正しい資質(ザ・ライトスタッフ)③
台所でうどん作って茹でてたら、ララはぴくりと耳を動かすと突然エロ声で「こんな熱いのダメですぅ」とか「ガンマ様ぁ、お願い、ぶっかけてぇ!」などと言い出す。
何事かとオレとメルはどんぶり片手に顔を見合わせ、互いに首をかしげる。すると台所の開き戸がぶっ壊れる勢いでスパーンと開き、顔を真っ赤にして目をぎゅっと閉じたローラが怒鳴り込んできた。
「ぶ、ぶっかけとか何してるんですか!? お、お台所ですよ!? ララ、説明しなさい! ガンマさん見損ないました!」
「ローラが何を想像したのか、よーくわかるにゃ。でも、ちゃんと目を開けて見た方がいいにゃあ」
「そんなの見られるわけないじゃないですか! ぶ、ぶ、ぶっかけですよ!? ガンマさん、それしまってください!」
ははあ、なるほど。ララの奴は自分だけ引っかかったのが悔しいから、腹いせにローラを担いでやろうってことか。ニヤニヤしやがって、ババアも好きだねえ。
「何をしまえって? せっかくローラにもご馳走してやろうと思ってたのになあ」
「しこしこして、ちゅるちゅるっておいしいよ? ローラちゃんもいっしょに、ね?」
それにしてもメル先輩…素でその擬音を持ってくるんスか。パネェ…
「だ、ダメですよぅ…メルちゃんまで、そんなぁ…」
「ひとくちあげるね。あーん♪」
ぎゅっと目を閉じたローラの唇に、温かく、もっちりとした弾力のうどんが触れる。そして酢醤油の香りが鼻に届くと何かおかしいと気づいたのだろう。そろそろと目を開けて、うどんをもぐもぐ食べる。
「ね?」
「…おいしいです」
「お疲れさん。腹減ってるだろうと思ってよ、ララに作ってもらってたんだよ」
まったく紛らわしい、びっくりしたと文句を言いつつもうどんが気に入ったようで、ローラは味見用の麺をちゅるちゅる啜る。気持ちは分かるが食うか文句垂れるか、どっちかにしろよ。
「はあ、もうへとへとですわ…お食事の前に着替えたいんですけど、よろしいですわよね?」
「もちろん。ララ、お疲れさんだ。素敵な目の保養、ありがとな」
ふん、と鼻を鳴らしたララは、ぶつぶつ文句言いながら足音高く部屋に戻っていった。ローラがその後姿を見送って、じろりとオレを睨む。
「…ちょいと賭けをしてな。負けた方を好きにできるって条件で模擬戦を」
「それで、あんな淫ら…はしたない格好をさせたんですか?」
「あのスケスケはオレのリクエストじゃねえよ。何か誤解があったんだろうなあ…はっはっは」
「そんなこと言っても、お顔に「わざと誤解を解きませんでした」って書いてありますからね!」
ソンナコトナイヨー? と、すっとぼけてもローラのジト目は続く。いかん、このままではオレが悪者にされる。これはあくまで貞操の危機に対する自衛の一環であり、ピンチを逃れるための緊急避難なのだ。
「で、イカサマ全開で使って勝ったと? まともに戦って勝てるはずがにゃい…かふぁあ」
アクビ混じりに、まるで見てたようなババア。むう、その通りなだけに悔しい。
「はふ…とはいえ、あの娘に勝てたか。半人前が二人がかりで、ようやく一人前に届いたにゃあ。小娘、さっきの話は進めるが、良いにゃ?」
それだけ言うとババアは自室の方に引っ込んでいく。おい、うどん食わねえのか? せっかくの釜揚げだぞ。セクシーうどんだぞ。なんだよ、睨んだって怖くないぞババア…あ、猫舌……ごめん。
じゃあ、ババアのは冷やしうどんにするか? わかったよ、みんなで食おうぜ。
ちゃぶ台を囲んで、みんなでうどんを啜る。猫に戻ったババアと、エルフ耳の金星人たちと、メルとオレ。なんとも変てこな食卓だ。普段ならババアと差し向かいなのに、どんぶりがいつもより増えた分以上に賑やかだ。
「みんなでごはん、楽しいねガンちゃん! ね、おしょうゆ取って?」
ほれ醤油。そうだな、こういうのも悪くねえ。あーほら、つゆが服に飛んでるじゃねえか。ほっぺたにも飛ばしやがって。こら、逃げるな。
「ふぅ、ごちそうさまでした。ウドンって初めて食べましたが、食感が面白くて美味しいですね」
どんぶりを空にしたローラが満足げにため息をつく。初めて食ったと言うわりに、つゆを飛ばしたりせずに食えるあたり育ちの良さが伺える。メルに見習わせたいな。
「礼ならララに言ってやれよ。初めてのうどん打ちなのに、最高の出来だ」
「素直に受け取れませんけど、お口に合ったのでしたら何よりですわ」
なんだよララ。二玉ぺろっと食ったのに、まだムスっとしてんのか? 謝るから機嫌直せって。ぶっかけうどん、美味かったろ?
「そりゃあ、まあ…でも、きっとリベンジしますわよ! あんな小細工、そうそう通じませんから!」
「へん、上等だ。オレの小細工があれだけだと思ってんなら、今度は女体盛りにしてやる」
女体盛りはともかく、ララが挑んでくれるのは大歓迎だ。勝負勘を養う意味でも、メルとの連携を鍛える意味でも模擬戦は何度でもしたい。なんせこの先、何度も鉄火場と修羅場を潜ることになるんだから。
「さて。ババア、さっきローラに言った『話を進める』って、何か説明してくれるんだろうな?」
「お前にも関わる事にゃから、もちろんにゃ。その前に、ガンマの考えを聞きたい。これからどうするのが最善と考えるにゃ?」
ババアは尻尾でメルをくすぐりながら、目だけ鋭くしてオレを見る。ローラとララも黙って言葉を待っている。
「ローラの暗殺を潰すことはできた。だけど、メルとオレが金星の黒幕に狙われてる状況は変わりねえ。だからオレたちは強くならなきゃいけねえ。そしてクソくだらねえコト考えた奴を逆さに吊るして、二度とそんな気が起きねえようにする」
「方針は良し。具体的にはどうするにゃ?」
「アーバレストが持ってた紙とメダル、それに…月であいつの仲間、スリングショットをぶちのめして、似たような紙とメダルを手に入れた。これだ。連中の仲間の居場所なり、手がかりになると思う」
ポケットから数字の羅列がずらりと書かれた数枚の紙と、直径十センチちょっとのメダルを取り出してちゃぶ台に置く。
「数字しか書かれてねえけど、暗号か何かじゃねえかと思ってる。メダルは身分証とか、そういうのじゃねえかな」
「なるほどにゃ、手がかりが増えたのは上出来。して、その暗号はどうやって解くにゃ?」
そんなの、オレにわかるハズがねえ。数字だけの羅列から、意味のある文章に戻すなんてのは…なんだっけ? 乱数暗号とか、そんなやつだろ。子供向けのタヌキ暗号みてえなナゾナゾとは話が違う。一般人に読める代物じゃねえよ。
「その通りにゃ。だからガンマ、明日一番でイシカリの若旦那に解読を頼んでくるにゃ」
「若旦那ァ? なんであのジャンク屋が出てくるんだよ」
「そうにゃ。あいつは暗号解読の専門家…というより、情報屋にゃ」
あの変態が? 事務っ娘にコスプレさせるのが僕の使命とか真顔で言ってるあいつが? あのバカに解けるのは暗号じゃなくて親の身代だろ?
「ず、ずいぶん個性的な情報屋さんですね…」
「性格と性癖は…やむにゃし。小娘どもを使いに出すと余計な騒動の種にゃ。お前、あいつと仲がいいんにゃから文句言わずに行くにゃ」
あー…まあ、趣味のごく一部が合致するからな。それに、ローラかララのどっちかが行くと確かにマズイ。変な鳴き声を上げて襲いかかる画が見える。そしてローラだと残虐表現で、ララだと性表現でそれぞれ十八禁の展開になる。
「わかったよ…仕方ねえ、明日ひとっ走り行ってくるか。でもよ、手間賃っつーか、報酬どうすんだ?」
「もう済んでるにゃ。その暗号の内容があいつの報酬で話を付けたにゃ。ごうつくばりめ、まったく可愛げにゃい…」
暗号の内容が報酬って、どういうことだ?
あ、そうか。情報屋ってんなら情報の仕入れだって商売の内か。解読させて、その手間賃をタダにしろってのはババアの方がケチなんじゃねえのか?
「にゃに言ってるにゃ。こんなボケた小娘でもエゲリア神殿の女官長、大神官にゃ。その暗殺計画が存在し、実行されたって情報だけで金貨千枚の価値があるにゃ」
「…ボケた娘ですみません…」
金貨千枚って、だいたい七千万円かよ! でもまあ…猊下って呼ばれるような立場なんだよなローラって。うどん食ってたし、ぜんぜんそんな実感ねえけど…ローマ教皇の暗殺計画があったとして、その情報が事前に掴めたら七千万でも安いのか? たぶん、安いと思う人はいるんだろうな。
「なるほどなあ。暗殺の実行犯から黒幕に繋がる可能性が高い情報なら、そりゃ情報屋としては高値で売れる商材になり得るか」
「そうにゃ。それにゃのに、田舎の情報屋には過ぎた商材だから扱えにゃいとか情けにゃいことを…!」
そっちも分かるなあ。オレはカムイ州から出たことねえからピンと来ねえけど、金星の連中からしてみると地球ってのは田舎らしい。そして田舎の地球の中でもカムイ州はさらに田舎だそうだ。つまり、ど田舎ってわけだな。
ど田舎のすみっこで情報屋が商売になるのか知らねえが、言われてみりゃあ…たまに行った時にスジ者くせえのが出入りしてたこともあった。近在のヤクザ者の情報を売り買いしてる程度の商売なのかね。
もしそうなら、金星の大神官暗殺なんてネタは…バラトの八百屋にクジラを丸ごと売りつけるようなもんだ。八百屋にゃ簡単に買えねえし、売り先にも困る。あげく、時間が経ったら腐る。情報も鮮度が命だろうしな。
とはいえ、イシカリは自転車で行くにはちょっと遠い。
「ま、話は分かった。作業場でクルマ取ってから…って、仕事! 忘れてたよオレ…」
親方に何も言わずに飛び出しちまった。やべえ…やべえよ…玄関先で戦って三日寝込んで、月で二日? 五日間も無断欠勤! そんなのクビじゃねえか!
「ハインツのことは心配いらんから、ジャンク屋の方を任せるにゃ」
顔に似合わないと思うが、親方はハインリッヒという名前だ。あまりにイメージと合わないせいか、カムイ運輸の社長くらいしか愛称の「ハインツ」と呼ばない。だいたいみんなから「作業場の親方」とか「ヒゲの修理屋さん」とか「親方」って呼ばれてる。
ちなみにオレは「見習い」とか「修理屋のガンマ」だ。
「むう…今はそっち優先だよな。でも、ひとこと詫び入れに行かねえとな…」
クビになるとしても、酒癖がアレでも、仕事を仕込んでくれた親方だ。返せてねえ恩がある。それを無下にしちゃあ、男が廃るってもんだ。
「変なところで義理堅いにゃあ。ま、ここまで助けてやった恩も忘れてくれるにゃよ?」
「オレぁへそ曲がりだからな。恩着せがましく言われると、返す気が失せるんだ」
「ふん、口の減らん小僧め」
「どっちがだよ、化け猫ババア」
互いにニヤリと口をゆがめて、鼻で笑う。オレとババアはこういうのでいいんだ。
メルにもローラたちにも分からねえだろうけど、それでいい。
「さて、話は済んだにゃ。久しぶりに暴れて疲れたから寝る。お前ら、出てけ」
尻尾の先で追い払われたオレたちは、それぞれ自室に戻る。ローラたちは一階の空き部屋を借りているらしく、おやすみと告げて階段を上るのはオレだけだった。
日数にしてみると、たった二日。
それでも懐かしく感じる薄っぺらい布団に転がって、天井を見上げると安心する。ため息が漏れて、頭の奥から心地よい眠気の波が音もなく寄せてくる。
「ねえガンちゃん、おふとんテントしてよ」
んー? 今日は右手ん中じゃなくて外に出て寝るのか?
前にキャンプツーリングで使ってたテントの話をしたことがあった。掛け布団にそれっぽい隙間を作ってやったら、気に入ったらしくてしばらく「布団テント」で寝てたな。
「うん。今日はそっちで寝たい」
あいよ。
仰向けから寝返りを打って、左手で右肩を支えて三角形を作れば完成だ。実家で昔飼ってた猫もそうやって寝てたなあ…あいつの名前は…可愛がってたのに、忘れちまったなあ。毛色も思い出せねえなあ…くだらねえウンチクは覚えてるのに、こういう温ったけえのばかり思い出せねえ。
なんか、繋がりが切れちまったみてえに寂しいなあ。
「…ねえガンちゃん」
なんだ?
「…なんでもない。なんでもないから、だいじょうぶだよ?」
なんでもないのか。そうだな、なんでもねえよな。大丈夫だよな。
…おやすみ、メル。
次回はイシカリの若旦那さんが登場。
名前だけは序盤に出てましたね。
***ここから引用のご紹介***
クァール…A・E・ヴァン・ヴォークト氏「宇宙船ビーグル号の冒険」より
重力等化装置…エドモンド・ハミルトン氏「キャプテン・フューチャー」より
ムーンドッグ…同上
ガーニー警部補…同上、エズラ・ガーニーより
シートン監査官…E・E・スミス氏「宇宙のスカイラーク」リチャード・シートンより
素晴らしい作品に敬意をこめて。