、敵の包囲網は3つに減っている可能性が高い」
「もしかしたら、昨日の今日で新しい4番隊長を補充している可能性もあるのではないか?」
私が冷静に指摘すると、ザントはふっ、と鼻で笑って首を横に振った。
「いや、それはないね。俺がドロステを抜けたのは、つい昨日のことだ。そんな短期間で、隊長クラスの穴を埋められる奴がポンと任命されるはずもねぇ。俺が知る限り、4番隊ってのは大半が遊撃部隊で、前線に駆り出されることはほとんどないんだ。俺自身、いっつも自由気ままにサボってたけど、ただ『腕っぷしの力』があったから特例で隊長に任命されてただけだしな」
ザントは自身の鋼鉄の腕を軽く鳴らし、ニヤリと口角を上げた。
「なにより、女王エノクも、総隊長のビターも……俺たち裏都市のドブネズミのことなんて、多分というか、確実に『舐めて』いるさ。完璧な自分たちの作戦が崩されるなんて、微塵も思っちゃいねぇよ」
敵の慢心。それこそが、圧倒的な戦力差を覆すための最大の糸口となる。
私は地図の駒を動かし、最終的な配置を全員に確認させた。
「敵が舐めてかかってくるなら、好都合だ。我々は軍勢を三つに分け、それぞれの部隊長を各個撃破する」
一つ目の駒を押し出す。
「リド。貴様の部隊は、力自慢が集まるガイムの『第3番隊』を相手にしろ。貴様の機動力で翻弄し、敵の足並みを崩すんだ。マリィの安全は絶対に確保しろよ」
「ああ、任せておけ! あんなデカブツども、俺のスピードで裏をかいてやる!」
二つ目の駒を動かす。
「ザント。貴様は因縁があるだろう、ヴェリーナの『第2番隊』を叩け。機械の馬力で、奴の絡め手を真っ向から粉砕してこい」
「へっ、上等だ。あのすかした女の顔、この鉄拳で歪ませてやるよ」
そして、最後の一つの駒を、地図のど真ん中に置く。
「私は、ゼンガルが率いる本陣の『第1番隊』を相手にする。老獪な指揮官だが、神の眷属の知恵で必ず突破口を開いてみせよう」
それぞれの役割が明確に決まり、拠点に集まった人々の顔に、確かな闘志が宿った。
不安はない。全ては私の計算通りに進んでいる。
「じゃあ……行こう!」
リドが力強く声を上げ、武器を空高く掲げた。
「俺たちの居場所を取り戻すために! ド・ガンのおっちゃんを助け出すために!」
「「「おおおおおッ!!」」」
裏都市の住人たちが一斉に鬨の声を上げ、三つの部隊はそれぞれの目標地点へと向けて、拠点から放射状に散っていった。
いよいよ、血で血を洗う王都の決戦が幕を開けたのだ。
――しかし……。
完璧だったはずのその盤面が、恐るべき『悪意』によってすでに塗り替えられていたことに、この時の我々はまだ気づいていなかったのである。
三つの部隊に分かれ、意気揚々と拠点を飛び出そうとした、まさにその瞬間だった。
――ヒュンッ、ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!!
突如として、上空から空気を切り裂く無数の異音が鳴り響いた。
見上げると、朝日で白み始めた空を埋め尽くすほどの、不可視の魔力を帯びた『無数の飛剣』が、雨あられのように降り注いできたのだ。
「な、なんだこれは!?」
「ぎゃあぁぁっ!」
迎撃の準備をしていた裏都市の人々の間に、数本の飛剣が深々と突き刺さる。血しぶきが舞い上がり、前衛に出ようとしていた何人かの男たちが、悲鳴を上げてその場に倒れ込んだ。
「パニックになるな!! とにかく瓦礫の影に身を隠せ! 今は避けることに専念しろ!!」
私は声を張り上げ、逃げ惑う民たちを近くの頑丈な廃墟の中へと怒鳴りつけた。
これは、あの総隊長ビターの能力だ。敵はこちらが散開する前に、広範囲の殲滅爆撃で出鼻を挫きに来たのだ。
無数の飛剣が石畳を穿ち、建物を削り取る。凄まじい破壊音の中で、私たちは息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。
やがて――数分間の地獄のような剣の雨が、ピタリと止んだ。
静寂が戻ったかと思われた、次の瞬間。
ズドォォォォォォンッ!!!
拠点としていた廃墟の外側から、建物の壁を丸ごと吹き飛ばすほどの、規格外の巨大な『剣の衝撃波』が叩き込まれた。
「ちぃッ! ガイムの大剣の神旋風だ!!」
ザントが顔をしかめ、叫び声を上げる。
「あんなバカげたモン、生身で当たったら一溜りもねぇぞ!!」
その言葉の通り、ガイムの放った衝撃波は、リドとマリィが身を潜めていた巨大な瓦礫を、飴細工のように木端微塵に粉砕してしまった。
「くそっ、マリィ、俺から離れるな!」
土煙が舞う中、リドは咳き込みながらも、小さなマリィの身体をしっかりと両腕で抱え込み、安全な私のいる場所へと必死に駆け寄ろうと地面を蹴った。
だが。
「――っ!!! 危ない、リド!!」
ザントが血相を変えて怒鳴り声を上げた。
彼は瞬時に背中のブースターを全開にし、凄まじい爆炎を吹き出しながらリドの元へと飛び出そうとした。だが……彼の反応速度をもってしても、遅かった。
土煙を切り裂いて、亡霊のように音もなく現れたのは、第2番隊隊長ヴェリーナ。
彼女は氷のように冷酷な眼差しで、無防備なリドの首元めがけて、残酷に磨き上げられた双剣を交差させるように振り下ろしたのだ。
「させかぁッ!!」
ザントは間一髪のところでリドの背中を思い切り突き飛ばした。
ドンッ!という強い衝撃を受け、リドはマリィを抱きしめたまま、地面を無様に転がっていく。
直後、ザントの鋼鉄の腕がヴェリーナの双剣をガキィィンッ!と火花を散らして受け止めた。
「てめぇ、ヴェリーナ!! 背後からガキごと斬り捨てるのが、ドロステの騎士のやり方かよ!」
ザントが怒りに顔を歪めて吼える。
だが、刃を交えながら、ヴェリーナの表情は一切崩れなかった。彼女はただ、流し目で冷たく一言だけ言い放った。
「……私の獲物は、そちらではありません」
「――は?」
ザントが怪訝に思い、そして私自身も、嫌な予感に心臓を鷲掴みにされて振り返った。
ザントに強く突き飛ばされ、地面を転がったリド。
彼がようやく体勢を立て直そうと顔を上げた、まさにその先。
舞い上がる砂塵の中から、第1番隊隊長・ゼンガルが、巨大な細剣を構え、無慈悲な死神のように立っていたのだ。
時間が、粘り気を帯びて凍りついたように感じられた。
「リド、逃げろォォォッ!!」
私の絶叫が空気を震わせるより早く。
ズプッ……。
ひどく鈍く、そして耳障りな肉を断つ音が、戦場に響き渡った。
「あ……」
ゼンガルの容赦なく突き出された凶刃は、逃げ場を失ったリドの身体を貫いていた。
いや、違う。
リドはマリィを胸に抱き抱え、庇うようにうずくまっていたのだ。だからこそ、ゼンガルの剣は――まず、最も外側にいた『小さな紫色の髪の少女の背中』から突き入り、その薄い胸を無惨に貫通し、そして、そのまま奥にいるリドの腹部へと深々と突き刺さっていた。
皮肉なことに。
リドが守ろうとしたその小さな命が、無慈悲な剣のクッションとなり……結果的に、リド自身は比較的浅い傷で済んでいたのだ。
「が、はッ……」
リドの腕の中で、マリィの小さな身体がビクンと痙攣し、その小さな口から赤黒い鮮血がゴボッと溢れ出した。紫色の髪が、泥と血で汚れていく。
「あ、ああ、あああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
脳の奥で、何かがぶつんと千切れる音がした。
私は神の眷属としての冷静さも全て放り出し、獣のような咆哮を上げて大地を蹴った。一心不乱にゼンガルの懐へと飛び込み、その硬い装甲も構わずに、持てる全ての力で渾身の蹴りを顔面に叩き込む。
「ぐふぅッ!?」
想定外の膂力による一撃に、さしものゼンガルも体勢を崩して吹き飛んだ。ズブリと、剣が二人の身体から引き抜かれる。
「マリィ! リド!」
私は倒れ込んだ二人の横に膝をつき、震える両手を翳した。
回復を司る『豊穣の権力』。私の魔力は空っぽに近いが、それでも、少しでも命を繋がなければ。
「お願いだ、治れ……治れッ!!」
私の両手から、淡い緑色の光が漏れ出す。
だが、その光は蛍の火のように力なく点滅し……マリィから絶え間なく流れ出る大量の血を止めることもできず、ふっと虚しく掻き消えてしまった。微力すぎて、開いた大穴を塞ぐことなど到底できない。
「アザ、ゼル……」
腹を押さえながら、リドが苦痛に顔を歪めて身を起こした。彼自身の腹部も血に染まっているが、致命傷には至っていない。だが、彼の瞳は狂乱に染まっていた。
「俺は、俺は大丈夫だ……! だが、マリィが!! 俺を庇って、マリィがぁぁぁっ!!」
リドの血を吐くような絶叫が、朝の光に照らされた瓦礫の山に、悲痛に響き渡った。
「お願いだ……ッ! 死ぬな、マリィ!!」
私は血だまりに膝をつき、己の魂を削るような思いで『豊穣の権力』を振り絞った。
私には、人間や精霊が使うような『魔力』などという便利なものは一切ない。だが、ソロモンから奪った神より与えられし『権力』とは、魔力の多寡ではなく、神から力を、宿った部位の大きさに応じて、神から直々に借りているものだ。しかし、何やらイレギュラーが起こった。
「ああああぁぁぁぁッ!!」
私が一心不乱に叫び、血まみれの少女の胸に手を押し当てると――絶望の底に落ちた私の必死の意志がトリガーとなったのか、先程まで消えかけていた淡い緑色の光が、突如として眩いほどの輝きを放ち始めた。
豊穣の光がマリィの身体を包み込み、無惨に引き裂かれた肉と血管を、強引に縫い合わせるように再生させていく。
少しずつ、少しずつ。マリィの青ざめた頬に微かな血の気が戻り、致命傷だったはずの傷口が、奇跡的に塞がり始めていった。
一方、その背後では。
「てめぇらァ!! よくもマリィを……ッ!」
「ぶっ殺してやる!! 聖騎士団の犬どもめ!!」
リドが腹の傷を押して立ち上がり、ザントと共に、そして激怒した裏都市の住人たちが一斉に武器を掲げて、ゼンガルとヴェリーナの二人へと雪崩れ込もうとしていた。
数の暴力。いくら隊長格とはいえ、何十、何百という死を覚悟した暴徒をたった二人で同時に相手にするのは無謀だ。
「……チッ。数が多すぎますね。一旦退きますよ、ゼンガル」
ヴェリーナは冷徹に状況を判断すると、舌打ちを一つ落とし、ゼンガルの襟首を乱暴に掴んだ。
次の瞬間、かつて『最速』と呼ばれた彼女の身のこなしにより、二人の姿は風のようにブレて、一瞬にして瓦礫の向こう側へと消え去ってしまった。
「逃げたぞ!!」
「……くそっ、追うな! 深追いすれば罠にハマる!!」
ザントが怒り狂う住人たちを制止する。
私は荒い息を吐きながら、何とかマリィの命を繋ぎ止めたことに安堵し、へたり込んだ。
幸いだった。この場に攻め込んできたのがあの二人だけであり、しかもすぐに撤退してくれた。これで一旦、体勢を立て直すことができる……。
そう、誰もが胸を撫で下ろした、その時だった。
――ヒュンッ。
はるか上空、王城のバベル・スパイアの方角から、小さな『影』が放物線を描いて飛来した。
それは、矢でも剣でもなく、手のひらサイズの謎の小瓶だった。
カチャンッ!と小瓶が我々の陣形の中央の石畳に落ちて砕け散った瞬間、中からドス黒い紫色の煙が猛烈な勢いで吹き出した。
「なんだ、毒ガスか!?」
「離れろ!!」
煙が晴れた直後。
そこに立っていた『人物』を見て、リドとマリィ、そして裏都市の誰もが息を呑み、目を丸くした。
「……ド・ガン……のおじちゃん……?」
「ド・ガン!? お、おい、おっちゃん! 無事だったのか!?」
空間圧縮の魔道具か何かで小瓶の中に封じ込められていたのか、そこに現れたのは、我々が血眼になって探し、奪還しようとしていた心優しき大男、ド・ガンだった。
だが……その様子は、明らかに異常だった。
ド・ガンの瞳からは完全にハイライトが消え失せ、焦点の合わない目で虚空を見つめている。そしてその口からは、獣のような濁ったよだれが垂れ下がっていた。
「グルルゥゥ……ッ!!」
次の瞬間。
ド・ガンは両手に握りしめた巨大な鍛冶用のハンマーを高く振りかざし、なんと、血だまりで動けない私とマリィの頭上めがけて、躊躇なく襲いかかってきたのだ!
「なっ!? どうしたんだよおっちゃん!? なんで俺たちを……ッ!」
「危ねぇっ!!」
ガギィィィィンッ!!
間一髪。鋼鉄の腕を交差させたザントが猛烈な勢いで割って入り、ド・ガンの振り下ろした大ハンマーを真正面から受け止めた。
ザントの膝が軋み、足元の石畳がクレーターのように陥没するほどの、凄まじい膂力。
「無理だ、リド! 呼びかけても無駄だ! こいつ……完全に『操られて』やがる!!」
ザントは歯車を軋ませ、ハンマーを必死に抑え込みながら大声で叫んだ。
「さっきの小瓶はな……『空間収容瓶』って特殊な魔道具だ! 中に人間を閉じ込めると同時に、脳の神経を焼き切って命令だけを聞く人形に変える『洗脳ガス』が仕込まれてるんだよ!!」
「洗脳ガス……!? じゃあ、おっちゃんは……!」
「ああ! 俺たちを殺すための自律兵器にされちまったんだよ! それに……」
ザントは血走った目で、小瓶が飛んできた王城の方角を鋭く睨みつけた。
「あんな遠距離から、ドンピシャで俺たちの拠点のど真ん中に小瓶を投げ入れるなんて、普通の人間業じゃ不可能だ! おそらく……あの新総隊長、ビターの奴が自分の能力を使ってここまで正確に射出してきたんだ……!」
敵の戦術の恐ろしさに、私は背筋が凍るのを感じた。
ヴェリーナとゼンガルによる強襲は、単なる陽動。我々の陣形と注意を乱したところに、洗脳された身内を『爆弾』として陣形の中央に撃ち込んだのだ。
「クソッ……! 今ここで、洗脳された身内に内部から陣形を崩されて……さらに外側からは、この間にも聖騎士団の主力部隊が確実に包囲の輪を縮めてきてるはずだ……!」
ザントは、かつての仲間の凄まじい力にジリジリと押されながら、ギリッと悔しげに歯を食いしばった。
「こりゃあ、完全に一杯食わされたぜ……。俺たちのことを舐めてかかって、各個撃破できるかと思ってたが……。あいつら、俺たちをゴミ扱いしながらも……戦術自体は、完璧に『ガチ』で潰しに来てやがる……!」
逃げ場のない包囲網と、内部で暴れ狂う家族。
反逆の狼煙を上げたばかりの我々は、エノクとビターの敷いた冷酷で完璧な盤面の上で、早くも最悪のチェックメイトを突きつけられようとしていた。




