3-6:霜の宝珠
冷たい光が部屋全体を照らしていた。
僕とルゥのため息が白くたゆたう。
間取りの中央にあるのは、柵で囲われた巨大な宝珠だった。直径は2メートルはあるだろう。掘り込まれた窪みに、宝珠は不思議な力で浮かんでいる。
神具からは冷気が放たれていた。それが地下室に留まって、春めいてきた外よりもよほど寒い。外套を着てきてよかったと思う。
宝珠が浮かぶ窪みの周りには、びっしりと霜が降りていた。
僕とルゥは、長い間、何も話せなかった。
鴉の戦士団の拠点、その地下に隠された宝珠はそれだけの神秘だったんだ。
「霜の宝珠と呼んでいます」
パウリーネさんが言った。王女様も分厚い外套を着込んでいる。青白い光が、肌を白々と照らしていた。
「……スキル<封印>」
パウリーネさんが手をかざす。
宝珠が光を強めた。ぶわっと襲いかかる氷の粒と冷たい風。僕とルゥは顔を覆う。
唱えられたのは、王族にだけ宿るというスキル名だ。
「リオンさん、ルイシアさん、そして――神々よ。これが迷宮を管理しているという、戦士団の秘密」
白い息を吐いて、ルゥが問うた。
「これが……?」
「スキル<封印>を持つ者だけが、この宝珠を操ることができます。効果は迷宮の封印を強める、あるいは弱めること」
僕は言葉を失ったまま、冷たく光る宝珠を見つめた。
迷宮に魔物を封じておく、力の源泉。
未踏エリアには常に氷があった。
その氷を維持するための、いわば『冷気』をこの宝珠から出しているのか……。
「宝珠の冷気は、周辺ダンジョンの封印の強さと連動しています。冷気を強めれば封印は強まり、魔物は弱くなる。ただし、魔石やアイテムなど、迷宮から引き出せる力も弱まる」
ごくりと喉が動いた。
王国による迷宮の封印。その仕組みに関わる重要なアイテムを、パウリーネさんは僕らに教えてくれているんだ。
「そうした難易度調整をして、私達は迷宮を管理してきました。より多くの冒険者が迷宮に挑めるように。もっとも、封印の強弱は操作できても、封印そのものを解くことはできません。平時の管理のためのもの、というわけですが」
パウリーネさんは僕ら兄妹に向き直る。
喉がひりついたみたいに言葉が出ない。ルゥが尋ねた。
「あの……これが、全てのダンジョンの封印を? それって……とんでもなく、大事なアイテムってことじゃ」
王女様は目を細めた。
「いいえ、ご安心を。宝珠はこれだけではありません。各所の神殿にこれよりも小さいものがあります。アルヴィースにもフローシアにも、迷宮の封印を守る同様の宝珠があるでしょう」
ただ、とパウリーネさんは言い添えた。
「王都のものが、最も大きく、力も強い。各地の宝珠に向けて、ここから封印の力を送ることもできます」
王都は『封印』の中心地でもあるってことか。
「角笛の音を聞いてから、この宝珠もだんだんと力を強めているように思えます。何か、新しい効果が発現するかもしれませんね」
「……何か?」
「おおよその予測はついていますが、確実になったらお話ししましょう」
会話が止んで、静かになる。氷が生み出す、パキリパキリとした音が、何かの足音のように空間を満たしていた。
青白い宝珠は、どんな魔石よりも大きく、力を感じる。
きっと千年間ずっとこうして迷宮の封印を守ってきたんだろう。王国の歴史と、鴉の戦士団の歴史の、証明のような神具だった。
「これからは、こうした秘密を民に明かすことが増えていくでしょう」
冷たい光を浴びながら、パウリーネさんは言う。
「民に秘密を隠せていた時代は、きっと戻りません。おそらく主神の意思が、強大な魔物を隠すことをやめているのですから……」
出ましょうか、とやがてパウリーネさんが言った。
少し顔色が青白く見えたのは――本当に光の加減だったんだろうか。
◆
大塔から外へ出ると、春めいた夜風を温かく感じた。
頭上には満天の星空。月が優しい明かりを投げかけて、夜の神殿をうっすらと浮かび上がらせている。戦士団が焚く松明の明かりが、城壁のあちこちで燃えていた。
体が軽く思えるのは、肩にずしっと乗っていた重圧が消えたせいかもしれない。
「……お兄ちゃん」
ルゥが口を開いた。
でも、後が続かない。僕にもなんとなくわかる。
あまりにも大きな秘密に触れて、自分の存在が心細くなりそうで、思わず出てしまった――そんな言葉なのだろう。
気づくと僕らは足を止めていた。
「僕達、本当に、大きくて大事な戦いにいるんだね」
神殿の大塔が月を背負っている。
1000年の歴史とか、神話とか、僕にはまだよく分からない。でも、王国が今まで隠してきたり、当たり前として扱ってきたことが、変わってきているんだ。
――信じます。
パウリーネさんは、宝珠を見せる前にそう言った。
今まで隠してきたことを、誰かにみせる。秘密を明かす。
考えてみると――王女様の立場でそれを行うって、とても勇気が要ることじゃないだろうか。だって、王国が始まって1000年の間隠されてきたことを、明かす決断をしたってことだから。
神様が負けたという神話の真実。
迷宮に強力な魔物が眠っているという事実。
そういうことを人々に明かすところまで、非難も責任も承知で覚悟しているのかもしれない。
だって、全体メッセージで巨大な魔物の出現が予言されているんだ。
いつまでも、今までの神話――神様が魔物に勝って、迷宮は魔石と素材を納めた贈り物、なんてしあわせな物語が通用するとは思えなかった。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
ルゥが僕を見上げていた。はっと慌てて微笑みを貼り付ける。
「うん、僕は――」
「うそ。考えごとしてたでしょ」
ルゥは背伸びして、僕と少しでも目線を合わせようとしていた。
「わかるよ。私も心配だし、ちょっと、怖い」
……答えようがなくて、僕らはどちらともなく歩き出した。
「私の力がすごいものだっていうのは、なんとなくわかるよ。だから、早く慣れたいし、お兄ちゃんの役にも立ちたい。でも……」
ルゥは城壁の向こう、きっと王都の方角を見つめていた。
「お兄ちゃんがどこかへ行って、帰ってこなくなるのも怖い。それに、私、ここから出れないのも怖い……かな」
それはルゥの本音なんだろう。
世界が変わってしまいそうになっていて、そこに自分のスキルが関わっている。
色んな不安が糸屑みたいに絡み合って、妹の胸に埋まっているのかもしれない。
「ルゥ……」
「あ! ごめんね、弱音ばっかりで」
僕は首を振って、微笑んだ。
「大丈夫。ルゥも、僕を信じて」
オーディンは全体メッセージで『英雄』といった。
僕をそう呼ぶ人もいる。
でも、僕は1000年の歴史とか、神話よりも、この瞬間の妹の不安を除いてやりたかった。
「みんな、聞こえる……?」
右手で、ポケットからコインケースを取り出した。神様に願いを告げる。
金貨が熱くなって、まばゆい光が散った。
「わ!」
驚くルゥ。
周りに飛び出したのは、5柱の神様達。
赤髪をなびかせた雷神トール、黒いローブの魔神ロキ。
青い鎧のシグリスは、同じ青色の髪を夜空になびかせていた。狩神ウルも宙に浮かんでいる。
最後に、黄金の光をまとったソラーナが僕とルゥの手を握った。
「いくぞ」
え、というルゥに、パチンとロキが指を鳴らす。
僕達の体は神様の輝きに包まれて、高く浮き上がった。瞬く間に地面が遠くなる。
女神様は僕らを温かい光に包んだまま、大塔の上に降ろしてくれた。
地上5階の高さ。
夜空が近くて、王都の夜景もよく見える。広がる大地は月明りを浴びて、川の流れと一緒に照り輝いていた。
「わぁ……!」
ルゥが声を出した。
「まだ、王都の中には連れていけない。でも、ここからなら、街の中も見えるでしょ」
冒険者が増えて賑やかになっているせいだろうか。王都の夜景にはいくつもの灯がともって、夜空から星が落ちてきたみたいにキラキラしていた。
「……きれいだね」
「うん。王都の家も、まだあそこにある。なくなったわけじゃない。また戻れるよ」
ルゥの目が潤んだ。
妹は首を振って涙を払うと、にっと笑う。
「……うん!」
急に『英雄』なんて呼びかけられても、まだわからないことばかり。
でも一歩一歩、進んでいく。
こんな夜空で女神様にも誓ったことを、僕は思い出していた。
「なれるよ、君なら」
ソラーナが空に浮いたまま、僕らへ振り向く。
「英雄、それも君にしかなれない英雄に。時代は騒がしくなったようだが……次は、英雄への駆け出しだな」
ルゥを抱いたまま、僕は南の空を見つめた。そこに次の目的地、豊穣の街フローシアがある。
「いこう、神様」
神々はそれぞれ頷く。
出発は明日の朝だ。
「いってらっしゃい、お兄ちゃん」
僕は妹の手をきゅっと握った。





