第3話 刀と許可証―若き浪人の言葉に隠された矛盾―
昼過ぎ、新しい旅人が関所にやってきた。
若き武士だ。年は20代。顔に古い傷がある。その傷は、最近のものではなく、戦闘経験を持つ者のそれだ。刀は二本。大刀と脇差。武士の身なりは完璧だ。着物も質が良く、帯も地厚い。足元の足袋も新しい。
だが、何かが違う。
直也は、その武士の立ち振る舞いを観察していた。その武士の動きは、江戸時代の武士のそれではなく、もっと効率的で、もっと戦闘的だ。その動きの中には、訓練された兵士の痕跡が見える。
「通行を願う」
武士は、許可証を差し出した。その許可証は、一見すると正式なものだ。江戸時代の許可証の形式に従っている。だが、その印鑑が奇妙だ。
直也は、許可証を受け取った。
許可証の印鑑は、江戸時代の代官のものではなく、もっと古い、戦国時代のものに見える。その形状が、江戸時代の統一された許可証システムに合致していない。
「この許可証」
直也は、その許可証を武士に見せた。
「いつのものですか」
「…」
武士は、答えなかった。その代わりに、その眼が、警戒の色に染まった。
直也は、その沈黙を続けた。関所の空気が、張り詰まり始めた。
「通行できるかどうか、確認するためにも、この許可証の出所を教えていただけますか」
直也の質問は、穏やかだった。だが、その穏やかさの裏には、強固な意思が感じられた。
「…白河藩です」
武士は、答えた。その返答は、即座だったが、わずかな間が生まれていた。
「白河藩。いつの白河藩ですか」
「…最近のものです」
再び、わずかな間。その間は、記憶を作るための間だ。本当にはない記憶を、その場で作ろうとしている間だ。
直也は、その矛盾に気づいた。同時に、この武士も、第一の旅人と同じく、転移者であることを確信した。
「白河藩の許可証としては、この形状は少し古いのですが」
直也は、その許可証を詳しく見つめた。
「…確認させていただきたいのですが、あなたのお名前は」
「浅倉源太。浪人です」
返答は、即座だ。その名前は、江戸時代にありそうな名前だ。浅倉という姓も、源太という名前も、浪人の中にはよくいる。
だが、直也は、その名前の発音に注目していた。
「浅倉源太」と武士が言った時、その「倉」の部分の音が、わずかに異なる。現代日本語と江戸時代の日本語の違いではなく、もっと本質的な音韻体系の違いだ。その音は、別の言語から、無理やり日本語に当てはめられた音に聞こえた。
さらに、その返答の最後の「です」という敬語形。江戸時代の浪人が、このような丁寧な敬語を使うか。確かに、使うこともある。だが、その「です」の音は、教科書的だ。実際に江戸時代の言語環境で育った者の発音ではなく、別の時代で、日本語を学習した者の発音に聞こえた。
「浅倉源太。いい名前ですね」
直也は、さらりとそう言った。
「ところで、浪人になられたのは、いつですか」
「三年前です」
「三年前。失礼ですが、それ以前は、どこの大名に仕えていたのですか」
「…豊臣家です」
その時点で、直也は、その矛盾に気づいた。豊臣家は、江戸時代では既に滅んでいる。秀吉の死後、秀頼の時代に関ヶ原の戦い、そして大阪冬の陣・夏の陣で、完全に消滅した。その滅亡から、この現在までの時間を考えると、この武士が豊臣家に仕えていたのは、少なくとも50年以上前のことになる。
だが、この武士は、20代だ。
その年齢で、50年以上前の豊臣家に仕えることは、不可能だ。
「豊臣家。…そうですか」
直也は、その矛盾を、あえて指摘しなかった。代わりに、別の角度から問うた。
「豊臣家から浪人になられた理由は」
「…秀頼様の…」
武士は、言葉を途切らせた。その言葉の途切れ方に、パニック的な色合いが見える。時系列を無理やり合わせようとしたが、その無理が顔に出ている。
「秀頼様は、既に…」
「知っています」
直也は、その言葉を遮った。
「秀頼様は、大阪冬の陣で滅びました。その時期から、三年前の現在までの時間を考えると、その計算が、あなたの年齢に合致しません」
武士の顔に、焦りが浮かんだ。
「…言い間違えました。上杉家です。上杉家に仕えていました」
新しい名前が出た。上杉家。これは、江戸時代にも存在する大名だ。その設定なら、時系列が合致する可能性がある。
だが、直也は、その変更された言葉に、さらに注目していた。
「上杉家ですか。…では、上杉家から浪人になられた理由は」
「…藩の経営困難から。自分で身を立てるため」
武士の返答は、だんだん短くなってきていた。警戒心が、高まっている。
「経営困難。そうですね。上杉家が経営困難に陥った時期は、いつですか」
「…江戸初期です」
「江戸初期。そうすると、あなたが浪人になったのも、江戸初期ですか」
「…いや、最近です」
武士は、再び矛盾した返答をしてしまった。
「…言い間違えました。上杉家の改易を恐れて、先制的に浪人になったのです」
「改易」
直也は、その言葉に飛びついた。
「改易というのは、藩を失うことですね。ですが、上杉家が改易される可能性があった時期は、江戸初期です。その改易の危機から逃れるために、今この時代に浪人として生きている。その時系列は、成立しません」
直也の問い詰めは、静かだが、冷徹だった。
「あなたの話には、矛盾が多すぎる。年齢と経歴が合致しない。許可証の形状も、江戸時代のそれではない。そして、あなたの言葉遣いにも、江戸時代の言葉ではない音が混ざっている」
直也は、立ち上がった。
「あなた、本当は何者ですか。そして、本当は、いつの時代から来たのですか」
武士の顔に、最後の決断の色が浮かんだ。その手が、刀の柄に触れた。
関所の空気が、一瞬で、危険なものに変わった。
「田中」
直也は、役人の田中に言った。
「外に出ていてください。これからのことは、見ない方がいい」
「代官殿…」
田中は、躊躇した。だが、直也の眼を見て、その強固な意思を感じ取った。田中は、素直に関所を出た。
部屋の中に、直也と武士だけが残された。
武士の手は、刀の柄をしっかりと握っている。その握り方は、本気だ。その武士は、この場で、直也を傷つけることを覚悟している。
「抜くんですか」
直也は、その武士を見つめながら、静かに言った。
「ここで抜けば、江戸の役所は、この関所に軍を派遣するでしょう。そうしたら、あなたは、この時代の武装勢力に、正面から対抗することになります。あなたが、いくら訓練された兵士であろうと、江戸の軍勢には、敵わない。その結果は、死です」
直也の言葉は、客観的だった。感情ではなく、ただの事実の述べ方だ。
武士は、その言葉を聞いて、刀の柄から手を離した。
その手の動きは、敗北を示していた。
「…わかった」
武士は、そう言った。その声は、低かった。
「お前は、何者だ。40歳の代官のはずが、このような眼をしている。転移者か」
「いいえ。この時代に生まれた者です。…ただし、この時代に転移してきた者たちの正体を見抜くことが、このニートには、得意なのです」
直也は、その言葉を口にしていた。
「…ニート?」
武士は、その言葉に、戸惑った。
「働かない者。現代日本の…」
直也は、その説明を途中で止めた。
「とにかく。あなたについて、きちんと聞きたい。その時間をください」
直也は、部屋の机に、横一列に座るよう、武士に示した。
武士は、その机の前に座った。
その時点で、関所の部屋は、問い詰めの舞台へと変わった。
「あなたの本当の名前は」
直也は、問いかけた。
「…Jacob Soulter」
武士は、その名前を口にした。その名前は、完全に外国語だ。英語のそれだ。
「Jacob Soulter。何かの組織に属していますか」
「…はい。国際的な秘密組織に属しています。コード番号は818。我は、その組織の幹部です」
Jacob の返答は、この時点で、完全な投降的なものに変わっていた。
「秘密組織818号。何が目的ですか」
「…歴史改変。過去への介入を通じて、現在の世界をより理想的な形に変えること」
「過去への介入。具体的には」
「…この江戸時代の権力構造を、我たちの支配下に置くこと。そして、その支配を通じて、日本の歴史を変えること」
Jacob の告白は、重かった。その中には、組織人としての確信と、同時にその確信への疑問が、混在していた。
直也は、その言葉を聞いて、判断を保留することにした。
今は、すべてを聞く。その後で、決めるのだ。




