オペレーションクロスファイア
七月十一日。戦闘開始から三日が経過した夜、川越前線基地の空気は重く沈み込んでいた。
オペレーション『クロスファイア』。壊滅寸前の陣営が放つ、起死回生の一手だ。
「さて、我が小隊は主にクシフォスへの警戒および旅団本部の直衛だ」
天幕内に灯る無機質なLEDランタンの下、東堂が作戦図を指し示す。
天幕の布壁に掛けられた地図には、進軍ルートと戦闘地域が朱色のインクで鮮明に刻まれていた。
「これは解析班から届いた敵陣地の航空写真だ」
東堂が掲げた大判のモノクロ写真には、広大な平地に張り巡らされた突貫工事の防護柵と、そこに蠢く夥しい魔族の影が写し出されていた。
「ふじみ野の長距離砲撃と同時に南方の敵へ突入、これを一気に叩き潰す。南を処理する間、砲撃は東部陣地へスライドさせる。砲火が上がった瞬間に俺たちは東へ転身だ」
敵の総数は五万。対するこちらは二万五千。
二方面の軍勢に対して連続で決戦を挑むなど、正気の作戦ではない。勝算の低さは誰もが理解していた。だが、やらなければジリ貧のまま全滅するだけだ。
「北西の敵は基地の留守部隊が抑える。だが小銃と軽砲による遅滞工作だ、長くは持たない。タイムリミットは極小だぞ。最短時間で二方面を破砕する」
東堂の言葉に小隊の一同は沈黙する。これまでも死線を潜り抜けてきたが、今度の戦場はスケールが違う。どんな地獄が待っているのか蒼夜はただ黙して待つ。
「何か質問がある奴いるか?」
「はい、クシフォスの所在地は判明してるのでしょうか?」
静寂を破り、一馬が手を挙げる。敵の圧倒的切り札であるクシフォスの動向は、全員の生存に直結する。
「悪いが解析班でも分からなかったそうだ。ただ予測では北部の陣地にいるだろうとのことだ」
「北部ですか……」
「ああ、皆には悪いがクシフォスが出たら俺と蒼夜以外は周辺の掃討をお願いする」
「「「了解!」」」
少年兵たちの引き締まった声が天幕内に響いた。
数分後。出撃線に並んだ二万五千の兵士たちは、基地外郭を囲む分厚いコンクリート壁の前に展開していた。
大門が開くのを待つ兵士たちの顔には、鋭い緊張と武者震いが入り混じっている。
蒼夜は他連隊から離れ、自分が所属する第十四遊撃旅団の管理中隊の付近に配置されていた。
「おい、柊三曹。必ず生き残れよ」
「はい」
北川二佐の言葉に返答をする蒼夜は至って平静な顔だ。これから地獄へ足を踏み入れるというのに、その表情には奇妙なほど波風が立っていなかった。
「あと二分ほどで砲撃が始まるな。……覚悟はいいか?」
北川の問いかけに、蒼夜は一瞬だけ視線を落とす。二度の惨敗。打ち砕かれたプライド。
だが、昨日の陸との一騎打ちで掴んだ感覚を指先で思い出す。
「多分もう、大丈夫です」
空には戦場を静かに見下ろす星々が瞬いている。
しばらくすると南の地平線が激しい閃光とともに赤く染まる。遅れて届く凄まじい腹響き。空気を震わせる砲撃音が、大地を激しく揺らし始めた。
「砲撃始まったな」
隣に立つ陸が低く呟く。蒼夜は静かに頷き柄を握る。
重金属音を立てて巨大な大門が左右に滑り出していく。それと同時に、全員の耳元でインカムがノイズを吐いた。
『これよりオペレーションクロスファイアを実行する。皆の武運を祈る。行くぞ』
宮内陸将の重厚な号令とともに、二万五千の足音が夜の暗闇へと解き放たれた。
連鎖する砲声の地鳴りが軍靴の音を完全に掻き消す。闇夜に紛れて兵士達は、燃え盛る南方の敵陣へ一直線に雪崩れ込んでいく。
蒼夜の踏みしめる感触が芝生から土に変わった頃、目と鼻の先に、砲撃で炎上する魔族の防衛線が迫る。
「射撃用意……撃てっ!」
喉を張り上げる怒号と同時に、前衛が一斉に火を噴いた。5.56ミリ《ゴーゴーロクミリ》の銃弾をまき散らす甲高い音が連続的に鼓膜を揺らし、硝煙の匂いが鼻を掠める。
突風のような奇襲射撃を受け、混乱に陥った魔族の悲鳴が闇に伝破していく。
「抜刀!突撃ーーー!」
前衛の兵士達が一斉に突撃する。崩壊しかけた陣地へとなだれ込む。
後衛にいる蒼夜達は周囲を警戒しながら銃を握りしめる。ふと東の空を見やれば、すでにふじみ野基地からの延伸砲撃が始まっており、夜の帳を赤い火柱が焦がしていた。
前方ではすでに泥沼の白兵戦が始まり、次々と魔族の影が伏せていく。
『こちら総司令部、第十四遊撃旅団、敵左側面に回り込め! 殲滅戦に参加せよ』
宮内陸将からの司令がインカム越しに届く。一刻も早く南軍を食い破り、東へ転身するための強引な戦術だ。
『こちら第十四遊撃旅団、了解』
旅団二千五百名は一斉に後方から側面へ走り始めた。兵士と魔族の殺し合いを横目に蒼夜はインカムに手を伸ばす。
「小田一尉、抜刀許可を頂きたいです」
『よし、許可する。暴れて来い』
「ありがとうございます」
蒼夜は短く答え、右目で魔族の群れへ流す。
隻眼となった視界。削がれた遠近感。それでも戦えるのか、陸との決闘を思い出しながら答えを探しに行く。
魔力を薄く周囲へ伸ばし魔力探知の精度を高める。
暗闇の中、波紋のように広がる魔力探知網が、数歩の間合いにいるドロヴァを見付けた。火柱の奥、木造の柵の裏。慌てふためく五体ドロヴァ。
周囲の夜に溶け込む魔力が漂う。
音も無く鞘から愛刀を抜く。
白刃に黒い魔力が這う。
――紫石術式、影虎――。
魔力により強化された四肢が爆発的な加速を見せ、闇に溶けるような残像を残して五体のドロヴァへ肉薄する。
影に翻弄されたドロヴァ達は蒼夜の姿を捉えることすらできない。恐怖を感じる隙すら与えず、一閃、また一閃と凄絶な五連撃が夜を裂く。
脊髄を叩き斬る不快な感触が手首に伝わる。だが、最後一体だけ手応えが浅い。絶命には至っていなかった。
「ガウ、ゴバッ」
不気味な苦悶の声を漏らし、地面に転がるドロヴァ。蒼夜はその姿を冷たい隻眼で見下ろす。
「まだ距離感が掴めていないか」
一人小さく呟き蒼夜は血濡れた軍刀を、恐怖で歪むドロヴァの脳天に突き刺す。
骨を砕く音が静かに蒼夜の耳に届く。
火の手が上がる戦場を見渡せば旅団と魔族軍の混戦が始まっていた。
近くでは陸と一馬が魔族と斬り合っている。小隊の面々も目の届く範囲でそれぞれが戦っている。
「ドロヴァ相手なら、まだ戦える……」
手を握り次の獲物を探す。右往左往する魔族と死に物狂いで戦う魔族。
鋭い悲鳴が戦場に響く。人間のものだ。
蒼夜が右目を向けるとミノスの一団が旅団の隊員を数名包囲していた。
「陸さん、あそこ救援必要そうです」
「あ?お!やばい行くぞ!」
横でドロヴァを斬り返り血を拭う陸に声を掛け蒼夜は半長靴をミノスの一団へ向ける。
蒼夜は魔力を伸ばすが、魔力を持たないミノスを探知することが出来ない。
仕方なく蒼夜は右目の視界に集中するように息を吐きミノスの集団を見る。
「蒼夜、いけるか?」
「……はい」
闇と視界の悪さに距離感が掴み切れていないが、接近してしまえば問題ない。
こちらに背を向ける一体のミノスを間合いに入れた瞬間、二人同時に地を蹴る。
二つの首を持ち、人とは違う法則の元生きる魔族の中でも最も歪な四肢を持つミノスの背後に迫る。
「蒼夜!右頼んだ!」
「はい」
陸のリクエストに低く短く答え、蒼夜はミノスの右首を狙い軍刀を振るう。
刃がミノスの首に沈む直前、間合いの近さに気付き、肘を軽く折り刀身の軌道を強引に滑らせる。
首の骨に刃が当たる感覚がいつもより重く、腰を捻り斬る。
ドロヴァよりも体の厚さは細いミノスの首を斬るのも片目では難しい事実に蒼夜は唇を固く結ぶ。
「よしまず一体!」
横で陸が軽快に叫ぶ。仲間を殺されたミノスは激高したように声を上げる。
「そぉうやあああ!」
蒼夜の名を叫び四体のミノスがそれぞれ四本の腕と剣を持ち上げ接近してくる。
蒼夜と陸は瞬時にターゲットとするミノスを決めた。一番左端の少し突出しているミノス。
「蒼夜!」
「分かってます!」
陸は軍刀を持たない左手を前に伸ばし、雷撃の魔法を放つ。ただの牽制だ。
蒼夜もまた、魔力を右手に込め、己の愛刀を魔力で覆う。
夜よりも濃い闇を纏う軍刀を最短距離でミノスの首を振る。
だが、四本腕のミノスは踏み込みの甘かった蒼夜の剣をいなし、待機していたもう一本の剣で蒼夜の腹部を狙う突きを放つ。
「チッ!」
カウンターを受ける前に蒼夜は身を捻り、避ける。が、僅かに防刃ベストを掠る。
「突きは厄介だな」
距離感が掴めない隻眼の剣士は本能的に魔力を広げる。情報を一つでも多く拾いたい想いがソナーのように広がる魔力に乗っていた。
陸もまた、初撃を防がれ二刀を相手に火花が散るほどの剣劇を繰り広げている。
牽制で止められていた残りのミノスもすでに間合いに入っている。
蒼夜は一瞬視界に映った防衛軍の兵士達に声を上げる。
「そこの皆さん!立て!立って戦って下さい!」
この数のミノスを二人で倒せると思うほど自惚れてはいない。その怒号に、死の恐怖で固まっていた兵士たちの瞳に正気が戻る。叩き込まれた命令順守の習性が身体を動かし、彼らは次々と血濡れた地表から立ち上がり、震える手で軍刀を握り直した。
「も、申し訳ない!俺達も戦う!」
返り血を払いすぐさま軍刀を握り直した兵士達は蒼夜と陸が戦うミノスとは別のミノスに斬り掛かる。
それを横目で見送り蒼夜は目の前のミノスをその瞳に納める。
「さて、どこまで通じるか……」
手にした愛刀の慣れ親しんだ肌触りに心を落ち着け深く踏み込む。




