第8話 盗むことと判断―怪盗が語る正当性と限界―
Claude を逮捕してから、その夜は静かに更けていった。
直也は、Claude を関所の客間に入れることにした。Jacob や Shunya の時と同じく、牢ではなく、客間だ。その夜、直也は、Claude のもとを訪ねることにした。
Claude は、窓際に座って、月を見つめていた。その姿勢は、まるで、月を数えるかのような、数学的な精密さを持っていた。
「眠れませんか」
直也は、聞いた。
「眠れない。眠りたくない。ここで眠ることは、逃げることになる。我は、逃げたくない」
Claude は、そう答えた。その答え方は、Jacob や Shunya と異なっていた。その答え方は、より「計算的」で、より「理性的」だ。
「…なぜ、あなたは、僕を一人にしてくれたのですか」
Claude は、窓から目を離して、直也を見た。
「逃げられるチャンスをくれるとは、江戸時代の代官としては、異例ですね。普通なら、囚人を、このような扱いはしないはずです」
「そうですね」
直也は、Claude の隣に座った。
「ですが、あなたが逃げるとは思いませんでした。あなたは、ここに留まることを選ぶと思った。その選択が、何を意味するのか、確認したかったのです」
「…何を意味するのか」
Claude は、その言葉を繰り返した。
「我は、逃げないことを選んだ。なぜなら、あなたという人物に、興味があるから。あなたというニート代官は、Jacob の話から、特別な人物だと聞いていた。その特別さが、何であるのか、知りたい」
Claude の言葉は、率直だった。その率直さは、怪盗としての性質から来ているのか、それとも、別の理由からなのか、直也には、わかりませんでした。
「…あなたは、盗むことを、何だと考えていますか」
直也は、その問いを発した。
「盗むこと。…それは、価値の移動です」
Claude は、その言葉を述べた。
「何かに価値がある。その価値は、所有者の手にある。その所有者から、その価値を奪い取る。その奪い取った価値を、別の所有者の手に渡す。その移動を、我は『盗むこと』と定義しています」
「価値の移動。…では、盗まれた所有者の損失については、どう考えますか」
「損失は、存在します。その損失は、確かです。ですが、その損失は、別の所有者の利益になる。つまり、全体の価値は、変わらない。ただ、その価値の配分が、変わるだけです」
Claude の理屈は、確かに論理的だった。ですが、その論理の中には、一つの欠陥がある。
「その理屈なら、盗むことは、決して犯罪ではなくなります。ただの『価値の再配分』だと」
直也は、その欠陥を指摘した。
「ですが、その『再配分』を決めるのは、盗む者自身です。盗まれた者は、その決定に、同意していない。その同意のない再配分が、盗むことであり、犯罪なのです」
Claude は、その言葉を聞いて、静かに頷いた。
「…その通りです。我たちは、所有者の同意なく、価値を移動させる。その『同意なく』という部分が、盗むことの本質です。その本質は、確実に、犯罪です」
Claude の言葉には、自分の行為を認める、ある種の潔さが見える。
「では、なぜ、あなたは、盗むことを止めないのですか」
直也は、その問いを発した。
「…理由は二つです」
Claude は、その言葉を述べた。
「一つ目は、盗むことが、すでに我の人生になっているから。我は、25歳から、盗みを職業としてきた。その人生の中で、盗むこと以外の自分を知らない」
Claude の言葉は、重かった。その中には、自分の人生に対する、深い諦念が見える。
「二つ目は、盗むことは、美しいから」
Claude は、その言葉を続けた。
「盗むこと。それは、一つの芸術です。警備を抜ける。施錠を解く。そして、品を盗み出す。その全ての行動が、完璧に調和している時、それは、確実に美しい。その美しさのために、我は盗む」
Claude の言葉には、盗むことに対する、ある種の純粋な愛情が見える。その愛情は、犯罪者としての愛情だ。ですが、その愛情は、確実に存在する。
「美しさのために、盗む。…その考えは、犯罪を正当化しません」
直也は、その言葉を述べた。
「ですが、その考えは、あなたの本質を示しています。あなたは、盗むことを『利益のために』ではなく、『美しさのために』盗む。その違いは、重要です」
Claude は、その言葉に、わずかに眼を細めた。
「…何が重要ですか」
「盗むことの目的です。利益なら、それは、単なる犯罪です。ですが、美しさなら、それは、ある種の創造行為になるのかもしれません」
直也は、その言葉を述べた。
「つまり、あなたは、盗むことを通じて、何かを『作っている』のです。その『何か』は何ですか」
「…」
Claude は、その問いに、長く沈黙した。その沈黙は、自分の人生を問い直す、ある種の時間に見える。
最後に、Claude は、口を開いた。
「…我は、盗むことを通じて、『完璧な時間』を作っています。警備を抜ける瞬間。施錠を解く瞬間。品を盗み出す瞬間。その全ての瞬間が、完璧に調和している。その時間の中にいる時、我は、確かに生きている」
Claude の言葉は、深かった。その深さは、盗むことを職業とする者の、本当の想いなのかもしれません。
「…では、その完璧な時間を、この江戸時代でも、求めるつもりですか」
直也は、聞いた。
「…わかりません。最初は、そのつもりでした。江戸時代の館から、品を盗む。その盗む行為の中で、完璧な時間を作る。…ですが、あなたという人物に出会って、その確信が、揺らいでいます」
Claude の言葉には、ある種の転機が見える。
翌日の朝。
直也は、決断を役人の田中と山本に知らせた。
「昨日の怪盗は、通す」
田中の眼が、驚きで大きくなった。同時に、疑惑も生まれたことが、その表情から読み取れた。
「代官殿。…昨日は、あの者が、確実に盗みを計画していたことを確認したのに…」
「そうですね」
直也は、その言葉を遮った。
「ですが、考えました。あの者を逮捕することが、この関所の役割であるのか。あるいは、あの者を通すことが、この関所の役割であるのか」
直也は、その言葉を続けた。
「あの者は、盗みを計画している。その盗みが、実現されれば、確実にこの江戸時代の秩序に影響を与える。ですが、その影響は、小さなものです。全体的な秩序の破壊には、つながらない。…そして、もう一つ重要なことがある」
直也は、その言葉を続けた。
「あの者は、盗むことが、美しいから盗く。利益のためではなく。その考え方は、この江戸時代では、希有なものです。そして、その考え方は、ある種の芸術的行為に近い。…だから、通すことにしました」
直也は、その言葉と同時に、自分の判断基準の曖昧さに、改めて気づいた。理性的に説明しようとしても、その説明は、常に不完全だ。だが、その不完全さの中に、人間的な判断があるのだ。
その昼、Claude は、許可証を手に、関所を通った。
その時、Claude は、直也に一言だけ言った。
「ありがとう。あなたの判断は、正しかったのか、間違っていたのか、それは時間が証明するでしょう。だが、少なくとも、あなたは決定した。その決定が、あなたの判断の基準を揺るがしていることも、感じました。…その揺らぎが、人間的であると、感じます」
直也は、その言葉に、何も返さなかった。ただ、Claude の背中を見送った。
Claude は、昼間の光の中を、静かに去っていった。
その日の夜。
直也は、関所帳を開いた。
その中に、Claude の名前を書くことにした。「田中部新一」。その名前で。
Claude という本名を、「田中部新一」という別の名前で、江戸時代の記録に残すのだ。その変形により、Claude は、この江戸の記録に、ごく小さな痕跡を残すことになった。
直也は、その夜、考えていた。
Jacob は、権力を求める者だった。 Shunya は、利益を求める者だった。 Claude は、美しさを求める者だった。
その三人を、直也は、通した。
その決断が、正しいのか、間違っているのか、直也には、わかりません。だが、その決断は、下されたのだ。
直也は、その時、何かに気づいた。
自分の判断は、常に理由を求めている。だが、その理由は、常に後付けされているのだ。最初に「通す」という感情がある。その後で、その感情を正当化する理由を、無理やり作っている。
その自覚は、直也に、ある種の不安をもたらした。
だが、同時に、その不安は、直也の判断が「人間的」であることの証拠でもある。完全に合理的な判断は、人間的ではない。不安を伴う判断こそが、人間的な判断なのだ。
直也は、月を見つめていた。
江戸時代の月だ。その月の下で、また新しい秘密が、この関所に向かって、ゆっくりと歩み始めていたのだろう。
直也は、その月の下で、待ち続けることにした。
次の転移者が、この関所に到達する日まで。
そして、その時ごとに、直也は、判断を下し続けるのだ。
不安を伴いながら。
だが、その不安こそが、人間的な判断の証拠なのだ。




