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 姉のいない日々。

 凍えるような毎日であれど、月日の流れは止まることを知らない。

 ぼくの気持ちとは裏腹に万物は流れゆく。

「…………」

 姉の生き甲斐が、ぼくの小説を読むことだとしたら、

 ぼくの生き甲斐は、姉に小説を読んでもらうことだった。

 そのためだけに書いてきた。

 そのためだけに生きてきた。

「…………」

 それがなくなったぼくは、いったいどうしたらいい?

 どうやってこの人生を生きたらいい?

 ぼくは最も大事な人を失ってしまった。

 生きる理由を失ってしまったのだ。

「…………」

 姉さんのいない日々に意味なんてない。

 意味なんてないから、生きなくてもいい。

 死んでしまえばいい。

 そうすれば、ほら。

 姉さんのいるところへ行けるじゃないか。

 そうだよ、自殺すればいいんだよ。

「…………」

 また姉さんといっしょになるんだ。

 あの世で姉さんに甘えるんだ。

 死ねば、幸せになれるんだ。

「…………」

 じゃあね。

 ばいばい。

 二度と会うこともないでしょう。

 さようなら。

『ああそうだ。死ね』

 姉さんの声が聞こえた気がした。

 たぶんぼくの脳内が作り出した架空の姉さんだ。

 姉さんならきっとそういうだろう――ぼくにはそれがわかっている。

『死ぬなら死ねばいいんだよ。死を拒否するな――死を受け入れろ』

 ほら。

 見てみろよ。

 わかってたんだよ。

 姉さんだってこう言っているじゃないか。

 姉さんは。

 死を受け入れていたんだ。

 ならぼくも。

 死を受け入れなくちゃ。

『ああ。死ぬのは怖くないからな――死んじゃダメなんて、わたしは言わない』

 うん。

 そうだね。

 前はわからなかったけど。

 今なら姉さんの気持ちも。

 よくわかるよ。

『死は負けじゃない。死は逃げじゃない――死は人生における選択肢の一つだ。死を選んだって、なにも恥ずかしいことはない』

 わかったよ。

 ぼくもそっちに行くよ。

 死ぬのは怖くない。

 死は負けじゃない。

 死は逃げじゃない。

 生きていればいつか死ぬんだ。

 結局は死んでしまうんだ。

 なら今死んでもいいんだ。

 死んだっていいんだ。

 死ぬことは罪じゃないんだ

 姉さん。

 大好き。

 ぼく死ぬよ。

 また会おう。

 今度はもっと。

 いっぱい甘えさせて。

『だが』

 なに。

『その前によく聞け』

 なんだよ。

 これから死ぬんだよ。

 これ以上の御託はいらないよ。

 もういいよ。

 死なせてよ。

『どうせ死ぬなら、やりたいことをやり尽くしてから死ね』

 なにいってんだよ。

 今すぐに死なせてくれよ。

 早く姉さんに会いたいんだよ。

『死んだら、もう後戻りはできない――それなら、死ぬまでに好きなことをやり尽くしておくほうが賢明だろ?』

 冗談言わないでよ。

 ぼくに好きなことなんてないよ。

 姉さんしか好きじゃないんだよ。

『小説は好きじゃないのか?』

 小説なんて好きなわけないだろ。

 姉さんが読みたいっていうから書いてただけだよ。

 あんなもの、ほんとうは嫌いで嫌いでしかたなかった。

『どうして嫌いなんだ?』

 面倒臭いんだよ。

 小説を書くのはとても面倒臭いことなんだ。

 その面倒臭さを乗り切っても、読んでくれる人は数少ない。

 頑張った結果が実らない。

 虚しいだけ。

 だから小説は嫌いなんだよ。

『読んでもらえないから、小説は嫌いなのか?』

 そうだよ。

 姉さんは必ず読んでくれてた。

 けど、ぼくの小説はつまらないんだ。

 だから、ほかの人は誰も読んでくれない。

 誰も読んでくれない小説なんて。

 書き続けられるもんか。

 小説なんて嫌いだ。

『バカだな。それなら読んでもらえる小説を書けばいいだけだろ』

 ふざけないでよ。

 そんなかんたんに書けるわけないだろ。

 読んでもらうっていうのは、一番難しいことなんだ。

 そこがわからないんだよ。

『なに言ってんだ。難しくなんてないだろ――お前が読みたい小説を、書けばいいんだ』

 ぼくの読みたい小説?

 そんなものを書いたって……ぼくしか読みやしないよ。

『そんなことない。お前の読みたいものは、誰かが読みたいものだ』

 だけどさ。

 ぼくの書いている小説は、読まれないんだよ。

『それはな、人と違ったことをやろうとか、誰にもできないことをしようとか、そんふうに書くこと自体に満足を見出してるからだ』

 書くこと自体に満足しているから読まれない。

 読む人の気持ちで考えれば、読んでもらえるの?

『そうだ』

 ぼくが読みたいって思ったものを、そのまま書けばいいの?

 それでぼくの小説は読まれるようになるの?

『そうだ』

 誰かと被ってもいいの?

 ありきたりでもいいの?

 あざとい、わざとらしい小説を書いてもいいの?

『いいんだ。読者はそんなの気にしない――無駄な技巧は必要ない。ただお前が読みたいと思えるものを書け』

 ……でもさ。

 そんなこといわれたって、ぼくは小説を書きたくないんだよ。

 もう疲れたんだ。

 終わらせたいんだ。

『ああ。疲れたんなら諦めてもいい。後がなくなったら、そのときに死ねばいいんだ』

 諦めてもいい。

 死んでもいい。

 いいんだ?

『いいんだ。だからな――ほんとうに動けなくなるまで、書き続けちまえよ』

 ほんとうに動けなくなるまで?

 なに言ってんだよ。

 ぼくはもう、ほんとうに動けないんだよ。

『なに言ってんだ。お前にはまだ力が残ってるはずだろ――自殺する力があるくらいなら、小説を書く力だって残ってるだろ』

 ぼくにはまだ残っているのか。

 小説を書く力が。

『諦めるのは限界にたどり着いた時にしておけ。それまでは文字通り死ぬ気で書いておけ』

 …………。

 …………。

 死ぬ気で書く。

 それは。

 つまり。

 どういうこと。

 なの。

『死ぬまで書き続けろ』

 それは。

 つまり。

 小説を書き続けられる限り――死ぬな。

 って。

 そういうこと?

『まぁな』

 そっか。

 そっか。

 そうなんだ。

 結局は。

 姉さんも。

 自殺を止めるんだね。

 ぼくに生きてほしいんだね。

 死を否定するんだね。

『止めちゃいないさ』

 そうだね。

 そうかもしれない。

『なにか不満でもあるのか?』

 ううん。

 そんなことはない。

 不満なんて何一つないよ。

 姉さんの言ってることは正しいよ。

 諦めてもいい。

 死んでもいい。

 でもどうせ死ぬのなら、好きなことをやってからのほうがいい。

 その通りだ。

 なにも間違ってないんだ。

 ぼくも同じ気持ちだ。

 好きなことをやってから死にたいって思うんだ。

 だから。

 ねえ。

 姉さん。

『なんだ?』

 ――生きるよ。

 ぼく。

 もうすこしだけ。

 生きることにするよ。

 小説を書き続けられる限り――生きる。

 そう。

 するよ。

『そうか』

 どうせ死ぬのなら。

 好きなことをやり尽くしてから死ぬ。

 それでいいなら。

 ぼくは書いていける。

 上手くいかないだろうし、そんなすぐには前進できないだろうけど。

 でも姉さんの、『読む人の気持ちになって書いてみろ』っていう助言を無碍にするのも嫌だし。

 それに。

 ――やっぱり小説を書くのは好きだし。

『そうか。いい子だ』

 書いていくうちに楽しくなってきたんだよ。

 その楽しさを手放したくはないんだよ。

 小説を書いているぼくでありたいんだよ。

『ならもういいな』

 うん。

 姉さん。

 ありがとう――

 ぼくは立ち上がった。

 にじみ出ていた涙を拭う。

 まだ生きるんだ。

 姉さんのことを思い出して、死ぬのは後回しにしようと思ったんだ。

「……よし」

 いいだろう。

 死ぬまで書き続けてやろう。

 限界ってやつにたどり着いてやろう。

 たとえ文章が下手くそでも、関係ない。

 たとえストーリーが破綻していても、関係ない。

 たとえ読者が惨めになるほど少なくても、関係ない。

 そんなもの書いているうちに上手くなるものだ。

 経験を積めばいいだけの話だ。

 今は無我夢中に書いていればいい。

 それで小説を書くことが生き甲斐になったら、儲け物だ。

「さあ、何を書こうか」

 姉の助言――読んでもらうには、読者の気持ちになって考えること。

 ぼくが読んでみたい小説?

 それは、なんだろう?

 思い出す。

『おいおい。最近お前の小説面白くなくなったんじゃないのか?』

『暗いんだよ、話の設定が。わたしは笑いたいんだぞ? こんなんじゃぜんぜん満足できないね』

『笑える小説を読ませてくれよ?』

『ふ、ふふっ……』

『この場面。いいじゃないか――こういうのを読みたかったんだ、わたしは』

 姉の笑顔を思い出す。

 ぼくも笑顔になる。

「そんなの決まりきってるよな」

 姉さん。

 ぼくは。

 読んだ人が笑顔になれる作品を、書くことにするよ。

 それを。

 みんなに読んでもらおうと思うよ。

「やるぞ……」

 ぼくは原稿用紙を取り出す。

 ぼくは鉛筆を走らせる。

 死ぬ瞬間まで――姉さんが小説を読んでくれたように。

 死ぬ瞬間まで――ぼくも小説を書いていくよ。

「どうせ諦めるなら限界に行ってからだ!」

 ただ一人の読者がいなくなっても、ぼくは、書くことを諦めなかった。

 いつか必ず読んでくれる人が現れると、信じた。

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