第7話 夜の巡回と違和感―旅人が示す怪しい行動パターン―
Shunya が関所を去ってから、一ヶ月が経った。
その一ヶ月の間に、直也の生活には、ある種のリズムが出来上がっていた。朝に役人たちと関所の状況を確認し、昼間は旅人たちを観察し、夜間は関所帳に記録を付ける。その単調な日々の中で、直也の観察眼は、さらに研ぎ澄まされていった。
転移者を見分ける能力は、もう特別なものではなくなっていた。それは、単に「人間を観察する習慣」に変わっていたのだ。その習慣は、江戸時代の普通の人間たちの中から、転移者を見分けるだけでなく、普通の人間たちの本質も、明らかにしていった。
夜中の出来事だった。
直也は、関所の夜間警備のため、関所の内部を巡回していた。その夜、田中が体調不良で、通常より早く休んでしまったため、直也が自ら巡回することにしたのだ。
関所の客間の窓の外で、声がした。
その声は、男の声だ。だが、その声は、何かを測るような、何かを計るような、そうした音色を持っていた。直也は、その声に注目した。
「…高さは、約4.5メートル。…梁の位置は…」
その声は、何かの距離を測っているような音声だ。その音声は、江戸時代の言葉ではなく、別の言葉が混ざっているように聞こえた。
直也は、その音声の出所に向かった。
客間の窓の外に、人影があった。その人影は、壁を見上げている。その動きは、単なる「景色を見ている」のではなく、「建築的に何かを分析している」ように見える。
「誰ですか」
直也が声をかけると、人影は、驚いて振り返った。
その人物は、30代後半の男だ。着物は、質の良い旅人のそれだ。髪は、江戸時代の男のそれとは少し異なっている。その髪の質感は、より光沢があり、より整えられているように見える。
「…夜間に外を歩いていました」
その男は、素早く説明した。その説明は、自然だが、わずかに作られた感がある。
「この関所の建築が珍しいと思って」
「珍しい。…どのような点が珍しいのですか」
直也の質問は、穏やかだが、強固な意思を帯びていた。
「…築造の年代。柱の配置。梁の組み方。全て、通常の江戸時代の関所とは異なっているように見えます」
その男の返答は、建築的な知識を示していた。その知識は、江戸時代の普通の旅人が持つべき知識ではない。むしろ、建築を専門的に学んだ者の知識だ。
「そうですね」
直也は、その男を見つめた。
「では、あなたのお名前は」
「…田中部幸一。浪人です」
その男は、名前を述べた。その名前は、江戸時代にありそうな名前だ。だが、その発音が、わずかに異なっている。
「浪人ですか。…通行の許可証をお持ちですか」
「ええ。持っています」
その男は、許可証を取り出した。その許可証は、昼間に関所で確認されたものだ。直也は、その許可証を見覚えている。その午前、この男は、「各地を巡る浪人」という身分で、この関所を通った。その時は、何の違和感も感じなかった。
だが、今、その男が、夜間に関所の外壁を測っているのだ。その行動は、単なる「建築への興味」では説明できない。その行動には、目的がある。
「あなた、何か理由があって、この建築を測っているのですね」
直也は、その言葉を口にした。
「違いますか」
「…」
その男は、答えなかった。その沈黙は、認めるものだ。その男は、何かの目的を持って、この関所の建築を測っていたのだ。
「では、その目的は何ですか」
「…」
再び、沈黙だ。その沈黙は、より深くなった。
「夜間に関所の建築を測ることは、通常の行動ではありません。通常、それは、盗難などの犯罪の準備を示します」
直也は、その男の目を見つめた。
「あなた、何かを盗むつもりですか」
「!」
その男の眼が、変わった。その変わり方は、直也が「盗む」という言葉を発した瞬間だ。
「どうして、その言葉を…」
その男は、言葉を止めた。だが、その途中の言葉は、充分に意味を持っていた。その男は、確かに「盗む」ことを計画していたのだ。
「では、この関所の中に、何か盗むべきものがあると、あなたは考えているのですか」
直也の質問は、続いた。
「あるいは、この関所を抜けて、別の場所で盗むつもりなのか。その何かとは、何ですか」
「…」
その男は、答えなかった。
「では、関所の奥に来ていただけますか。色々と、確認したいことがあります」
直也の声は、穏やかだったが、強固な意思を帯びていた。
その男は、観念したようだ。素直に、直也の後に続いた。
関所の奥の部屋で、その男は座らされた。
夜間のため、田中と山本は、同席していない。直也と、その男だけだ。
「あなたの本当の身分は何ですか」
直也は、聞いた。
「…」
その男は、答えなかった。
「『盗む』という言葉に反応した。それは、あなたが、本当に盗むことを計画していることを示します。さらに、あなたの建築への知識。夜間に関所の構造を測る行動。全て、これは盗難計画の準備です」
直也は、その男を見つめた。
「そして、あなたの言葉遣い。『田中部幸一』という名前。その発音の中に、別の言語体系が混ざっています。『幸』の字の音。『一』の字の音。それらは、日本語ではなく、別の言語から翻訳された音のように聞こえます」
直也の指摘は、鋭かった。
「さらに、その男の髪の質感。江戸時代の男とは異なる。まるで、別の時代から来たような…」
その時点で、その男は、口を開いた。
「…わかりました」
その男は、そう言った。
「あなたは、本当に『それ』を見る眼を持っている。Jacob から聞いていたが、本当だったのか。40代のニート代官。転移者を見分ける、その眼」
その男は、その言葉を述べた。
「では、自分の本当の身分を、明かします」
その男は、長く息をついた。
「…Claude Moreau. フランスの怪盗です。21世紀のフランスで、多くの美術館や貴族の館から、盗んできました。その技術を用いて、江戸時代に来たのです」
その男は、そう名乗った。
「Claude Moreau。怪盗ですか」
直也は、その名前を繰り返した。
「では、あなたは、この江戸時代で、何かを盗むつもりですか」
「…そうです」
Claude は、素直に答えた。
「我は、江戸時代の秘宝を盗むつもりです。各地の大名の館から。特に、美術的価値の高い品々を。それらを盗み出し、別の時代に流通させる。その流通経路により、利益を得る」
Claude の告白は、Jacob や Shunya とは異なっていた。Jacob は「権力」を求め、Shunya は「利益」を求めていた。だが、Claude は、単に「盗むこと」を目的としていたのだ。
「では、あなたは、この江戸時代の秩序を破壊するつもりですか」
直也は、聞いた。
「破壊ではなく、『採取』です。この江戸時代に存在する美術品を、採取する。その採取により、この時代の秩序が破壊されるわけではなく、単に、その時代の資産が移動するだけです」
Claude は、その言葉を述べた。
「だから、我は、何の悪事も働かないのです。ただ、盗むだけ。盗むこと自体は、この江戸時代の秩序を破壊しません。盗まれた品を、その後、どうするかは、別の問題です」
Claude の理屈は、巧妙だった。だが、その巧妙さの中には、確かに盗難という犯罪が隠れている。
「盗むことが、何の悪事も働かない、という考えは、成立しません」
直也は、その言葉を述べた。
「盗まれた品は、その所有者の財産を失わせる。その所有者の生活に、影響を与える。それは、確実に、この時代の秩序を動かす。その動きが、大きなものにならないことを、あなたは望んでいるのかもしれません。ですが、それでも、動きは存在する」
Claude は、その言葉を聞いて、静かに頷いた。
「…その通りです。我は、その動きが、小さく、目立たぬものになることを望んでいます。だから、小さな品々を、盗むだけ。大きな財宝は盗みません。その理由は、盗まれたことが、すぐにバレるから。小さな品々なら、盗まれたことさえ、気づかれないかもしれない」
Claude の理屈は、確かに論理的だった。怪盗としての、その技術と思考は、明らかに高度なものだ。
「では、あなたの目的は、明確です」
直也は、その言葉を述べた。
「あなたは、この江戸時代で、盗難を繰り返すつもり。その盗難により、利益を得る。その利益を、別の時代に流通させる。その流通経路を通じて、利益を得る。…それは、確実に、この江戸時代の秩序に対する侵略です」
「…そうですね」
Claude は、その言葉を認めた。
「我たちの組織は、歴史改変により、各時代から資産を採取する。それが、我たちの目的です。その目的を果たすため、我は、この江戸時代に来た」
Claude の言葉の中には、より大きな組織が存在することが示唆されていた。
「…では、あなたを逮捕します」
直也は、その言葉を口にした。




