第14話 統一と破壊―情報官が問う判断の本質と責任―
その男の正体を知った後、直也は、その夜、眠ることができなかった。
それまでの転移者たちとは異なり、この男の計画は、「確実に、この江戸時代に影響を与える」ものだ。Jacob の権力志向も、Shunya の利益志向も、Claude の盗み行為も、Pierre のテロ計画も、佐藤健太の暴力支配も、全て、「実現される可能性がある」ものだった。
だが、この男の「情報ネットワークの構築」は、より直接的だ。より即座だ。より実現可能だ。
その夜、直也は、その男のもとを訪ねることにした。
その男は、窓際に座って、月を見つめていた。
「眠れませんか」
直也は、聞いた。
「眠れない。眠りたくない。ここで眠ることは、私の使命を放棄することになる」
その男は、そう答えた。
「…あなたのお名前は」
直也は、聞いた。
「田中博司。21世紀の日本で、情報機関の情報官として働いていました」
田中博司は、そう名乗った。
「田中博司。…では、あなたの計画は、本当に実行されるのですか」
「…わかりません」
田中博司は、素直に答えた。
「私の計画は、長期的なものです。このような短期間での実行は、想定していません。ですが、ここに来たからには、何らかの準備を始める必要がある」
「その準備により、この江戸時代の秩序が破壊される可能性が、あるのですね」
「…あります。その破壊を承知で、私は、この計画を進めています」
その時点で、直也は、気づいた。
これまでの転移者たちとは異なり、この男は、「破壊の可能性を明確に認識」している。その認識の上で、計画を進めている。
「では、あなたを逮捕します」
直也は、その言葉を口にした。
「…わかりました」
田中博司は、素直に、その判断を受け入れた。
「あなたは、当然、そう判断するでしょう。私の計画は、確実に、この江戸時代に影響を与える。その影響は、必ずしも良いものではないかもしれない。だから、逮捕は、当然です」
だが、その直後、田中博司は、続けた。
「…ですが、あなたは、本当に、その判断が正しいと思いますか」
その問いは、直也の心を揺るがした。
「…」
直也は、答えられなかった。
「考えてください。あなたは、これまで、五人の転移者を『通してきた』。その五人の中には、『より大きな害をもたらす者』もいたはずです。例えば、Pierre のテロリスト。あの者も、『確実に、この江戸時代に影響を与える』可能性がありました」
田中博司は、その言葉を続けた。
「だが、あなたは、Pierre を通した。なぜですか。それは、『この江戸時代では何もしないという直感』だったのではないですか。そして、その『直感』は、『判断』なのですか。それとも、『希望』なのですか」
直也は、その問いに、答えを見つけることができなかった。
「…あなたと私の差は、何ですか」
田中博司は、その問いを続けた。
「あなたは、『転移者たちを見抜く眼』を持っています。その眼で、私たちを見ています。ですが、その眼で見たからといって、あなたが『正しい判断』をしているわけではない。あなたが『正しい判断をしている』と思っているのは、あなたの『傲慢さ』なのではありませんか」
その言葉は、直也に、深い傷をもたらした。
「あなたは、『気まぐれで判断する』ことを『人間的』だと思っていた。ですが、それは、単なる『責任放棄』ではないのですか。『気まぐれ』という言葉で、自分の不決断を正当化しているだけではないのですか」
田中博司の言葉は、続いた。
「例えば、私を逮捕するなら、あなたは『責任』を持つべきです。『責任』とは何か。それは、『その判断によって生じた結果に対する責任』です。もし、私を逮捕したことで、別の何かが起きたら、あなたは『その責任』を持つべきなのです。ですが、あなたは、『気まぐれで判断する』ことで、その『責任』から逃げている。それが、『人間的』なのですか」
その言葉は、直也の心を、完全に破壊した。
翌朝。
直也は、決断を下すことができなかった。
翌昼も、直也は、決断を下すことができなかった。
その日の夜。
直也は、最後に、田中博司のもとを訪ねた。
「…あなたを、通します」
直也は、その言葉を口にした。
「…なぜですか」
田中博司は、穏やかに聞いた。
「…なぜなら、あなたを逮捕することが、『正しい判断』であるのか、わからないから」
直也は、その言葉を述べた。
「あなたは、私に『責任』を問いました。あなたを逮捕することで、『その責任』を持つべきだと言いました。…ですが、私には、その『責任』を担う確信がない」
直也は、続けた。
「私は、『気まぐれで判断する』ことで、『責任』から逃げていたのかもしれません。その『気まぐれ』が『人間的』だと思い込んで。…ですが、その『気まぐれ』の中には、確実に『無責任さ』があります。『判断を下しながら、その判断の責任を持たない無責任さ』があります」
直也は、その言葉を述べた。
「だから、あなたを通します。あなたの『責任』は、あなたが持つべきものです。あなたの計画の結果は、あなたが負うべきものです。そして、もし、その計画が失敗し、この江戸時代に混乱をもたらしたら、その混乱もまた、あなたが負うべきものです」
直也は、続けた。
「私が、その『責任』を共有することはできない。だから、あなたを通します。そして、その『責任』を持たない判断が『正しいのか、間違っているのか』は、時間が証明するでしょう」
田中博司は、その言葉を聞いて、静かに頷いた。
「…わかりました。ありがとう」
田中博司は、そう言った。
「あなたの判断は、確実に『無責任』です。ですが、その『無責任さ』の中に、『正直さ』があります。『責任を持つことができない自分』を、正直に認めている。それは、ある種の『誠実さ』だと思います」
その日の昼、田中博司は、許可証を手に、関所を通った。
その時、田中博司は、直也に一言だけ言った。
「あなたは、『判断を下す者』ではなく、『判断を見守る者』なのかもしれません。『判断の責任』を持たずに、『判断を見守る』という立場は、ある意味で、最も『人間的』なのかもしれません」
直也は、その言葉に、何も返さなかった。ただ、田中博司の背中を見送った。
田中博司は、昼間の光の中を、去っていった。
その日の夜。
直也は、関所帳を開いた。
その中に、田中博司の名前を書こうとした。
だが、その手は、止まった。
直也は、そのページを見つめていた。
本当に、この記録に、名前を書くべきなのか。
本当に、この判断が『正しい』のか。
直也は、その問いに、答えることができなかった。
最後に、直也は、「松田」という名前を書いた。「松田昭夫」。
その名前は、何の根拠もない。ただの、「別の名前」だ。
直也は、その夜、月を見つめていた。
江戸時代の月だ。
直也は、その時、気づいた。
自分は、「判断を下す者」ではなく、「判断を見守る者」になってしまったのだ。
その「見守る」ことが、本当に「正しい」のか、直也には、わかりませんでした。
だが、直也は、その「見守る」という立場を、受け入れることにした。




