第9話 血色と言葉―病人に偽装した来訪者の理想と怒り―
Claude が関所を去ってから、三週間が経った。
その三週間の間に、直也の感覚は、さらに研ぎ澄まされていた。転移者を見分けることは、もはや直也の日常の一部になっていた。その日常の中で、直也は、四人の転移者を見送った。彼らの全員が、何事もなく関所を通されたのだ。
その事実は、直也に、ある種の不安をもたらした。本当に、これらの転移者たちを通してしまって、いいのか。その疑問が、毎晩、直也の眠りを妨害した。
だが、同時に、直也は、その不安を手放さないでいた。その不安こそが、人間的な判断の証拠だからだ。
午前10時。
新しい旅人が、関所にやってきた。
その人物は、30代前半の男だ。顔は、血色が悪い。かなり悪い。その悪さは、単なる「旅の疲れ」では説明できない。その顔色から感じられるのは、内部からの消耗だ。病気か、それとも、別の何かか。
着物は、簡素だ。旅人のそれだ。帯も、新しくない。足元の草履も、かなり歩きこまれている。
「通行を願う」
その男は、許可証を差し出した。その声は、低く、かすれている。その声の中には、何か焦燥感が感じられた。
直也は、その許可証を受け取った。
許可証は、整っている。江戸の商人の印鑑が押されている。その商人の名前は、「中村商館」だ。それは、ありふれた名前だが、許可証の形式は、正しい。
「商売ですか」
直也は、聞いた。
「いや。…旅です」
その男の返答は、即座だった。だが、その即座さには、わずかな違和感がある。その男は、「商売」という言葉に、反応するのに少し遅れたように見える。それは、その言葉を予期していなかったということだ。
「旅ですか。…では、この許可証の『中村商館』とは、何ですか」
「…友人です。友人から、この許可証をもらいました」
その男の返答は、説明的だった。だが、その説明も、わずかな違和感を伴っていた。その説明は、多すぎるのだ。通常、この程度の質問には、もっと簡潔な答えが返されるはずだ。
直也は、その男を見つめた。
「友人から、許可証をもらった。…そうですか。では、その友人のお名前は」
「…申し上げられません」
その男は、そう答えた。その答え方は、明らかに拒否的だ。その拒否の理由が、何であるのか、直也には、わかりませんでした。だが、その拒否は、この男が、何かを隠していることを示していた。
「隠しておられることがあるのですね」
直也は、その言葉を口にした。
「…」
その男は、答えなかった。その沈黙は、認めるものだ。
「では、あなたの本当のお名前は」
「…旅人です。ただの旅人」
その男は、その言葉を述べた。その言葉は、虚偽だ。その虚偽は、明白だ。
「旅人というのは、身分ではなく、状態です。あなたの本当の身分は何ですか」
直也の質問は、続いた。
「…」
再び、沈黙だ。その沈黙は、より深くなった。
「では、関所の奥に来ていただけますか。色々と、確認したいことがあります」
直也の声は、穏やかだったが、強固な意思を帯びていた。
その男は、観念したようだ。素直に、直也の後に続いた。
関所の奥の部屋で、その男は座らされた。
田中と山本が、同席している。
「あなたの本当の身分は何ですか」
直也は、聞いた。
「…」
その男は、答えなかった。
「あなたの血色が悪い。それは、単なる病気ではなく、内部からの消耗を示しています。その消耗は、何によるものですか。さらに、あなたの言葉遣いに、違和感がある。『許可証をもらった』という表現。『友人から』という説明。全て、あなたが、この時代の言葉を完璧には使いこなしていないことを示しています」
直也の指摘は、鋭かった。
「さらに、あなたの身分についての質問に、頑なに答えない。それは、あなたが、その身分を明かすことで、何か不利な状況が生じることを恐れているからです。…では、あなたは、犯罪者ですか」
直也の最後の質問は、直接的だった。
その男は、その質問に対して、わずかに顔を上げた。その顔の動きは、直也が「核心」に触れたことを示していた。
「…犯罪者ではなく、テロリストです」
その男は、最後に、その言葉を口にした。
「テロリスト。…何が目的ですか」
直也は、聞いた。
「…この江戸時代の権力構造を、破壊すること。その破壊により、新しい秩序を作ること。その秩序の中に、より多くの人間が、自由と平等を得られるようにすること」
その男の告白は、理想主義的だった。その理想主義は、Jacob の「権力志向」とは異なり、Shunya の「利益志向」とも異なる。この男は、「理想のために」テロ行為を行おうとしているのだ。
「テロ行為。…具体的には、何をするつもりですか」
「…この江戸時代の主要な権力者を、暗殺すること。その暗殺により、権力構造を混乱させる。その混乱の中で、新しい秩序が生まれることを期待する」
その男の計画は、極めて危険だ。その危険さは、Jacob や Claude のそれとは比較にならない。この男は、確実に、この江戸時代の人間たちの死をもたらそうとしているのだ。
「あなたの本当の名前は」
直也は、聞いた。
「…Pierre Rousseau. フランスの革命思想家です。21世紀で、複数のテロ行為に関与しました」
その男は、そう名乗った。
「フランス。…なぜ、この江戸時代に」
「…我が組織は、様々な時代に、テロ行為を仕掛けています。その目的は、各時代の権力構造を破壊すること。そして、その破壊の中に、新しい秩序を生み出すこと。我は、その使命を帯びて、この江戸時代に来たのです」
Pierre の言葉は、確信に満ちていた。その確信は、Jacob や Claude のそれとは異なっていた。この男の確信は、「理想のための確信」だ。その確信は、極めて危険だ。
「では、あなたを逮捕します」
直也は、その言葉を口にした。
「そうですね」
Pierre は、素直に、その判断を受け入れた。
「あなたは、当然、そう判断するでしょう。我の目的は、確実に、この江戸時代の秩序を破壊するものです。だから、逮捕は、当然です。だが…」
Pierre は、その言葉を続けた。
「…あなたは、確実に、悩むでしょう。Jacob を通した。Shunya を通した。Claude を通した。そして、我をも通さなければならないのではないか、という悩みが、あなたの中に生まれるでしょう」
Pierre の言葉は、鋭かった。その言葉は、直也の内部の矛盾を、正確に指摘していた。
「…それは、どういう意味ですか」
直也は、聞いた。
「あなたは、『気まぐれで判断する』ことを、自分に許しました。その気まぐれで、三人の転移者を通しました。だが、我の場合は、どうしますか。我は、確実に、人命を奪う計画をしています。その人命を奪う計画を、あなたは通すことができますか」
Pierre の問いは、直也に、ある種の絶望をもたらした。




