21話 睡眠?ああそんなの良くない?
深い静寂に包まれた裏都市の避難所。
あちこちでドラム缶の焚き火がパチパチと微かな音を立てて爆ぜ、疲れ切った避難民たちの穏やかな寝息だけが、薄暗い地下空間に響いていた。
瓦礫の影に背中を預け、浅い眠りについていた私だったが――。
ガタッ。
不意に、少し離れた場所から金属が微かに擦れるような物音が聞こえ、私はパチリと目を覚ました。
魔力が枯渇していようと、私は神の眷属だ。気配や異音に対する警戒心は、下等な人間のように鈍くはない。警戒しながら視線を音の方角へと向けると、避難所の入り口へと続く通路の前に、胡座をかいて見張りに立っている大きな影があった。
「……寝なくていいのか、鉄屑」
私が瓦礫から身を起こし、足音を忍ばせて近づきながら声をかけると、その影――ザントは、肩越しにこちらを振り返った。
「おお、天使ちゃん」
ザントは金属の腕を膝に突き、ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべた。
「なに? 明日の決戦にビビって悪夢でも見た? それとも、一人で寝るのが寂しくなったのか?」
「…………」
ガキィィンッ!!
私は無言のまま流れるような踏み込みを見せ、ザントの金属の頬めがけて、容赦のないフルスイングの裏拳をお見舞いした。
「いっだぁぁぁッ!? なんだよ!!」
鈍い金属音と共に顔面を弾き飛ばされたザントは、痛みに涙目を浮かべながら、機械の頬をさすって理不尽そうに叫んだ。
私はフンと鼻を鳴らし、再び右の拳を硬く握り締める。
「昔から、壊れた機械は叩いて直すのが一番効率的だと言うからな。貴様のその腐った言語回路も、物理的な衝撃でもう少しマシになるか試してやろうと思ってな」
「まっ……ちがっ! ごめんってば! 冗談だろ!?」
私が大真面目な顔で二発目の拳を振り上げると、ザントは慌てふためいて両手を前に出し、私の手首をガシッと掴んで止めた。
しかし私も神の眷属としての意地がある。全体重と微かな魔力を乗せて拳を押し込もうとし、ザントもそれを必死に抑え込もうとする。
「ぐぐぐぐ……ッ!」
「お、おい天使ちゃん、小さい体なのにどんだけ馬鹿力……っつーか、マジな目すんなって! 悪かったって!」
薄暗い通路で、人間とサイボーグの奇妙な力比べが数秒間続いた。
やがて、これ以上騒ぎを起こして眠っているマリィや避難民たちを起こすのは得策ではないと判断し、私はふいっと力を抜いて拳を下ろした。
「……ふん」
「ふぃー……あっぶねぇ。容赦ねぇな、本当に……」
ザントは冷や汗を拭うように額を撫で、安堵の息を吐きながら再び胡座をかき直した。
私も彼と少し距離を置いた手頃な木箱の上に腰を下ろし、腕を組んで改めて問いかける。
「で? 明日は早朝から王都の広場への強行突破だというのに、なぜ貴様が一人で見張りをしているんだ。人間は休息を取らねば、たちまちパフォーマンスが低下する脆弱な生き物だろう」
「あ? ああ、これか」
ザントは自身の鋼鉄の左腕をコンコンと軽く叩き、得意げに笑って見せた。
「俺は見ての通りのサイボーグだからな。身体の半分以上が機械化されてる。つまり、普通の人間みたいにたっぷり寝る必要はねぇんだよ。見張りくらい、俺一人で十分ってお気楽な話さ」
「……ふむ」
私は目を細め、焚き火の微かな明かりに照らされたザントの顔をじっと観察した。
確かに彼の身体は強靭な機械で構成されており、常人離れした馬力を生み出している。だが、その顔の半分に残された生身の皮膚――特に両目の下には、疲労の蓄積を物語るような、濃い隈がくっきりと張り付いていた。
「俺は寝る必要がない、か」
「なんだよ」
私は組んだ腕の指先でトントンと二の腕を叩きながら、冷ややかに事実を指摘した。
「……機械のくせに、それにしては目の下が少しばかり暗いようだがな。見栄を張って機能不全を起こすなど、三流のポンコツのやることだぞ」
「あ……はは……ナヴィの奴……変なところばかり、人間すぎるんだよ……」
私が目の下の暗い隈を指摘すると、ザントは自嘲するように乾いた笑いを漏らし、ぽりぽりと鋼鉄の指で頬を掻いた。
彼が自らを完全な機械だと言い張りながらも、疲労や睡眠欲といった人間らしい弱さを抱え込んでいるのは、おそらく彼を作った者の意図なのだろう。
「…………」
私は静かに腕を組み、パチパチと爆ぜる焚き火の炎を見つめるザントの横顔を観察した。
彼の口から時折こぼれるその名には、いつも深い泥のような感情がへばりついている。
「……お前の口から度々出る、その『ナヴィ』という名。貴様の創造主なのか? ……随分と、深く恨んでいるようだが」
私が単刀直入に問いかけると、ザントの肩がピクリと動いた。
そして――彼がこちらへ振り向いた瞬間、私は微かに息を呑んだ。
いつもの、人を食ったようなニヤついた笑みはどこにもない。
薄暗い炎に照らし出されたザントの顔は、今まで一度も見せたことのないような、氷のように冷たく、そしてどこまでも昏い『真剣な顔』へと一変していたのだ。
「……まあ、その通りだ。ナヴィは俺の創造主だよ」
ザントは静かに肯定し、地下の冷たい空気に溶かすように、ぽつりぽつりと語り始めた。
「あいつは『知恵の国、オリーブ』の女王でな……。すごく、紅茶が好きな奴なんだ」
「紅茶、だと?」
「ああ。飲む時はいつも、手入れの行き届いた綺麗なガーデンテーブルと、お気に入りの椅子に座って、最高級の綺麗なカップで飲むんだ。立って急いで飲むことなんて絶対にない。いつだって必ず、同じ綺麗な椅子に座って、そのガーデンテーブルで優雅に飲むんだよ。……多分、暇な時は一日中、ずっと狂ったように紅茶を飲んでるような奴だ」
その口調は淡々としていたが、創造主の異常なまでの完璧主義と執着を語るザントの目には、明らかな嫌悪感が渦巻いていた。
しかし、私はその話を聞いて、思わず呆れたように眉をひそめた。
「……毎日同じ庭で、ただ紅茶を飲んでいるだけ? それで……一国の女王だというのか?」
国家を統べる者が、そんな呑気に茶会ばかりしているなどあり得ない。ドロステのあの狂った女王エノクでさえ、自らの手で恐怖政治を敷いているというのに。
「ああ、女王だ。なんたって、あいつは『知恵の権力者』だからな」
ザントはふっと息を吐き、自らの鋼鉄の左腕を冷ややかな目で見下ろした。
「あいつは頭に権力を宿している、そんな優雅なティータイムを堪能出来るぐらい……ナヴィは、全てを『機械』で国を統べているんだよ」
「機械で国を……?」
「さすがに全部が全部機械って訳じゃないが……。ナヴィ自身は、重要な国家の話し合いにすら、自分の『人形』を出席させてる。いや、それだけじゃない。自分の精巧な人形を数え切れないほど、国のあちこちに配置しているのさ」
ザントの言葉に、私は戦慄を覚えた。
神の権力とは、それほどまでに異常なものなのか。
「なんでそんなに人形を置くかって? ……それくらい、国中の人間が『知恵の権力者』であるナヴィに、教えや助言を聞きたいと群がってくるからだよ。あいつの知恵は絶対だからな」
ザントはそこまで言うと、焚き火の炎から目を離し、真っ直ぐに私を見据えた。
その瞳の奥には、創造主に対する底知れぬ恐怖と、決して消えることのない憎悪が焼き付いていた。
「そして……その国のあちこちに散らばる何百、何千という人形の一人一人を。……ナヴィは、あの綺麗なガーデンテーブルで優雅に紅茶を飲みながら、全部『同時』に動かしているんだ」
「な……ッ」
私は絶句した。
数え切れないほどの人形を、別々の場所で、別々の人間と対話させながら、本人は優雅に紅茶を飲んでいる。それはもはや、人間の処理能力を遥かに超越した、本物の『神』の所業に近い。
「あれは……ただのバケモンだ。完璧な知恵で作られた、血の通ってない機械の国さ」
ザントはそう吐き捨てると、再び顔を背け、ぎゅっと自身の生身の右手を握りしめた。
彼がなぜ、そこまで故郷の女王を憎んでいるのか。なぜサイボーグにされてまで、このドロステの泥臭い裏都市へと流れ着いたのか。
その言葉の端々から、彼が背負ってきた壮絶な過去の一端が、ひしひしと伝わってきたのだ
「……それで。なんでそこまで、その女王を憎んでいるんだ?」
私が静かに問いかけると、それまで微かに震えていたザントの肩が、ビクリと大きく跳ねた。
そして次の瞬間、彼は弾かれたように顔を上げ、これまで聞いたこともないような怒りと悲痛が入り混じった声を張り上げた。
「当たり前だろ!! ナヴィの野郎はな!? この俺が望んでもいねぇのに、無理やりこんな機械の身体にしやがったんだよ!!」
ギリッ、と。彼の生身の歯と、機械の顎が軋む音が地下道に響く。
普段のおらついた態度は完全に崩れ去り、そこにあったのは、消えることのない絶望を抱えた一人の人間の素顔だった。
「しかも……な……20年だぞ……」
「……20年? 何がだ」
「20年もの間……俺は、機械にされる手術を受け続けてたんだよ」
吐き捨てるように言ったザントの言葉に、私は思わず目を見開いた。
20年。神の眷属である私にとっては瞬きのような時間であっても、人間にとっては人生の三分の一、あるいは半分を占めるほどの長大すぎる歳月だ。
「俺を『完璧なサイボーグ』にするために、あいつは俺を実験台にし続けた。……長く、長く、果てしない時間、俺は冷たい手術台の上で身体を切り刻まれて、少しずつ部品を埋め込まれていったんだ。痛くて、苦しくて、何度も死にかけて……。だから俺には、もう20年前の自分の記憶なんて、欠片も残っちゃいねぇ」
ザントは両手で自らの顔を覆い、ガタガタと震え始めた。
金属の指の隙間から覗く彼の表情は、ひどく歪んで、壊れかけていた。
「ただ一つ……あるのは……ナヴィに抱かれていた記憶があるだけだ。俺をこんな化け物に変えたあいつの、あの気味が悪いほど優しい温もりだけが、頭にへばりついて離れねぇんだよ……ッ」
「…………」
私は何も言うことができなかった。
ただ、彼の抱える壮絶な過去の重さに、黙って耳を傾けることしかできなかった。
「俺は……っ、だから……! 俺から全てを奪ったその20年……俺は、ナヴィを底の底から恨んでいる……!」
絞り出すようなザントの叫びと共に、彼の顔の右半分――機械化された瞳の奥から、ツー、と一筋の液体がこぼれ落ちた。
それは人間の涙ではない。限界を超えた感情の起伏によって排熱処理が追いつかず、機能の隙間から漏れ出した青白い『冷却水』だった。
しかし、顎を伝って焚き火の光を反射しながら地面に落ちるその雫は、間違いなく彼の魂が流した血の涙そのものだった。
「……っ、う……あぁぁっ……!」
嗚咽を漏らし、膝に突っ伏して泣き崩れるザント。
私はその痛々しい姿を少しの間だけ無言で見つめ――やがて、ゆっくりと彼に近づき、その広くて冷たい鋼鉄の背中を、無造作にバンッ!と叩いた。
「いっ……! な、なにすんだよ……!」
唐突な衝撃に、ザントは涙声のまま反論し、恨みがましく私を睨みつけた。
だが、彼はその背中に置かれた私の手を、振り払おうとはしなかった。ただすがるように、わずかに私の手のひらへ体重を預けてきたのだ。
「……鉄屑」
私は彼を見下ろしたまま、ふっと息を吐き、呆れたような、しかしどこか柔らかい声で告げた。
「お前……図体の割に、意外と子供っぽいな」
その言葉を聞いた瞬間、ザントの顔がぐしゃぐしゃに歪んだ。
「うるせぇよ……ッ! 放っとけよ、このバカ天使……!!」
いつものように軽口で言い返す余裕など、彼にはなかった。
ただただ、子供のように声を上げて泣きじゃくりながら、私に悪態をつくことしかできない。
私はその悪態を咎めることもせず、涙の代わりに冷却水を流し続ける不器用な機械の背中を、彼が泣き止むまで、ただ静かに、一定のリズムで叩き続けていた。




