第19話 奴隷と商人―人身売買の闇を担う男の来訪―
鈴木美咲が関所を去ってから、三週間が経った。
その三週間の間に、直也は、転移者たちの存在そのものについて、考え続けていました。
転移者たちは、それぞれ、異なる目的を持っていました。だが、その全てが、「この江戸時代に影響を与える可能性を持つ者たち」でした。
そして、直也は、その全てを「見守る」ことに決めました。「判断を放棄する」ことで。
だが、その「見守る」ことが、本当に正しいのか。その問いは、まだ、直也の心を揺さぶっていました。
午前9時。
新しい旅人が、関所にやってきた。
その人物は、50代前半の男だ。顔は、太く、血色も良い。その良さは、健康的なものではなく、「肉欲的な満足」から来ているものに見える。着物は、豪華だ。帯も、高級品だ。足元の草履も、最高級だ。
つまり、この男は、相当な富を持っている。その富は、「正当な商売」からではなく、「別の何か」から得られているものに見える。
護衛がついている。若い男たちが、五人。その護衛たちも、質の良い着物を着ている。つまり、この男は、相応の人間を雇うことができるだけの財力を持っている。
「通行を願う」
その男は、許可証を差し出した。その声は、低く、濃厚だ。その声の中には、ある種の欲望が感じられた。
直也は、その許可証を受け取った。
許可証は、整っている。江戸の商人の印鑑が押されている。その商人の名前は、「船橋商館」だ。それは、ありふれた名前だが、許可証の形式は、正しい。
「商売ですか」
直也は、聞いた。
「そうです。江戸から各地へ、様々な品々を配送する商売をしております。特に、『人間』を商品として扱う商売が、専門です」
その男の返答は、あまりに直接的だ。その直接性に、直也は、驚いた。
「『人間』を、商品として。…あなたは、人身売買をしているのですか」
直也は、その問いを発した。
「そうです。人身売買。古い言葉では『奴隷売買』と言いますが、現代では『人身売買』と言います。我は、その『人身売買』の仲介者として、この江戸時代に来ました」
その男の告白は、これまでの転移者たちとは全く異なっていた。
その男は、「罪悪感」を示していない。その男は、「自分の行為が悪である」ことを知りながら、それを肯定しているように見える。
「では、あなたは、この江戸時代で、人身売買を続けるつもりですか」
直也は、その問いを発した。
「そうです。この江戸時代には、『人身売買』という概念が、まだ、確立されていません。だから、我は、新しい『商売の形式』として、『人身売買』を導入するつもりです。その結果として、多くの人間が、『奴隷』として、売買されることになります」
その男の言葉は、冷徹だ。その冷徹さは、「人間の苦しみを無視する冷徹さ」だ。
「…あなたの本当のお名前は」
直也は、その問いを発した。
「…田代義久。21世紀の日本で、『人身売買組織』の幹部として働いていました。その技術を用いて、この江戸時代に来ました」
その男は、そう名乗った。
「田代義久。…では、あなたを逮捕します」
直也は、その言葉を口にした。
その言葉は、これまでのような「迷い」を伴っていませんでした。その言葉は、「確信」を伴っていました。
関所の奥の部屋で、田代義久は座らされた。
田中と山本が、同席している。
「あなたの本当の身分は何ですか」
直也は、聞いた。
「…人身売買組織の幹部です。本当に」
田代義久は、答えた。
「我は、21世紀の日本で、複数の国から、人間たちを『奴隷』として購入し、別の国に売却する商売をしていました。その商売の利益は、極めて大きい。一人の人間を、100万円で購入して、1000万円で売却する。その繰り返しにより、我は、数十億円の資産を得ました」
田代義久の言葉は、自慢に満ちていました。
「では、あなたは、この江戸時代で、その商売を続けるつもりですか」
「そうです。江戸時代には、『人身売買』という概念が、確立されていません。だから、我は、新しい『商売の形式』として、『人身売買』を導入するつもりです。その結果として、多くの農民が、『奴隷』として、売買されることになります」
その時点で、直也は、気づいた。
この男は、「判断を放棄する」ことで許してはいけない者なのだ。
この男は、「確実に、多くの人間を傷つける」。その傷つけることが、目的なのだ。
直也は、この時点で、初めて、「逮捕する」という判断に、確信を持ったのです。




