夜襲
夜。外は静まり返り曇った空は壁上探照灯の光を反射している。
天幕内に苦悶の声が零れる。
「うぐッ、はあはあ、ぐッ!」
蒼夜を襲ったのは悪夢だった。
賢治の死、以前の部隊の全滅。そして桧垣の死。
死に魅入られた少年の無意識の渇望が彼の夢を支配していた。
クシフォスとの戦闘、そしてクラトシアとの戦闘が瞼の裏を流れる。
遠くから蒼夜を呼ぶ声がする。
誰だ。
もう仲間はいないんだ。
誰が呼んでいる。
「誰……だ」
「蒼夜!」
急激に意識が引き戻され、勢いよく上体を起こした。
大きく息を吐き肺に残る粘りつくような感情を吐き出す。
「おい、蒼夜!蒼夜大丈夫か!」
目を開くと、天井から吊るされたLEDランタンの白い光が視界を刺し、反射的に目を細める。
視界が晴れ周囲を見ると、東堂を始め小隊の男性隊員が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
肩を上下させ呼吸をする。
「す、すみません。大丈夫です」
「本当に大丈夫か?」
東堂の優しい声が胸に染みる。
「はい、もう大丈夫です。起こしてしまい申し訳ありません」
腕時計を見ると時刻は午前一時。迷惑をかけてしまったな。
「俺達は大丈夫だぞ。それより顔色がひどいな。水を飲め」
「すぐ水出しますね」
陸の言葉に陽斗が反応し魔法でステンレスのコップを水で満たす。
コップを受け取りすぐに飲み干す。
「少し落ち着いたか?」
「はい」
東堂の言葉に蒼夜は呼吸を落ち着かせて答えた。
「悪夢はよく見るのか?」
「久しぶりに見ました」
「そうか。桧垣さんの戦死が原因かな」
桧垣一佐の死。それもあるかもしれない。でも、それより北川二佐からの司令が脳裏を離れない。
話すべきか。今しかチャンスはないだろう。
「……少し聞いて頂けますか?」
「ああ、もちろんだ」
東堂を始めここにいる隊員達は真面目な顔になる。
「北川二佐から命令を受けました。クラトシアと会敵したら逃げろと。それが桧垣一佐の遺言だからと」
皆静かに聞いている。
「もし逃げ切れなかった場合は、仲間を犠牲にしてでも逃げろと言われました。つまり皆さんを見捨てて逃げろという命令です」
沈黙が天幕を支配する。白兵戦最強の蒼夜不在で戦う可能性がある。そのことを理解したからだ。
「北川二佐の指示は俺も受けている。蒼夜がクラトシアと戦闘になった場合即時離脱させろという指示だ」
東堂は蒼夜の言葉の真偽を伝えるためあえて口を挟んだ。
「でも自分は桧垣一佐から限界を超えても仲間を守れと言われました。それがこの戦場では絶対に必要なものだと」
あのベンチで話したことは誰にも言っていない。でもこの小隊にいれば伝わる。皆その一心で戦っている。なのに蒼夜は逃げろと言われた。
「自分はもう誰も目の前で死なせたくない。従軍して四年。もう誰かの死を見るのは――疲れました」
絞り出すようなその声に、天幕内の空気が一瞬で凍りついた。四年という歳月が少年に負わせた傷の深さを、それぞれが自分と重ねる。
陸は蒼夜の目を見て肩に手を置き言う。
「大丈夫だ蒼夜。俺達は誰も死なない。生きて勝つ。だからクラトシア以外の敵はお前に任せるぞ」
陸の目を見返す。いつも通り笑っている。かつての戦友のように。
「そうだぞ蒼夜。魔王は目と腹部をやられている。俺達でもどうにかなるさ」
東堂も明るく言う。
「まあ任せてくれても構わないぞ柊士長。前回はこちらがカルナの相手をしていたが、次は柊士長にカルナを頼む」
眼鏡のフレームを中指で直しながら陽斗が言う。
「どこまで援護出来るか分からないけど、僕もクラトシアの隙をついて射撃するね」
來が普段通り柔らかく言う。
「自分も白兵戦に自信があります!蒼夜君ほどではないかもですが、任せて下さい!」
一馬が胸を張る。
「自分は瞬間移動でいつでも逃げれるので大丈夫ですね」
志信が冗談交じりに言う。
「逃げたら軍法会議だぞ志信」
笑いながら突っ込む陸。他の面々も声を上げて笑う。
「そういうことだ蒼夜。俺達は誰も死なない。それに警備小隊の東雲二尉たちもいる。勝算はあるさ」
東堂は笑みを向けている。不安をかき消すように。
「分かりました。カルナとオグは自分が受け持ちます」
「ああ、頼んだよ」
温かい何かが天幕に溢れている。蒼夜はその何かを示す言葉を知らないが今はそれで良いと思った。
……だが、魔族はその微かな安らぎさえも、無慈悲に塗りつぶした。
突如として天幕を透過する光が消え、巨大な影が頭上を覆う。次の瞬間、空が昼間のように燃え上がった。
『壁上歩哨より全軍に通達。魔族軍が夜襲をかけて来た。隕石爆撃接近中!』
非常警報灯の刺すような赤が、先ほどまでの穏やかなランタンの白を塗り潰していく。
蒼夜達は急いで天幕を出て空を見上げる。炎を纏う岩石が流星群のように落ちて来る。
クラトシアは今夜で決着をつける気だ。
「敵襲ですか⁉」
女子用の天幕から凛花達が出て来る。
「楓!結界張れ!」
「了解です!寝起きなのに魔族め!」
文句を言いつつ楓は刀印を作り結界を張る。
――紫石法術。絶孤の帳――。
薄く青い魔力が周囲を囲み壁を形成する。
結界の完成と同時に爆音が響く。
昼間の隕石爆撃とは比べられないほど、一つ一つの岩石が大きく、数が多い。
基地全体を埋め尽くすほどの隕石は途中で止まる。昨日クラトシア襲来から回復した術支隊の結界だ。
だが、一部の結界が破られる。隕石の一部が基地内に落ちる。
幸い落下地点に兵士はいない。地上を照らす探照灯がいくつか破壊される。
「真上の結界が崩壊した!楓来るぞ!」
「はい!」
重い衝撃に結界が軋み揺らし弛む。
「うぐううう!」
楓の周囲を魔力の奔流が流れ結界の強度を上げる。耳を刺す衝突音が空気を揺らす。
煙を上げて炎をまき散らしながら周囲に着弾した隕石は、建てた天幕が燃え盛り、隊舎が今度こそ全壊する。
地面を揺らした隕石の雨は降り終わった。
「次は何が来るんだ」
陸が独り言を漏らす。
蒼夜の魔力探知に禍々しい魔力が壁外のすぐそこにいる。
二度目の魔法で開けられた穴の奥で紫色の魔力の塊が歪な輝きを発する。
「魔王だな」
東堂の言葉に小隊の面々が喉を鳴らす。
「急げ!壁に走るぞ!」
一斉に十二の半長靴が鳴り壁の穴に向けて走り出す。
蒼夜は軍刀を抑え小銃を持ち疾走する。前方にはすでに四個中隊分の戦力が待機していた。
「構え!撃て!」
一斉射撃。数千の弾が闇夜で閃光となり魔族軍の前衛に突き刺さる。
魔法障壁が砕ける音とドロヴァの悲鳴がアークウォールの周りで湧き上がる。
横から地響きがする。目を見ると鉄の地竜が這うように、十式戦車が編隊を組み十両程が穴に向けて進む。
上からはローター音が鳴り土埃を舞い上げる。
『こちら中央即応旅団。壁上砲兵と連携しドロヴァを受け持つ。出来る限り壁に近づく敵を減らしておく』
『援護感謝する。こちら第三中隊。北西距離三百メートル地点に一個連隊規模を確認している。頼めるか』
『了解した。任せておけ』
インカムに流れる中即団の援護の宣言。
地上と空からの重火力支援。
迎撃態勢は即座に整いつつある。
「壁に到着次第、戦闘に参加するぞ!」
「了解!」
壁の穴を覆うように急造された、三重の土嚢陣地。その最後尾に陣取った蒼夜は、小銃を抱えなおして膝立ちの姿勢を取り、外界の闇へと銃口を向けた。
目線の先では、松明と炎魔法の明かりを連ねて進軍してくる魔族軍の影が蠢いている。その進撃を食い止めるべく放たれる砲弾と魔法の閃光が、夜の闇を裂いて蒼夜の瞳を焼き付けていた。
「来るぞ!」
前衛の誰かが叫ぶ。数体のドロヴァが戦列を崩し疎らに土嚢陣地へ迫る。
「第三中隊!撃ち方始め!」
前衛を務める第三中隊が射撃を始める。後衛にいる蒼夜は右の親指でセレクターのレバーを『ア』から『レ』に切り替え人差し指をトリガーにかける。ドットサイト越しに闇を見る。
「蒼夜、確か射撃検定は二級だったけ?」
「そうです。陸さんは?」
「俺は東堂の兄貴にしこたま教え込まれて一級だぜ」
得意げに言う陸もまたサイト越しに照準を合わせる。
「敵さらに六個中隊規模で進撃して来ます!」
凛花が小銃のアタッチメントである指向性レーザーを向けて敵位置を共有する。
「小隊、撃ち方、始め」
三段に組まれた土嚢陣地の後衛から一斉に弾丸が魔族軍の隊列に向かい赤い線となり突き刺す。
連射音に蒼夜の鼓膜が震える。手と肩に伝わる振動をどうにか抑えようと努める。
「十時の方向!敵一個連隊接近!第三中隊、撃ち方始め!」
前衛から数百の曳光弾が横なぎの雨のように敵に降り注ぐ。小隊の銃撃音を遥かに超える戦闘音。
銃口から出る硝煙が視界を遮る。
だが、硝煙越しに無数の赤い目が浮き上がりこちらを睨む。
魔法障壁の存在が魔族の生存率を上げている。
「クソ!ちょっと残しちまった!」
「來!残り頼んだ!」
「はい!」
陸が舌打ちし、東堂が來に狙撃の指示を飛ばす。
「敵の足が止まりません!中隊副隊長!指示を!」
「中即団に援護を頼む!こちら第三中隊!十時方向より敵大部隊が接近中!中即団の援護を求む!」
『こちら中即団、側面から機関銃をぶち込む!』
蒼夜の周囲は戦闘の喧騒に満ちる。銃声と兵士の叫び声の中、蒼夜は確かに見ていた。
闇夜の奥に潜む魔王とカルナ騎士団とやらの団長フィゴ。
前衛のドロヴァが防衛軍の陣地を突破したと同時に来るだろう。
その時俺は、逃げるべきなのか。小隊の皆は死なないと言ったし実力を疑ってはいないが、何度考えても勝ち筋が見えない。
「撃ち方やめ!総員伏せろ!」
突然の東堂からの退避命令に蒼夜は意識を戦場に戻す。
奥から魔法砲撃の予兆を感じる。
即座に土嚢の裏に隠れ、砲撃に備える。
数秒後、魔法の塊が陣地を揺らしながら真横に着弾する。幾多の炎の手が上がり戦場を照らす。
燃え潰された兵士の体と、吹き飛んだ体が折れ絶命した兵士。
被害は小さく無い。
小隊の皆は無事だ。
『連隊HQより各中隊へ、被害をすみやかに報告せよ』
『四中被害甚大!三割損耗!』
『六中被害軽微、継戦可能!』
『九中も継戦可能です』
続く被害報告。第四中隊のみ被害が大きいようだ。
「蒼夜来るぞ構えろ!」
陸の言葉に蒼夜はすぐ反応し小銃を構えドットサイトを覗く。
戦場を照らす火災のお陰で敵がよく見える。
「敵との距離百メートル。一斉射撃で迎え撃つぞ!」
どこかの中隊の副隊長だろう。指示が飛ぶ。
命令系統では従う必要はないが、そんなこと言ってられない。
「正面、撃て!」
名も知らない指揮官の声に呼応しトリガーを引く。重い反動。やはり銃は苦手だ。
火薬の匂いが辺り一面を漂う。
ドロヴァの死体が積み上がるが、死体の丘を越えて万の敵が押し寄せる。
壁上からの砲撃が大地を震わせ、敵の魔法砲撃が周囲を焦土へと変えていく。戦場の真ん中で蒼夜はリロードをする。
「くそ、ルグナードは殲滅したはずなんじゃ」
「おそらく分けていたのでしょう。後方に待機させられてはこの軍勢です。見つけ出すのは至難の業です」
「確かにな!くそったれな魔族達だぜ!」
銃を撃ちながら悪態をつく陸に蒼夜が答える。魔族も馬鹿じゃない。砲兵に当たるルグナードを後方に配置するのは考えれば当然だ。
ドロヴァの死体の山が人の身長の二倍に達した頃、インカムに北川の声が流れる。
『連隊HQより各中隊へ。戦車中隊が壁内から穴を包囲する。早急に壁内陣地へ退避しろ。殿は第九中隊に任せる』
いたる場所から退避の指示が飛ぶ。東堂も退避の指示を出す。
その時、絶望の一閃が走る。
魔法砲撃が開けられた穴の上部に集中する。コンクリートの砕ける重い音が戦場に反響する。
退避を始めていた兵士達の頭上に巨大な塊が落ちる。肉が裂け骨が砕ける音と悲鳴。蒼夜は思わず固く目を瞑る。命の終わりの音が、指先まで染み込んでくる。
これはまずい。大半の兵士が壁外での戦いに投入されている。基地内には戦車中隊と管理中隊だけ。ここが全滅したらもう敗北だ。
『こちら中即団団長の佐々木だ。北川二佐まずいぞ。兵士達壁内に戻れない。穴が瓦礫で塞がれた!』
『くそ!もう一方の穴まで退避出来るか⁉』
『こちら第四中隊副隊長。もう遅い。すでに包囲された』
蒼夜は目を開き前を見る。幾千幾万の紅き目の捕食者の視線が人類の兵士の心を刺す。
魔族と人を隔てるのは腰まで積んだ土嚢だけ。残弾はもう残り少ない。
絶望の始まりですね。
眼前の魔族と背後に控える魔王。背中は壁と瓦礫で下がれない。どう蒼夜たちが戦い抜くのかお楽しみに。




