プロローグ1 始まりの雪景色
此方からが本編のプロローグになります。
二つの運命は、時の流れのなかで複雑に交錯し、新たな糸を紡ぎ始める。
これより時は、とある男が六甲山中で失踪した日より六年ほど遡る。新たな糸を紡ぎ始めるために……。
◇◇◇
まだ夜が明けきらぬ黎明のなか、本来なら明け方になっても聞こえているはずの街の喧騒はシンと静まりかえり、物音ひとつしない静寂な世界に包まれていた。
そんな中で俺は、何かに呼ばれた気がして目を覚ますと、小さな明かりに照らし出された無機質な天井をひとり、忌々しく見つめていた。
『……、……』
「ちっ、またあの声かよ」
深夜まで仕事をして疲れ果てて眠っていた俺に、また『あの声』が聞こえ始めたからだ。
俺の耳に、いや、正確には頭の中に聞こえる声は、『あの時』からずっと俺を呼んでいるような気がしたが、それが何なのか、何を意味しているのかは全く理解できなかった。
ただ言えるのは、『あの声』が聞こえたあとは必ず悪夢を見る。とても悲しく、絶望と怒りに満ち、全てを呪いたくなるような酷い夢を……。
『……、……』
「今日は疲れているんだ、ホント勘弁してくれ。それとも俺は……、もう完全に『壊れて』しまったのか?」
思わず泣き言を言ったものの、俺には抗うこともできなかった。
『……、……』
「くそっ!」
俺を無視して呼び掛け続ける声が響くなか、抵抗も虚しく俺の意識は『彼方』へと吸い込まれていった。
とても辛く、悲しみに満ちた世界へと……。
次の瞬間、俺の視界は沈んだモノトーンの世界から、色鮮やかな明るい世界に変わった。
そこはまるで、俺自身が何かの主人公になったかのような世界、その中に存在する『誰か』の心の中に入り込み、その『彼』の中から何もできずただ世界を見ているだけだった。
ただ『彼』が感じた感情だけは、俺の心に共鳴するように強く響いていた。
とても切なくも悲しい気持ちと共に……。
◇◇◇ 神聖歴829年 ルリエラポルト聖王国 聖都ルリエラ
俺が『あの世界』と呼んだのは、欧風と中華風が変に混ざり合ったような一風変わった世界。
今回の夢もその世界で、俺は『彼』の中から、人々の営みを淡々と見つめていた。
この世界には12の国々が存在し、更にそれらの盟主となる国がある。それが世界各国に広がる神殿の総本山であり、魔王軍との戦いを主導していたルリエラポルト聖王国だ。
その中でも最も権威が高いとされた聖都ルリエラの中央神殿は、押し寄せた人々の上げる歓喜の声に満ちていた。
神殿へと繋がる聖都のメインストリートは、これまで世界に災厄をもたらしていた根源、魔王を討伐する役割を果たし晴れて凱旋した彼らを歓迎し、歓喜の声を上げて称賛する人々で埋め尽くされていた。
「シェンファ、これで貴方は名実ともに世界を救った救世主、誰もが認める英雄よ」
溢れんばかりの笑顔で自身を見つめる美しい女性に対し、『彼』の心は愛おしさのような特別な感情と胸の高鳴りを感じており、その思いは俺の心にも共鳴していた。
「出発時と比べると大層な話だが……、柄じゃないな。向こうの世界では一般庶民でしかなく、この世界でも『渡り者』と呼ばれずっと忌避されていた俺が、か?」
ここで『彼』は、気恥ずかしさからなのか、ぶきらっぽうな感じで斜に構えて答えることしかできなかった。
「私の願いに応じて世界を渡り、この世界を救った貴方が、よ。私たちだけでなく、ここに居る人たち、そしてこの世界に生きる人たちも全て、貴方が救ってくれたのだもの」
「ははは、願いに応じるもなにも勝手にアルシェが、俺をこの世界に拉致してきただけだろ?」
「それは……、でも私は事前に『お願い』と言ったもん!」
アルシェと呼ばれた女性は、少しバツの悪そうな様子で答えたあと、可愛く口を尖らせた。
「ここまで大変な『お願い』だとは、向こうの世界に住む常識しか知らない俺には、想像すらできなかったけどな」
「だから私も、シェンファには一生懸命尽くしたつもりよ」
「それは感謝しているさ、たださ、『尽くす』方向性が全く違って居たけどな。なんせ『巫女姫』様ときたら、深窓のお姫様だから常識も知らず、無自覚の我儘三昧だった気がするが?」
「そ……、それは多分、シェンファがこの世界の常識を知らなかったから、そう感じただけよ」
「そうか? この世界の常識に疎い俺が、逆に世間の常識を教えなきゃいけないぐらい、散々苦労させられたと思うが?」
「もう! シェンファは相変わらず意地悪よね。私だって皆に合わせるよう努力して、ずっと頑張って来たんだから」
「最も苦労して頑張ったのは、世間知らずの『巫女姫』に振り回され、こちらの世界を全く知らない『渡り者』の世話……、いや、監視役を命じられて、ずっと付き従わされて来た『四風』たち、だよな?」
そう言って『彼』は、すぐ後ろにいた四風と呼ばれた騎士たちのひとり、類稀なる短槍術の使い手であり、この世界ではずっと世話を焼いてくれた寡黙な若い男、西風の方を向いた。
「いえ……、ラ・アルシュさまの我儘や、思いついたら考えなしに突っ走ってしまうことも、世情を慮る必要のない王女殿下としては、無理もないことです。
しかも幼いころから世界を渡る門の担い手、巫女となるべく外界と切り離されて研鑽を積まれたのです。多少は浮世離れしていても当然のことかと」
「ゼロス、分かって言っているのか? 今の言葉、全くフォローになってないぞ?」
「あ、いや……、一介の槍騎士でしかない私は、巫女姫さまと住まう世界が違うので、行動の違いも当然のことだと……」
「ゼロスも俺たちと共に魔王を討った英雄、この世界ではそんな扱いになるんだよな?
出立時に聖王が言っていた有難いお話の通りだと、ゼロスの身分も貴族の最下級である『槍騎士』から一気に三段跳びで『侯』だぜ? 王族の『公』から見ても一つ下なだけだし、そこまで畏まらなくても良いんじゃね?」
「もう、私のことは構わないけどさ、ゼロスは真面目なんだからね。シェンファもからかわないであげてよ。それにゼロスは試練を乗り越え、晴れて西風を継承したのだから既に『伯』よ。私の常識が足らないと指摘したシェンファの方が、常識が足らないようですけど?」
「くっ……、それは置いておいて、世情に疎く浮世離れした巫女姫様は、俺の指摘にどう思っているんだ?」
「はいはい、私はずっと四風の皆様にも多大なご迷惑をお掛けしました。それを反省し今は感謝しています。私の至らぬ部分は、今後も善処します」
「「「「……」」」」
「本当に詫びているか? 感謝しているのか? 言葉が全部ただの棒読みだったぞ? しかもお前、『はいはい』も『善処します』も、全くやる気のない時に使う言葉だと、教えたのは俺だったよな?」
「ブ、ブーメランよ!」
「それも俺が教えた言葉だけど、やっぱり使い方を間違っているぞ?」
この指摘で四人は苦笑し、アルシェは心なしか頬を引き攣らせながら、それでも笑っていた。
『なんだこの安らかさは? アルシェと言う女性をからかいつつも、内心では彼女を凄く愛おしいと思う気持ちは……』
傍観者となっていた俺は、初めて悪夢ではない優しく愛おしく、そして胸が高鳴るような気持ちに包まれた『夢』のなかで、ただただ戸惑っていた。
『だけど、この先で彼らは……』
俺はこの暖かさを喜ぶことはできなかった。
これまで散々見させられた悪夢の数々によって、この先で彼らに待ち受ける、悲しくも過酷な運命を知っていたからだ。
◇◇◇ 元の世界
ふと気付くと、俺は夢から覚めていた。
「ちっ、こんな気持ちにさせられた夢は、これまでで初めてだな……」
今回の夢は幾つもの点で、以前に見せられた『悪夢』と大きく違っていた。
妙にリアルで現実味があった世界であり、何故か向こう世界で話される言葉も、はっきりと理解できた。
今までの夢は、『彼』の思いだけは伝わってきたものの、彼の話す言葉、周りの者たちの話す言葉も一切理解できなかった。
そして何よりも今回は悪夢ではなく、胸が高鳴り優しい気持ちになれた夢だった。
向こうの世界で『彼』が感じていた想いや胸の高鳴りは、今も余韻として残っている。
そもそも彼らの使う言葉は、どの国の言葉とも違う気がしていた。
もっとも、自分自身が世界中の言語を知っているはずもないが、それでも何かが決定的に違うと感じた。
だからこれ迄は全く会話が理解できず、ただ彼の心、彼の心が上げる悲痛な苦しみと悲しみ、叫びしか理解できなかった。
それが今回は……。
「でも彼らはこの先で……」
夢の中と同じことを言いかけて、俺は首を振った。
こんな馬鹿げた夢に振り回されていては、ますます俺は『壊れて』しまう。
気持ちを切り替えるため、窓から少し明るくなり始めていた外を見た。
「寒いと思ったら雪じゃん! 東京で雪なんて、あの時以来か……」
何が原因で俺が壊れ始めたのかは分からない。
だが一つ言えるのは、一年近く前に珍しく東京で『大雪が降った日』、俺は原因不明の事故に遭って病院に担ぎ込まれたことが切っ掛けだ。
目撃者の話によると……。
『ひとしきり激しく雪の降るなか、何かの光の塊のようなものが飛来すると目の前を歩いていた人(俺)に激しくぶつかり、その人は衝撃で吹っ飛んで意識を失った』
お陰で俺は、大事な第一志望である大学の受験日だったにもかかわらず、宿泊先から試験会場に向かう途中で、そのまま病院に緊急搬送されてしまった。
しかもそれから一か月ほど強制入院させられてしまったことで、受験生だった俺は全ての受験をフイにした。
運び込まれた病院でも俺は時折、訳の分からないことを叫んでは暴れたらしい。
もちろん今は何も覚えていない。
そういった奇行の度に頭の検査やなんやこれ、散々調べられたが何の異常も見つからず、最後は厄介払いされるかのように病院を追い出された。
家に戻っても大学受験を全てフイにしたこと、壊れてしまったこと、そんな俺を気遣うように見る家族の悲しげな視線がたまらなく辛かった。
そしてある日……、俺は居たたまれなくなって家を出た。
いや、それは違う!
それは俺が、自身を納得させるために思い込んだ綺麗事だ。俺が家を出たのは、そんな理由ではなく、ただ家族を巻き込みたくなかったからだ。
壊れた俺は、怒りと憎しみに駆られて正気を失い、このままでは家族すら殺しかねない、そう思ったからだ。
その発端は退院してから二か月後、最初に見た夢のせいだった。それを見た俺は憎悪と憎しみに支配され、怒り狂って訳もなく叫び回っていた。
『俺は絶対に許さない! 俺たちが何をした? ただ慎ましく幸せを掴むことすら許されないのか?
こんな世界を救ったのが間違いだったんだ!
今度は俺が世界を壊してやる! アルシェを殺すよう仕向けた奴らを家族もろとも殺して、同じ苦しみを味合わせてやるよ! そして誰一人、この腐った世界には残さない! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!』
俺の頭にはアルシェと呼ばれた女性の亡骸を抱きしめながら、慟哭して泣き叫ぶ彼の思いが焼き付いていた。
そして俺は、夢から覚めた後も涙を流しながら、しばらく同じことを叫んでいたようだ。
驚きのあまり言葉を失って呆然としていた、家族の前で……。
その日を契機に、半分自暴自棄になっていた俺は家を出た。
誰も知り合いの居ない東京に出ると、バイトを掛け持ちしながら、安アパートで独り暮らしを始めたのだけどさ。
この一件があって以降、事ある毎に悪夢を見せられた。今回のように言葉は理解できなかったが、彼の感じた思いと心の痛みは、嫌と言うほど俺の心にも深く突き刺さっていた。
王宮らしき所で、忌々しく『彼』を見つめる国王らしき人物と、取り乱した様子で『彼』を庇うアルシェ。
泣き叫ぶ彼女と強引に引き離されて追放された際の、心を突き抜けた深い悲しみと落胆、そして喪失感。
追放された先で孤独に暮らすうちに、あからさまに豹変した人々の態度、そして謂れもない罪で告発され逃亡する日々。
あれだけ歓呼して俺を迎えた民たちの変化、恐怖に怯える目、侮蔑した目、憎悪の目で俺を睨み、口汚く罵られた時の心の痛み。
そんな仕打ちを受けて感じた深い悲しみ、芽吹き始めていたやり場のない怒り。
俺を殺せと命を受けてやって来た、かつての仲間たち。
そんな彼らと戦わざるを得なかったやるせない気持ちと、彼らの命を奪ってしまった激しい後悔。
俺は目が覚める度に、心に残る痛みとともに、どん底の気持ちを味あわされていたのだから……。
そういう意味では今回の夢も悪夢かもしれない。
絶望する未来を知った上で、幸せの絶頂期を見せられたのだから……。
そんなことを考えていたとき、再び俺の頭に『あの声』が響き渡った。
『……ファ、シェン……」
「どうして? 夢から覚めた後にまた声が?」
それに加えいつもと違うのは、途切れ途切れでも声として、その言葉が理解できることだ。
『シェン、ファ……、どうか貴方を……、救って……』
「誰だよ! 俺に何を?」
『おねがい……、未来を……』
「だから何を言っている! 未来がないのは俺のほうだ!」
どこか聞き覚えのある、だが悲しげに何かを願っているような、そんな声だった。
それにシェンファって『彼』の名前だよな?
『貴方を救って』だと? そんな変な言葉の意味、全く分かるはずがない。
この雪の日……、始まりの雪景色で俺自身が『壊れた』意味を知り、終わりの始まりとでも言うべき再び雪が降ったこの日に、俺は彼女(声)の願いに応じて見知らぬ世界に旅立つことになる。
俺と彼、二つの世界が交錯する世界の旅へと……。
最後までご覧いただきありがとうございます。
プロローグは0から5まで、本日午前9時までに一気に投稿いたします。
本編は7/15日より、毎日10時に公開する予定です。
今後ともどうぞよろしくお願いします。




