第24話 身分と自己―皇族が問う存在の本質と代官の立場―
その女性の告白の後、直也は、その夜、眠ることができなかったます。
「自分自身を失った人間」。その言葉が、直也の心に、深く突き刺さっていました。
その夜、直也は、その女性のもとを訪ねることにしました。
その女性は、窓際に座って、月を見つめていました。
「眠れませんか」
直也は、聞きました。
「眠れない。眠りたくない。ここで眠ることは、私が『何者でもない』ことを再確認することになる」
その女性は、そう答えました。
「…あなたの本当の名前は何ですか」
直也は、聞きました。
「…知りません」
その女性は、奇妙な返答をしました。
「知りません。京都では、『皇族の一員』として、『そう呼ばれていた名前』がありました。ですが、その『そう呼ばれていた名前』は『皇族という身分の名前』であり、『私自身の名前』ではなかったのです」
その女性の言葉は、深い。
「では、あなたは『何者ですか』」
直也は、その問いを発しました。
「…何者でもありません」
その女性は、答えました。
「京都では『皇族』だった。江戸では『商人』に偽装している。ですが、『私自身』は『何者でもない』。『何者でもない人間』として、この江戸時代に来たのです」
その女性の言葉は、苦しみを伴っていました。
「あなたを逮捕します」
直也は、その言葉を口にしました。
「…わかりました」
その女性は、素直に、その判断を受け入れました。
「…なぜですか」
直也は、その言葉を続けました。
「なぜなら、あなたは『何者でもない人間』だからです。『何者でもない』ということは『判断の対象にならない』ということなのです。あなたを『見守る』ことができません。『見守る対象』がないからです」
直也の言葉は、深い矛盾を含んでいました。
その時点で、その女性は、口を開きました。
「…ですが、あなたも『何者でもない人間』ではありませんか」
その女性は、その問いを発しました。
「あなたは『40代のニート』から『関所の代官』になりました。ですが『代官』という身分は『転移』により与えられた『外面的な身分』に過ぎません。『あなた自身』は『何者なのか』」
その女性の問いは、直也の心を揺さぶりました。
「…」
直也は、答えられませんでした。
「あなたは『判断を下さない者』だと言いました。『見守る者』だと言いました。『苦しむことで責任を負う者』だと言いました。ですが、その全ては『身分を説明している』だけではありませんか。『あなた自身の本質』を説明していないのではありませんか」
その女性の言葉は、極めて鋭かったです。
「…では、あなたは『何を求めているのですか』」
直也は、その問いを発しました。
「…求めていません。ただ、存在したいだけです。『身分のない』『名前のない』『何者でもない人間』として、ただ、この江戸時代に存在したいだけです」
その女性の言葉は、深い絶望を伴っていました。
その時点で、直也は、気づきました。
この女性は、「逮捕の対象」ではなく、「存在の問題」をもたらす者なのだ。
「…では、あなたを通します」
直也は、最後に、その言葉を口にしました。
「…なぜですか」
その女性は、穏やかに聞きました。
「なぜなら、『何者でもない人間』を『逮捕する権利』を、私は持っていないからです。『何者でもない』ということは『判断の対象にならない』ということなのです。そして、『私自身も『何者でもない』のです』」
直也の言葉は、自分自身への気づきを伴っていました。
「あなたと同じように、『代官』という身分は『外面的な身分』に過ぎず、『私自身』は『何者でもない』のです。その『何者でもなさ』の中で、『あなたを見守ります』」
直也は、その言葉を述べました。
「…わかりました」
その女性は、その言葉を受け入れました。
「『何者でもない者』同士として、『何者でもない』という共通の立場から、あなたは『見守ります』。…それは『見守る』のではなく『並んで存在する』ことではありませんか」
その女性の言葉は、深い認識を伴っていました。
その日の昼。
その女性は、許可証を手に、関所を通った。
その時、その女性は、直也に一言だけ言いました。
「あなたは『代官』ではなく『何者でもない者』です。その『何者でもなさ』を認識する勇気を持ってください」
直也は、その言葉に、何も返さなかった。ただ、その女性の背中を見送った。
その女性は、昼間の光の中を、去っていった。その背中は、「身分を失い、自分自身を失った者」の背中のように見えた。
その日の夜。
直也は、関所帳を開いた。
その中に、その女性の名前を書くことにしました。「京の君」。その名前で。
その女性という本人の身分を、「京の君」という別の名前で、江戸時代の記録に残すのだ。
直也は、その夜、月を見つめていました。
江戸時代の月だ。
直也は、その時、気づきました。
自分は『代官』という身分を持ちながら、『何者でもない者』として、この江戸時代に立ち続けているのだ。
その『何者でもなさ』の中で、『見守る』のではなく『並んで存在する』のだ。
その『並んで存在する』という立場を、直也は、受け入れることにしました。




