家族
蒼夜と美月は民間人が収容されている基地の一角に向かった。
「ところで蒼夜君は子供と話したことあるかしら?」
「ありません」
記憶にある限り子供と接した記憶はない。法律上蒼夜もまだ未成年だが。
「じゃあ、注意事項を言っておくわね。話すときは必ず目線を合わせること。口調は出来るだけ柔らかくすること。変なこと言われても怒らないこと」
三つだった。簡単だが、予想だにしない注意事項だった。
「了解です」
「あ、その口調、ダメだからよ。軍での言葉遣いは禁止ね」
「……分かりました」
そして民間人の収容所に到着した。天幕が何棟も張られ、軍人ではない人間が行き交っている。目当ての子供はどこだろうか。
「えーっと確か、このブロックに収容されているって聞いたんだけど……」
美月が周囲を見渡しながら口ずさむ。蒼夜もそれに倣い周囲を見渡す。すると足元からか細い声が聞こえた。
「あの……」
目を向けると一人の少女がスカートを強く掴んで立っていた。
あの時の子供だった。少女だったのか。暗くて分からなかった。歳は五歳頃だろうか。髪をおさげにして子供らしい丸みのある頬が特徴的だ。
蒼夜は注意事項を思い出し、かがみ目線を合わせる。目力は健在だったが。
「ひッ」
少女は怖がるように一歩下がる。眼帯をした左目。その上下には、眼帯からはみ出すように切り傷が走っている。そんな蒼夜を目の前にしては、当然の反応だった。
「ごめんね、怖かったよね」
優しい声で美月が少女に声を掛ける。蒼夜の隣にかがみながら。
「このお兄ちゃん怖いよね」
「う、うん怖い」
子供の言葉は真っすぐで心を抉る。蒼夜は顔に出さずに少しショックを受けていた。美月は声を上げて笑っている。
「でも、とっても優しいお兄ちゃんだから安心してね」
その言葉に少女は一歩前へ進み蒼夜に近付く。
「あの、えっと……」
もじもじとする、という形容詞が具現化したような少女は意を決して顔を蒼夜に向けた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
蒼夜の顔が茫然とする。直接、礼を言われる経験なんてほとんどなかった。
「良く言えたね、偉いよ。名前は何て言うの?」
美月は子供との距離を詰めるのが上手かった。頭を撫でながら聞く。
「えっと、私の名前は千紗って言います」
「千紗ちゃんかー!可愛いね!お父さんとお母さんは?」
一気に千紗の顔が曇る。それだけで察してしまった。おそらく彼女の両親はすでに、もういないのだ。
「パパとママは……」
千紗はその綺麗な瞳に涙を溜め、言葉を続ける。
「火がバーって来てるのに私を庇って焼けちゃった……」
ヒノスの炎に巻き込まれたか。
「笑ってたのあの魔族の人。皆を焼いて気持ち悪く笑ってたの」
千紗を撫でる美月の手が少し震える。蒼夜は目の前の子供が泣くのを、静かに見守る。
「千紗ちゃん、ごめんね。思い出させちゃって」
「ううん。大丈夫」
腕で涙を拭きながら千紗は言った。そしてずっと握っていた手を蒼夜と美月の前に出して開いた。そこにはご両親の形見と思われる指輪があった。ペアだ。
「これ、ずっとパパとママが付けてたの。だからこれがあったら一緒にいる気がするの」
「うん、パパとママはずっと千紗ちゃんの近くにいるよ」
蒼夜にしか分からない程度に声を震わせて美月が言う。蒼夜は何て声を掛けて良いか分からない。だが、伝えなければならないことがある。
「子供が泣かない世界を……」
「え?」
千紗が聞き返す。美月もまた蒼夜の顔を見る。記憶の中に大切に残している言葉。桧垣一佐が残した夢の断片。
「自分の昔の上官……、えっと尊敬する人が言っていたんです。千紗さんのような子供が泣かない世界を作りたい。自分はそれを実現したい。だから、もう安心して下さい。もうあなたが泣かなくて済むように、戦いますから……」
蒼夜は着地点の無い言葉の最後を探すように千紗を見る。戦うから、千紗は泣くな。そんなことは言えない。
「その、千紗さんは安心してご両親を弔ってあげて下さい」
「うん、わかりました……」
「蒼夜君……」
千紗に軍で支給されたチョコレートを渡した。彼女の人生に嬉しいことがありますように。そう願いながら蒼夜と美月は民間人の収容エリアから戻った。
道中、美月が尋ねてきた。
「蒼夜君のご家族は、その戦火に巻き込まれて?」
遠慮と興味がせめぎ合う声音。休暇に実家へ戻らなかった蒼夜も、美月も、すでに家族はいない。
「両親のことは覚えておりませんが、姉が……、いました」
わずかに記憶の片隅に残る家族の温もり。両親の顔はおろか、姉の顔も鮮明には思い出せない。
「どうやら自分は静岡方面からの避難民だったようですが、避難の際に、姉とはぐれてしまいました」
人混みの中、すり抜けて消えて行った手触り。その温もりは、もう残っていない。
「美月さんは?」
「え、私?」
まさか聞き返されると思っていなかった美月は驚きつつも、少しずつ過去を語り始めた。
「私の父は自衛官だったの。十年前の開戦から一年は生きて戦っていたけど……ある日、戦死の報が届いたわ。母はそれで体を壊して、後を追うように亡くなってしまって……」
蒼夜は黙って聞く。
「それから戦争孤児の施設に入ったけど、魔法が使えると判明した時、入隊を決めたの。十四歳だったわね」
「魔法が使えるだけで入隊を?」
蒼夜は改めて美月の姿を見た。細身で、そこまで背が高くあるわけでもない。だが、その瞳は真っ直ぐに前を見つめていた。
「父の意思を継ぎたかったのかも。まだ日本って形が残っていた時、国民を守れるのは誇りだって言ってたから」
「誇り……」
「うん、ほんとは私とお母さんと一緒にいて欲しかったんだけど」
美月はどこか遠くを見る目をして寂しげに笑った。蒼夜は静かに彼女の目を見つめる。
「お父様が守りたかったのは……」
自信無さげに、だが、はっきりと言った。
「美月さんだったのかもしれませんね」
ふ、と会話の間が空いた。美月が少し目を見開く。
「自分が知る大人の軍人たちはいつも家族の話をしていました。以前の部隊の大人達はみな家族を自慢し合っていました。お父様も戦地で同じだったのかもしれませんね」
美月の目尻に透明の雫が溜まり、零れる。
「あ、あれ?何で泣いてるんだろう。ごめんね」
ずっと胸の奥に仕舞い込んでいた、父と会えない寂しさ。最後に父の温もりを感じたのは開戦前だった。
今更のように父の本当の愛情を受け止められた気がしていた。
「いえ、泣いても大丈夫です」
蒼夜は黙って隣を歩き続けた。触れも、声を掛けなかったが、横から離れなかった。
――静岡県と神奈川県の県境にある芦ノ湖。
その暗い水面に映る富士山を、じっと見つめる一人の魔族の少女がいた。
両手を太い鎖で繋がれ、鉄の檻の中に閉じ込められている。
魔族特有の紅い瞳には深い疲労が滲み、人間よりも明らかに白い肌は、土と乾いた血で汚れていた。
「おい、目を開けろ。姫君」
目の前には魔王ヒノスの側近の一人、ネオライが鞭を持って立っていた。アルグスとカルナの混血種である彼の灰色の肌が所々剥がれているように見える。
格子窓を背にネオライは鞭を掲げ、魔族の少女に向けて振り下げる。
肉を抉る音が暗い室内に広がる。
「うぐっ」
短いうめき声。それを楽しむようにネオライは目を細める。
「クラトシアに捕まったと聞いていたが、まさか逃げ出していたとはな」
口に溜まった血で声が出せない。早く逃げ出して人類側に接触しないといけないのに。
「まあ良い。姫君よ。なぜ門を潜りここまで来られた?」
口から血を吐き出し、何とか声を出そうと口を動かす。
「お前……らに……言うか……」
直後、鋭い空気を切る音、次いで肉が裂かれる。
「ぐっ!」
少女が苦悶に身をよじらせたその時、荒々しい足音が廊下に響き渡る。
「ネオライ様!我らが主ヒノス様より伝言です!」
「あ?なんだ?」
「ニンゲンどもの軍勢が捕まえたニンゲンを取り戻すために数千程出てきました!よって、あの魔法を準備せよとのことです!」
ネオライは、口を三日月のように曲げ、魔族の少女に目を向け宣告した。
「姫君、面白いものをお見せしましょう。ここからなら良く見えるはずですよ。ニンゲンどもを滅ぼす魔法が」
少女は血に濡れた顔を上げ、驚愕に瞳を見開いた。
「滅ぼす……?」
「はははっ!良い顔だぞ。姫君!」
歓喜の咆哮とともに、再び惨烈な鞭の音が暗闇を切り裂いた。




