クシフォスの狙い
川越前線基地への攻撃が始まった頃、魔族軍の陣地ではクシフォスとその腹心達が一足早い勝利の盃を交わしていた。
「クシフォス様、我々の勝利は揺るぎ無いものとなりました。まさか兵糧攻めとは」
「全くですな。正面から叩き潰す事だけが戦ではありませんからな」
クシフォス軍、魔将軍ラグナルスと魔将軍トール。アルグスとドロヴァのハーフである二体の魔族と魔王クシフォスは人類が作った酒を飲み勝利に酔いしれる。
「敵軍の食料は今日までの備蓄のみ。一週間ほど包囲して攻め込めば容易くあの要塞は落ちるでしょう」
ラグナルスの言葉にクシフォスは満足気な目を向ける。ニンゲン側の間者から得た情報を信じるならカワゴエを防衛する敵軍の食料はすでに底を尽いているかあと一食分だ。
「まさかクラトシア軍の残党を吸収して戦に臨めるとは。我は戦神ラースにも愛されておるな」
「ほとんどドロヴァ族だけですが、我が軍の優秀な戦士の末席に連なることを許したクシフォス様の為、命を賭して戦うでしょう」
トールは盃を持つ手に力を込めて言う。だが、クシフォスの関心はそこでは無かった。
「弱ったソウヤを殺すのは造作もないが、出来れば全力のソウヤを見たいものだ。何か奴をおびき出す方法はあるだろうか……?」
「それならこのラグナルスに妙案がございます」
続くラグナルスの言葉にクシフォスは口角を上げ狩人の目を浮かべる。
「よし、その案を認めよう。準備して参れ」
「はっ!」
夜の帳の中でクシフォスの静かな歓笑が広がる。
――司令庁舎の一室。宮内を含め、各部隊の指揮官たちが集い作戦会議を開いていた。
「完全に包囲された」
宮内は現状を端的に共有する。総軍三万を収容するこの川越前線基地が魔族軍七万に包囲されたこの状況を。
「すぐに総攻撃が来ると思っていたが包囲から二時間何も起こらないな」
「まさか魔族が兵糧攻めをしてくるとは」
「食料の配給を絞っていたのは不幸中の幸いですね」
「とはいえ二日でこの状況が覆るとは思えないな」
「体力があるうちに何か行動を起こすべきです!」
「とは言え、この戦力差。どうしたものか」
北川は、己の胸騒ぎが間違っていなかったことに軽い絶望を覚えながら会議に耳を傾ける。
「前哨戦の損害は軽微で戦死者四十八名、負傷者六十六名です」
「戦力を保った今のうちに打てる打開策と言えば各個撃破でしょうか?」
北川の言葉に宮内含め一同がしばし検討する。
「やるなら南か東でしょうね。北と西に部隊を展開するには入間川は邪魔ですから」
「そうだな。入間川は防衛には向くが、攻め入るには少し邪魔だ」
「だが、敵もそれを承知しているのか南と東の敵戦力は全体の七割ほど。つまり五万弱だな。そこにアルグスがいると考えると安易に突撃は出来ん」
宮内の言葉に皆黙る。各個撃破するにしても守備隊は置かなければならない。出せて二万五千人ほど。二倍の戦力を有する場所に突撃などさせられない。
「とにかく食料配給を可能な限り絞ろう。勝機は必ず来る」
指揮官たちは了解と言いながら席を立った。
「継戦能力は長く見積もってあと五日ほどか……」
宮内の胸中は、川越周辺の地図上で希望と絶望の天秤に揺れる。
「渡辺に支援を求めるか」
――翌日、まだ朱い空が残る早朝。
いつもより少ない晩御飯にお腹を空かせた蒼夜の鼓膜を、けたたましいサイレン音が揺らす。
「アルグスが現れた!総員戦闘配置!」
昨晩と同じく指揮通信車から爆音で響く音声が、朱の空に吸い込まれる。
「朝からご苦労だな魔王の野郎!」
「初日にいなかったくせに!」
陸と志信が悪態を付きながら手元の装備の確認を手早く済ませる。
蒼夜も急ぎ準備を整え、小隊と共にクシフォスがいる北門付近に向かう。
「クシフォスは何かを叫んでいるようです」
凛花が外壁カメラの映像を手元の情報端末に表示させ、小隊の全員に見えるように持つ。
そこにはクシフォスが悠然と立ち、何かを叫んでいる。
『ニンゲンどもよ。お前らは我が軍に完全に包囲された』
蒼夜の目は冷たく、ディスプレイ越しにクシフォスを見る。
『食料も無かろう。戦って死ぬか、飢えと渇きで死ぬか選らべ』
東堂が舌打ちをし、陸はくそ、と呟く。
蒼夜の纏う雰囲気が変わる。
基地全体とは違う緊張感が小隊を、蒼夜の周りを漂う。
クシフォスの挑発は続く。
『だが、例外を設けよう。一騎打ちで我に勝てば退いてやる。我と戦え、ソウヤ』
そう言ってクシフォスは布切れを掲げる。半焼した半年前全滅した連隊旗。
それを無造作に投げ捨てる。
蒼夜の柄を握る指が白くなり、血の通いが滞る。
クシフォスは腰の辺りから板状の物を紐に吊るして掲げる。
凛花がディスプレイを操作して拡大する。
画質の悪い画面には認識票の束が映る。
遺体検分の時、認識票が無いため蒼夜に頼む他なかった。
クシフォスはそれを地面に放り投げ言う。
『来りて、取れ』
無言で小銃を置き、外壁上の監視塔へ向かおうとする蒼夜の腕を、陸が引っ張り止める。
振り返った蒼夜の目は陸を見ておらず濡れた黒い瞳には何も映っていなかった。誰かの息を飲む音がこだまする。
『再び、この地で、仲間を殺すのか?ソウヤ』
ドクン、と蒼夜の心臓が跳ねた。
半年前の地獄が脳裏を掠める。両腕を斬られそれでも幸せを願った友の声が黒く塗り替えられる。
蒼夜の濡れた黒い瞳の視界が赤く染め上がる。
陸が止める間も無く、蒼夜の身体は弾かれたように動き出していた。
「待て!蒼夜!」
「行くな!」
命令も、階級も、東堂たちの叫びも、今の蒼夜の耳には届かない。
監視塔の階段を、人間業とは思えない速度で駆け上がる。
『柊三曹!動くな!命令だ!』
インカムから、北川の焦燥と怒りに満ちた声が届く。
だが、蒼夜は止まらない。監視塔の上で監視をしていた兵士が両手を広げて静止する。
「勝手な行動は控えろ!柊三曹!」
その兵士の肩を踏み台に蒼夜は飛び超え、監視塔から入間川へ激しい水しぶきを上げて飛び込む。
悠然と川から歩き出て、蒼夜はついに魔王クシフォスと対峙した。
――北川は眼鏡を机に叩きつけクソ!と叫ぶ。
横にいた管理中隊の通信士などがビクッと肩を揺らす。
「このままじゃ柊が軍法会議行だ」
それは避けたい。最高戦力を格子の向こう側に放置するほど、今の旅団には余裕はない。
北川は覚悟を決め、旅団回線で指示を出した。
「東堂、小田、矢野。柊に付いて行け。これは正当な旅団長の権限における出撃命令だ。柊を必ず連れ帰れ」
『東堂、了解』
『矢野も了解した』
『同期三人での保護者会かよ。とりあえず柊は帰ったらお尻ぺんぺんだな!』
『うちのがすまないな』
東堂が頭を抱えて言うが、小田も、矢野も気にした様子はない。
『若い奴は元気が一番だろ!』
『若きエースをみすみす死なせたくはないからな』
「悪いな。三人とも。お前らも死ぬなよ」
三者三様の言葉を受け通信を切る。
「根回しは大事だな」
そして宮内陸将へ通信を繋ぐ。
「こちら第十四遊撃旅団の北川です」
『戦闘許可は出していないはずだが』
「申し訳ありません。ただ、ここで一戦交えて勝てば最上、負けても柊三曹を回収しクシフォスの情報収集をしたら上出来と考え、旅団最強の三人を同行させました。これは私の責任です」
『……お前が必要と考えての命令ならこちらは問題ない。だが、良いのか?あの少年兵は桧垣から任されているのだろう?』
「だからこそ、柊三曹の悔恨を残させたくはありません」
『お前は甘すぎる。だが、今回の件は不問としよう。正直、食料の底がすでに見え始めているからな』
「ありがとうございます」
根回しは済んだ。帰投したら小言を言わせてもらうが、その為に生きて帰れよ、そう北川は心の内で祈りながら外壁カメラの映像を食い入るように見る。
そこでは、蒼夜が今まで見たことない程の魔力を纏い、魔王クシフォスと対峙していた。




