無価値
目を覚ました最初の違和感は視界の不良さだった。
天幕の天井までの距離感が掴めない。
「俺は、負けたのか」
敗北の記憶が蒼夜の脳をすり抜ける。
冷たい刃が通った、熱い傷口に手を当てると包帯に乾いた血が付いている。
「痛ッ!」
眼窩の傷が思い出したように、急に痛みを知らせる。無理やり起き上がると、夜明け前の静けさが垂れ幕の隙間から見えた。
まだこの基地は落ちていないようだ。
初夏の暑さが天幕内に充満している。青白い陽光を頼りに周囲を見渡すと地面にひかれた寝袋から、栗色の綺麗な髪が顔を出している。美月が寝ているようだ。
「治癒魔法か……」
右目で腹部を見ると血は綺麗に拭き取られて、皮膚を無理やりくっつけたような跡が見える。外傷は治ったが内臓のダメージはまだ残っているのだろう。
少し痛む腹を抱えてベッドの上に起き上がる。
手を見る。乾いた手の平に豆が複数ある。全てを尽くしても負けた。
胸の辺りに痛みが走る。悔しさか、絶望か。
自然と目尻に涙が溜まるのを感じる。あのまま戦死した方がマシだったのかもしれない。
「くッ……」
年相応の悔し涙が溢れる。
賢治たちの仇を討てなかったこと、何をしても叶わない相手に絶望したことが蒼夜の頭と心を支配する。
「大丈夫?」
突然、声が蒼夜の耳を撫でる。
横を見ると美月が寝袋から這い出て来ていた。
「もしかして、な、泣いてるのかしら?」
蒼夜は恥ずかしさを見せないように涙を拭き、顔を背ける。
「いえ、大丈夫です」
軍人として涙を人に見せるなんて出来ない。今回の件で不名誉除隊にならなければの話だが。
「そう……」
何か言いたげな美月が言葉を探すように蒼夜の背中を見る。
「目、治せなくてごめんね」
美月の言葉に蒼夜は斬られた左目に手を添える。包帯が巻かれているが、もう見えない目が塞がれた所で何も思わない。近接戦闘はもう出来ないだろうけど。
いや、このまま軍法会議になって除隊した方が良いのかもしれない。ベッドの淵に立てかけられた愛刀を見て考える。
「いえ、これは自分のせいなので」
「まあ、無断出撃は蒼夜君のせいだけど。でもこの小隊の医療術者として私は全部の負傷を癒したい」
言葉が止まったと思ったら蒼夜の背中に温かい何かが触れた。
戦闘とは違う緊張が蒼夜の背筋を撫でる。
手を払うように腕を回そうとしたとき、美月の言葉が蒼夜の動きを止めた。
「私はもっと魔法の腕を上げるわ。そしていつか蒼夜君の目を治す。だから、その、諦めないでね」
背中に感じる手が少し震えている。振り向くと、蒼夜を見つめる明るい茶色の目が今にも涙を零しそうだった。
「諦めるな、ですか?自分はもう兵士としての価値なんて無いじゃないですか」
「どいう意味?」
悲しそうな声音だった。そして少し怒気を含んでいる。
「左目を失った今、もう近接戦闘はむりです。魔王相手に自分はもう戦えません。なのに生き残ってしまった」
「蒼夜君を助けるために命を懸けた人たちがいるんだよ。東堂のお兄さん、小田一尉、矢野二尉。三人の上官がどんな想いで助けたと思う?」
三人の上官の想いを想像しても出来ない。蒼夜はただ黙ることしか出来ないでいた。
「死なせないため、蒼夜君がただの復讐者で終わらないため、そのために命を懸けたのよ」
「復讐者……」
かつて桧垣一佐から言われた言葉を思い出した。子供の夢が復讐で終わるのを見ていられない。そんな言葉を投げられた夜の記憶。
「魔族が、魔王が憎くないのですか?」
美月からは魔族への憎しみの感情が匂わない。ずっと不思議でならなかった。
「うーん、どうかしらね。私は正直、魔族憎しで戦っている訳じゃないの。もちろん心の奥底では憎いって思ってるかもしれないけれど」
「なら何で軍人に?」
「私の家族は戦争が始まった日に殺されちゃったの。もちろん悲しかったしいっぱい泣いたけど、その後に出会った人達を守りたいって思って入隊したの」
「守りたいから……」
蒼夜は目の前の小柄な少女を見る。とても兵士として戦えるような体格でも、戦士の風格がある訳でもない。それでもその目には熱い想いが宿っているのを感じる。
「そう、内地にいるお世話になった人達、それに今は小隊の皆を守るために戦うのよ」
そう言う美月はとても誇らしげだった。
桧垣一佐の言葉の意味を今初めて理解した気がした。あの夜、広場のベンチで話した時の情景が浮かぶ。
「美月さんの夢は何ですか?」
「私の夢?そうねー、いつかファッション雑誌でモデルをしたいわ」
「モデル?」
七夕の時、ファッション雑誌を読むのが趣味と語っていた美月の顔を見る。少し切れ長に浮かぶ綺麗な瞳、そして戦場においても艶を忘れない肌。とても美しいと思う。
「……いつか、モデルになれたら良いですね」
「そうね!そのためにはまず、今目の前の敵を倒さないといけないわね!」
「はい」
美月は笑みを浮かべインカムに手を伸ばし東堂達に蒼夜の目覚めを報告した。
数分後には東堂と凛花、そして小田が天幕に入って来た。
「蒼夜!お前何してんだ馬鹿野郎!」
「申し訳ありません」
「軍規違反だぞ!北川二佐の機転で事なきを得たが、お前次は庇ってもらえねーぞ!」
「はい」
東堂と目が合った瞬間、雷が落ちて来た。
夜明け前の基地に響く東堂の声が蒼夜の耳に刺さる。
「何で命令を無視して戦闘開始したんだ?」
怒り狂う東堂の横で小田が冷静に質問した。蒼夜の目を正面から見つめている。
「……戦友の仇を討つためです」
「お前の人事ファイルは読んだ。この基地でクシフォスと戦い負けたはずのお前が、それでも戦うってことは死ぬ気だったのか?」
答え次第では斬るぞ、という目を小田が浮かべている。
天幕内の緊張が一気に張りつめる。
開いた口が渇く。本気で怒られているのが分かるからこそ、言葉に詰まる。
「死ぬ気は、ありませんでした。ただ、死んででも討ちたかった、そういう思いはありました」
「死んでも、ねー」
小田が頭を搔き、東堂が目を伏せる。凛花は真っ直ぐ蒼夜を見つめている。
「おい、若造。この川越戦で俺が許可するまで抜刀するな。これは第一中隊の隊長としての指示だ。東堂もそれでいいな」
「ああ、分かった。謹慎処分ってことか」
イチナナ小隊の上位組織である第一中隊隊長の指示に蒼夜は黙して聞くしかなかった。幸い小銃の使用は許されている。
「柊三曹。私からもお小言を。あなたの失態を取り戻すため、ここにいる東堂さん、小田一尉、そして矢野二尉が命を張ってあなたを助けました。その命、大事にしなさい」
「……はい」
美月にも言われた凛花の言葉の方が重いのかもしれない。戦場で、死の淵で落ちるなと。
「帯刀は許す。蒼夜、仲間を悲しませるなよ」
そう言って小田は天幕を出た。東堂と凛花はその後も数分、蒼夜を叱り、そして陽が昇った。
包囲戦二日目は静かな朝だった。
起床したイチナナ小隊の面々は蒼夜の目覚めを聞き、蒼夜達がいる天幕まで急いできた。
「蒼夜!お前大丈夫かよ!」
最初に入って来たのは陸だった。
初夏の熱さに汗を流しているが、笑顔は爽やかだった。
「はい、ご心配おかけして申し訳ありません」
「お前がクシフォスとやり合ってるときマジで肝が冷えたぜ」
陸が当時のことを思い出したように苦い顔をして言う。
次に入って来た玲が続く。
「それで蒼夜君、体はどうだい?」
「美月さんの魔法のお陰で痛みも引いています」
「それなら火力支援なら出来そうだね!良かったよ」
うんうん、と頷きながら玲が胸を撫でおろす。
蒼夜はベッドから立ち上がり脇に立て掛けられていた軍刀を持つ。
いつもより少し重さを感じた。




