海水浴
八月に入り、第十七特殊近接小隊――通称『イチナナ小隊』は、束の間の特別休暇に入っていた。
奪還した川越前線基地に二個連隊を残し、防壁の補強とインフラ工事が急ピッチで進められる中、蒼夜たちは三トン半トラックの荷台に揺られて駐屯地へと帰投したのだった。
「よし、お前ら! 今日は海だ! 存分に日焼けしてこい!」
色とりどりのパラソルが咲き誇り、民間人で賑わう浜辺。
水着姿にはなったものの、染みついた習性からか砂浜の上で綺麗に横隊を組んで直立不動を決めていた小隊の面々は、東堂の大声とともに一斉に姿勢を崩した。
「うおーっ! 海だぁーっ!」
「ヤッホー! 泳ぐっスよー!」
歓声を上げながら波打ち際へ突撃していく一馬や陸たちを追いかけるように、小隊のメンバーが次々と青い海へと飛び込んでいく。
「冷てぇええ!楓、行くぞ!」
「やっぱ夏と言えば海よねぇ、ってキャっ!ちょっと陸さん女子の顔に水掛けないで⁉」
「志信!向こう岸まで泳いで競争しよう!」
「えー、瞬間移動で行っちゃだめ?一馬は重力軽くして飛んでいけばいいじゃん」
皆、思い思いに遊び始める。一馬と志信は何か軍規に触れそうな遊びだが、蒼夜は無視して砂浜を眺めていた。
燦々と照る太陽の光が砂浜と海を輝かせ、眩しい。
蒼夜はシンプルな紺のズボンのような海パンを履いていた。先日、海に行くと東堂から唐突に告げられ、一同で慌てて買い出しに行った際、美月たちに半ば強引に選ばされたものだった。
「どうした蒼夜、まさか海も初めてなのか?」
横に並ぶ東堂も蒼夜と同じようなシンプルな海パンだが、色が薄めだ。
「輸送機に乗ったことがあるのですが、その時見たことはあります」
魔族は基本、陸で生きる。海は比較的安全で、かつて世界屈指の海軍力を持っていたこの国には海の防衛は容易なことであった。よって兵士達の主な任務は内陸部にしかない。
「そういうことか。沿岸警備の任務なんてほとんど無いしな」
全てを戦いに注いだ蒼夜だからこそ初めて海を見て、その圧倒的な広さに感動していた。
「ここ九十九里浜は戦争前から海水浴で有名な場所なんだ。戦線が北部にしかない千葉県の南部は人類最後のユートピアなのかもな」
「なら、取り返さないとですね。他のユートピアも」
「おう、そうだな」
そう言って東堂は蒼夜の頭を少し乱暴に撫で、そして背中を軽く押した。
「海、入って来いよ。あ、飲むとしょっぱいから気を付けろよ」
「分かりました」
蒼夜は素早く敬礼し海へ歩きだした。
「こんな時まで敬礼するなよ蒼夜」
後ろで苦笑する東堂の声が聞こえた気がした。
波打ち際に立つと、足の裏が少し冷えた。寄せては返す小さな波が心地よい。
しゃがんでみると、八月の暑い空気とは違い冷えた空気を感じる。
試しに海水の中に手を入れてみる。
「冷たい……」
少し離れた所では陸と楓、そしていつの間にか陽斗と玲が参戦して水の掛け合いっこをしている。
「これが海水浴か」
凛花から渡された本の中で読んだことはあったが実際に体験してみると世界が少し広がった感覚になる。
しばらく手の先を海水の中で回していると背後から気配がした。
「なーにしてるのっ!」
声に反応して振り向くと、美月が背中を押そうと両腕を伸ばしていた。
思ったより早く振り返られ、美月は慌てたような声を発する。
「わっ!」
前のめりになり、そのまま蒼夜に覆いかぶさるように倒れ込んで来る。
姿勢の悪かった蒼夜も受け止めきれず、二人は蒼夜の背から海に倒れ込んだ。
バシャン、と小さな音を立てて二人は海へ倒れ込んだ。冷たい海水が二人の身体を包み込む。
背中から冷たい水を感じ、海水の冷たさが身体を包んだ。
「ご、ごめんね蒼夜君!」
「いえ」
慌てて立ち上がろうとする美月は、次は後ろへ転びそうになる。
鍛え上げられた腹筋を使い、上半身を起こした蒼夜がすかさず美月の背中に手を添えた。
「あ、あわ、ああ」
美月の顔が赤くなり、すでにトマトのようになっている。口から出る言葉も意味が不明だ。
「お怪我は?」
「だ、だだ、大丈夫っ!」
美月は弾かれたように蒼夜の上から立ち上がると、水飛沫を上げて砂浜にいるほのかと凛花のもとへ脱兎のごとく走り去って行った。
「ほほう、蒼夜氏。私はちゃんと見ておりましたぞ!」
どこからか現れた楓が、いつもとは違う珍妙な口調でニヤニヤと笑いながら、後ろに陸と玲を連れてこちらへ歩いて来た。
「君はホントに朴念仁なんだね。普通あの距離で女子と目が合ったら緊張するのに普段通りだし」
玲は呆れて言うが、そういうものなんだろうか。
陸も頭を振りながら続く。
「言ったろ、こいつは思春期ってより、めっちゃ強い六歳児くらいに思わないとダメなんだよ」
酷い言われようである。
「そこまで自分は常識がないのでしょうか?」
「「「ない」」」
綺麗なハモリを見せた否定だった。
「そうだ、蒼夜君。この小隊で一番可愛いと思う女の子は誰?」
「可愛い……?」
蒼夜は立ちあがり、陸に助けを求めるような目を向ける。だが、陸は肩を竦め、俺には何も出来ないと言いたげな目を返す。
可愛いの言葉の意味は分かるが、それを誰かに当てはめたことが無かった。
「うーん……」
考え悩む蒼夜に、しびれを切らした玲が急に右手を後頭部に持って行き、左手を腰に当てて、腰をくねらせて言った。
「私は結構可愛いと思うんだけど、どうかな?」
蒼夜はジッと玲の顔を観察する。少し小麦色に焼けた肌を覆うように白いビキニを着ており、少し釣り目だが、不思議とキツさを感じない。唇は薄く、血色の良い色をし、長く伸ばした黒髪は艶があった。
「多分……?はい」
「多分かい」
玲は少し残念そうに言い、次は楓が一歩前に行き、下から上目遣いで言って来た。
「なら私はどうですかね?割と可愛くないですか?」
色白で全体的に小さいという印象を受ける。黒い髪を肩のあたりで切り揃え、おでこが隠れる程度の長さがある。丸い目をしているが、纏う空気感のせいか少しキツさを感じる。可愛いのかと問われると分からないが。
「おそらく、はい」
「おそらくって……⁉」
ショックを受けたように楓は一歩下がり上を向く。
「かなり頑張ってぶりっ子したのにぃ」
「まあ、お前にしては可愛いと思ったぞ。俺は」
陸がフォローするように言う。
「お前にしてはってどういう事ですか!陸さん殴りますよッ!」
「軍法会議に送られたいのか!私闘は禁止だぞ!」
「川越で蒼夜さんと決闘した陸さんが言いますかッ!」
フォローではなく火種だった。蒼夜もこの件に関わっているため気配を消し静かにする。
気付けば水の掛け合いが始まり、どこから入手したのか水鉄砲を持った志信と一馬が参戦し、最後には小隊全員が参加していた。
蒼夜も手で皿を作り陸の背中に掛ける。
「蒼夜ッ!やりやがったな!」
笑いながら陸も応戦し、腕いっぱいに汲み上げられた海水を思いっきり蒼夜へ投げつける。
避けようと思えば避けられたが、敢えて蒼夜は全身でそれを受けた。
「冷たい」
「海水だからな!」
太陽が傾き空が朱色に染まるまで、海を満喫し、終わる頃には精強な兵士であるはずの蒼夜の体力は底を尽いていた。
「はぁ疲れた」
「そうだねぇ」
砂浜に立てていたパラソルの下で陸が寝っ転がりながら言い、ほのかが同意するように欠伸混じりに呟く。
「兄貴、この後はどうするんで?」
「何と、宿を取ってるぞ!素泊まりだから飯とか自分たちでやるけどな」
小隊全体でおおー、という歓声が起こる。事前に聞いていた情報では日帰りと聞いていたが、東堂のサプライズだろうか。
「全員車に乗れーー!行くぞ!」
わーい、と歓声を上げて東堂が借りたハイエースに乗り込む。
「蒼夜!今夜は長そうだな!」
陸が嬉しそうに隣で微笑む。車内は疲労も忘れた少年少女たちの歓声で満ちていた。蒼夜は後部座席から静かにその景色を楽しんでいた。




