第15話 文と言葉―中世の言葉遣いを持つ飛脚の秘密―
田中博司が関所を去ってから、一ヶ月が経った。
その一ヶ月の間に、直也は、自分が「判断を見守る者」であることに、ようやく慣れ始めていた。
その「見守る」ことが、本当に正しいのか。それは、相変わらず、わかりません。だが、その「わからなさ」の中で、直也は、ある種の静寂を感じるようになりました。
判断を下さないことの静寂。決断を避けることの静寂。その静寂の中で、直也は、毎日を過ごしていました。
午後1時。
新しい旅人が、関所にやってきた。
その人物は、30代の男だ。顔は、知識人のそれだ。眼には、本をたくさん読んできた者の深さがある。着物は、質の良い旅人のそれだ。護衛がついていない。一人での旅だ。
「通行を願う」
その男は、許可証を差し出した。その声は、柔らかく、丁寧だ。その声の中には、ある種の古風さが感じられた。
直也は、その許可証を受け取った。
許可証は、整っている。江戸の飛脚組合の印鑑が押されている。その組合の名前は、「江戸飛脚」だ。それは、ありふれた名前だが、許可証の形式は、正しい。
「飛脚ですか」
直也は、聞いた。
「然り。我は、江戸より、各地へ、御状を運び申し候」
その男の返答は、即座だ。だが、その言葉遣いが、極めて奇妙だ。
「然り」「申し候」。その言葉遣いは、江戸時代の日本語ではなく、もっと古い、中世の日本語だ。その古さは、意識的なものに見える。その男は、わざと、古い言葉遣いで、話しているのだ。
直也は、その奇妙さに注目した。
「『申し候』。…いい言葉遣いですね」
直也は、その言葉に注目した。
「江戸時代では、あまり聞かない言葉遣いですが」
「…」
その男は、答えなかった。
「いつからの飛脚組合ですか」
「…」
再び、沈黙だ。
「では、あなたのお名前は」
「…」
その男は、答えなかった。その沈黙は、認めるものだ。その男も、転移者であることが、ほぼ確実だ。
「では、関所の奥に来ていただけますか」
直也の声は、いつもの穏やかなものだ。だが、その穏やかさの中には、「見守る者」としての、ある種の諦念が感じられた。
その男は、観念したようだ。素直に、直也の後に続いた。
関所の奥の部屋で、その男は座らされた。
田中と山本が、同席している。
「あなたの本当の身分は何ですか」
直也は、聞いた。
「…」
その男は、答えなかった。
「あなたの言葉遣いが、江戸時代のものではなく、中世のものであることから、あなたは、中世の日本から転移してきた者だと思われます。ですが、中世の日本から、江戸時代への転移は、相当に難しいはずです。通常、転移は、同じ日本国内であっても、時間距離が近い時代同士で起きるはずです」
直也は、その男を見つめた。
「では、あなたは、何か?」
「…」
その男は、依然として、答えなかった。
「あなたの眼を見ていると、確かに、飛脚としての経験がある者のようです。だが、その経験は、江戸時代のものではなく、もっと古い時代のものに見えます」
直也は、続けた。
「では、あなたの本当の身分は、何ですか。何度でも聞きます」
その時点で、その男は、口を開いた。
「…飛脚です。本当に。ですが、江戸時代の飛脚ではなく、平安時代の飛脚です」
その男は、最後に、その言葉を口にした。
「平安時代。…あなたは、1000年以上前から、転移してきたのですか」
「そうです。平安時代の京都から、転移してきました」
その男の告白は、これまでの転移者たちと全く異なっていた。
「平安時代。…何が目的ですか」
「…手紙を運ぶこと。ただ、それだけです」
その男の返答は、シンプルだった。
「手紙。…どのような手紙ですか」
「…転移者たちへの手紙です」
その男は、その言葉を述べた。
「転移者たちの間には、秘密の通信ネットワークが存在します。その通信ネットワークの中で、様々な情報が、交換されている。我は、その通信ネットワークの仲介者として、この時代に来たのです」
その時点で、直也は、気づいた。
これまでの転移者たちが、それぞれ、独立した目的を持っていたのに対して、この男は、「複数の転移者たちをつなぐ媒介者」として機能しているのだ。
つまり、この男を逮捕することで、その通信ネットワークを破壊することができるかもしれない。
だが、同時に、直也は、別のことにも気づいた。
自分は、もはや、「判断を下す立場」にはいないということを。




