夜の山道
矢野は汗ばむ指で軍刀を持ち、四体のカルナに相対していた。一体は倒せたがその代償は大きかった。周囲には部下達の屍が転がっていた。足元を濡らす血だけが、まだ戦場が終わっていないことを告げている。
「よくも部下をやってくれたな」
すでに戦力は二割削られ、矢野自身も魔力の消耗が激しい。
「我々の力はすでに人類を滅ぼせるところまで来ている」
がなり声を思わせる声だった。だが、発音は驚くほど流暢だった。
「そこで我々の王の中の王が、力あるニンゲンを味方に付けようとしている」
「仲間に……?」
「そうだ。魔導剣士として優秀なお主は、我が主の目に留まっているぞ」
矢野は軍刀を握り直し、息を整えるようにゆっくりと吐いた。汗に濡れた髪が首筋に張り付き、乱れた毛先が風に揺れていた。
「私は東京防衛軍、第二師団、第十四遊撃旅団、第四中隊、中隊長。矢野鳴海だ。仲間を裏切らない」
死んでいった仲間も、まだどこかで戦っている仲間も。
「残念だ、ヤノよ。オダにも断られた」
小田も断ったのか。それよりもなぜ我々の個人名を彼らは知っているのか。やはり裏切り者は存在しているとみて間違いない。
短く息を吐く。
青白い閃光が全身から走り、周囲の空気が震えた。
陸とは違う、矢野の雷。雷葬の魔女の魔法は広がる。
「まるで天候を荒らすようだのう、ヤノよ」
「怒りの雷に飲まれて焼き死にたまえ、諸君」
震える唇を開き、カルナ達に死の宣告を伝える。
そして、指を鳴らし、魔法を放った。
カルナ達の上空に黒い雨雲のような魔力の塊が広がる。
剣を抜くカルナの影に、迸る落雷が空間を埋め尽くすように降り注ぎ、地面を抉り散らかす。
夜空の一角に昼間のような明るさが灯る。
だが、それも長くは続かなかった。
カルナの剣が、落雷の軌跡を捉えた。
一閃。それだけで魔法の核である魔核を破壊し、雷撃を弾いた。
「魔核の破壊ッ⁉」
カルナ達の直上に落ちるはずだった雷は掻き消え、弾かれた余波が大地を抉った痕跡だけが虚しく残る。
瞠目し、矢野は軍刀を地面に突き立て膝を付く。
先ほどの一撃で、矢野の魔力は完全に底をついた。
すでに紫石は輝きを失い、眠るように沈黙している。
「良き魔法だ。あと一歩であったな」
「はた迷惑な剣術だ……」
矢野は背後で息を切らし、体力を使い果たした部下達に目を向ける。
他部隊は民間人の救援に追われており、救援を望める余力などどこにもない。
「矢野隊長……。あなたと戦えて光栄でした……」
「自分も光栄です」
背後から届く部下たちの諦念の混ざった言葉。矢野は悔しさに唇を強く噛み締め、血の滲む地面を見つめた。
「諦めるな。まだ我々には手があり、足がある……。手が無くても戦え! 民間人の前で弱さを見せるな!」
自分に言い聞かせるように叫び、震える四肢へ全身の力を込める。
「顔を上げろ! 立て! 自由の旗に捧げた命を燃やせ!」
立ち上がり、軍刀の切っ先にカルナを捉える。その凄絶な上官の勇姿を目にし、打ちひしがれていた部下たちが立ち上がった。
「ここが墓場だ!最後の手向けに、敵の血で花を飾るぞ!」
カルナの深紅の目が、立ち上がる矢野とその部下達を見渡す。
月が照らす、渓谷の血濡れた道。
矢野を先頭に数十人の兵士たちが軍刀を握り直し、魂を振るわせる咆哮とともに、四体のカルナに突撃した。
鈍い音を立て、矢野と先頭のカルナの刀身がぶつかる。
横では次々と斬られ絶命していく部下の声と血が飛び交う。
肉と骨が地面に落ちる音。己の命の最期を悟った悲鳴。
二秒にも満たない間に、矢野とカルナの刀身が幾度も交錯した。カルナの剣が頬を掠め、続けざまに腹を浅く裂いた。
「命を顧みない戦いは、実に美しいな」
「狂った魔族め……」
「死ぬ気で突撃するお主らも十分狂っているだろう?」
狂っていなければ殺し合いなど出来ない。人は本来、優しい生き物のはずだ。
「狂わなければお前らとは戦えなどしない」
足元に部下の血が流れて、足場を悪くする。軍刀と剣が火花を散らす度に矢野の体力が削られる。
カルナの足が、矢野の足を掬い、重心を狂わす。
矢野の足はすでに力を使い果たしていた。ゴンッと勢いよく地面に全身が打ち付けられる。
「かはッ」
肺の中の空気が強制的に吐き出された。見上げるカルナの剣が矢野の心臓を狙い振り下ろされる。
これで退役か……。
目を閉じる。
だが、鋭い金属音が矢野の目を開かせた。
「その眼帯……。お主がソウヤか……」
カルナの声が響いた。
振り下ろされたはずの剣が蒼夜の軍刀に弾かれ、あらぬ方向へ向いている。
蒼夜は矢野の横で、軍刀を振り切った姿で立っていた。
「少年……」
矢野の呟きを無視して、蒼夜はカルナの隙を逃さず、追撃を腹に向けて振るう。
だが、二刀流のカルナは素早い身のこなしと剣の操作で避け、退いた。
「チッ」
蒼夜の短い舌打ちが聞こえる。
「大丈夫ですか?矢野二尉」
蒼夜は意識をカルナに向けたまま、矢野に聞いた。
「正直、継戦は不可だ。魔力が尽きた。すまない」
「問題ありません。我々が総力を挙げて守ります」
蒼夜の背後から陸が紫の雷を纏いカルナの前に躍り出る。
その間も直属の部下達が血を流し、倒れ続けている。
「少年、君の実力を疑っている訳ではないが、二人では太刀打ちできないかもしれない」
「問題ありません。最強の助っ人がいます」
突如、カルナの一体が叫び声を上げるのが聞こえた。
目を向けると、背後から腹に突き刺された熱を持つ刀身から炭化していくカルナが膝から崩れ落ちていくのが見えた。
「小田……」
「矢野ぉぉおお!生きてるかぁぁああ!?」
小田は返り血か己の血か分からない血を全身に浴びたまま、カルナから刀身を引き抜く。
「あいつがいい男に見えるのは錯覚か?」
そう言って矢野は出血多量で気絶した。
――蒼夜は、気絶した矢野を見て、なぜか付いて来た焔を一瞥し言った。
「矢野二尉を頼みます」
「蒼夜さんは……?」
「東堂さんの指示通り、敵を倒すだけです」
蒼夜は陸と斬り合うカルナに向け走った。
蒼夜と陸は言葉を交わさなかった。
一方が踏み込めば、もう一方が死角を埋める。
一方が退けば、もう一方が前に出る。
二人の間には、すでに言葉など必要なかった。
「蒼夜!合わせろ!」
「もちろんッ」
カルナの猛攻を蒼夜が捌き、陸が背後から斬り掛かる。
だが、カルナは蒼夜の実力を完全に把握していた。
横から別のカルナが陸の斬撃を受け、二人を分断せんと割り込む。
蒼夜と陸の視線が交差する。一瞬の連携。
二人は一気に二体のカルナから離れ、小田が斬り合っているカルナに背後から襲いかかる。
意表を突かれたカルナ達は反転し、二人を追う。だが、旅団屈指の速度を誇る二人の転進に、敵は一歩遅れる。
小田を前に、左右を二人に挟まれたカルナは、二刀を交差させて小田と陸の斬撃を受け止めた。だが、残る蒼夜の刀身は無抵抗で首を切り裂いた。
残り二体。
蒼夜達は向き直り、二体のカルナに軍刀を向ける。
カルナ達は足を止め、周囲を見渡す。すでにドロヴァの一団は全滅し、生き残ったのが自分たちだけであることを知ったようだ。
「我が名はヌラ。ヒノス様の近衛騎士にして、魔将軍。今宵はお主らを見定めに来た剣士だ。また、相見えるのを心待ちにしておる」
そう言ってカルナ達は懐から何かを取り出し地面に投げつけた。
一気に煙幕が広がり、蒼夜達の視界を遮る。咄嗟に目を腕で覆い、晴れた頃にはすでにカルナの影はどこにもなかった。
「何とか、なったな……」
小田が、崩れ落ちて言った。すでに三人の魔力は限界だった。あと一分戦っていたら尽きていた。
「はぁはぁ……。またカルナっすよ、小田一尉。クラトシアの時のカルナより強そうだし」
「マジそれな。不意打ちで一体狩れたけど、正面きって殺せる気がしねぇ」
陸のぼやきに小田が答えた。戦闘は終わり、第一中隊の余力のある隊員が民間人の状態を見ていた。インカムにノイズが走り、声が入る。
『小田一尉。民間人より報告が。捕まった民間人はまだいるそうです。あと、なぜか魔族の少女らしき人物もいた、とのことです』
「魔族の少女?なんだよそれ。てか、残りの民間人はどこに向かったのか、分かるか?」
しばしの沈黙。報告をした兵士の声が少し上ずって答えた。
『それが、富士山の方面に向かったのが最後に見た姿だったそうです』
「富士山……?」
小田が怪訝そうな声で聞き返す。
「小田一尉。救援任務続行ですか?」
蒼夜は平坦な声で聴いた。一番階級の高い小田に決定権がある。
「いや、民間人の救出に今の兵力では足りないな。本作戦ではある程度の民間人を救出し、情報を得た」
小田は言葉を切り、蒼夜の右目を見て静かに続けた。
「一度基地に帰ろう。殺すつもりなら民間人拉致なんてしないだろ? だからすぐには殺されない、と思う」
蒼夜は言葉を返さず、西の夜空を見上げた。
――富士山。
かつて桧垣一佐が語っていた、いつか山頂で日の出を見るという夢。
なぜ魔族は人を殺さずに連れ去るのか。ヒノスはどこで何を目論んでいるのか。そして、捕らえられた魔族の少女とは。
答えの出ない疑問が、暗い夜空の向こうへ静かに溶けていった。




