3-7:鼠骨のラタ
薄暗い廊下を、鼠骨のラタは進んでいた。
天井には蜘蛛の巣。まばらな魔石灯が行く手をうっすらと照らしている。かつては貴族の城だったのだが、放棄され廃城となった今、地下は建物というより洞窟に近かった。
外は春の青空だというのに、冬が置き忘れられたかのように通路はひんやりしている。
革靴が漆喰の破片を踏みつけて、ラタは顔をしかめた。上等な装束に、後ろに流した栗毛は、大手商会にも出入りできる。
そんな恰好で気やすく訪れたい場所ではない。
ラタは廊下の最奥部で足を止めた。
「……鼠骨のラタです。失礼いたします」
ドアを開くと、まず大柄な男の背中が見えた。乱れた金髪が広い肩から縮れ落ちている。
付近には麻袋や木箱が散乱していた。
大男は片手で子供の背丈ほどもある樽を掴み、水を喉に流し込む。
「どうした」
空になった樽を放り、大男は背を向けたまま尋ねた。
「……ユミール様、ご報告と、補給の様子を見に参りました」
一礼しながら、ラタは素早く散らばった樽や麻袋を盗み見る。
伏せた顔が歪んだのは、全てを手配したのがラタ自身だったからだ。
鼠骨のラタは、奴隷商人の経営を一手に担っていた。魔物ながらに器用な男であり、こうして貴族風の商人に『化ける』こともできる。
「……もう、食事はなくなりましたか?」
「まだ少しはある」
ユミールは熊手のような掌で、隅に置かれた木箱と麻袋を指さした。
ため息が落ちる。
廃城に物資を運搬する手配を整えているのも、ラタだった。この地下には付近の都から水路が伸びているため、廃墟ながら便がいい。
これまで、住処は貴族に用意させていた。だが、鴉の戦士団が本格的に影響力を取り戻しつつある。先手を打って、より深く隠れることに決めたのだ。
――大食らいめ。
細心の注意で舌打ちを殺す。
他の魔物と同様に、ラタ達も魔力を糧として生きることができる。一方で、肉体を持つ存在として、食事で力を保つこともできた。
高額な魔石よりも食事の方が安上がりと、ユミールに食事を供していたが見込み違いかもしれない。
あまりにも食いすぎる。世界蛇より暴食だ。
二つ目の樽を放り投げ、壁で砕いてから、主は背中で言った。
「ヨルはどうした?」
「まだ傷を癒しています」
ユミールがぴたりと食事の手をとめた。
霜が下りたように空気が冷え込む。
ラタの喉が鳴った。
「腹が減ったな」
悪寒が貫いた。
「……ヨルは、まだ使い物になるかと」
「そうか」
図らずも弁護するように口調になってしまった。
「す、スルトの魔石もお持ちしました。あれでは不足でしたか?」
鉱山街アルヴィースでの激戦の後、炎骨スルトは討伐されている。
その特大の魔石は、結晶として戦場に散らばった。ラタは小さな魔物に化けて、いくつかを収集、ユミールの元へ持ち帰っていた。
「ふむ」
ユミールが巨大な手を一振りする。
ソファの前に散らばっていた樽の破片や、麻袋が炎上した。
「……あなた様には、スルト同様、魔物を蘇らせる力がついたはずです。スキルを食った時と同じように」
鉱山街アルヴィースにおけるラタ達のそもそもの狙いは、これだった。
「もともと、スルトは限界でした。怒りで理性を失い、また封印から逃れても、あの巨体では我々と協力などできなかったでしょう。体の一部を採掘しても、生きている限りは再生しますので、できる限り長生きさせるのが得策ではありましたが……嗅ぎつけられた時点で、切り時でした」
ラタの長々として説明を、ユミールは聞いてなどいなかった。
立ち上がる。
2メートル以上の巨体は、天井付近に頭がある。岩から削り出したような顔面は、まったくの無表情だ。
巨人は焦げた樽を取り上げ、手のひらで砕く。するとそれは光の粒に――魔力になった。
「……は?」
ラタは唖然とする。
「物質を、魔力に、変換……?」
砕けた樽は、さらに光の粒子となって、ユミールの口に吸い込まれた。創造主の体内に。
「力も少しは戻ってきた」
うまそうに魔力の光を頬張りながら、ユミールは言う。
今更ながら、力を取り戻しつつある原初の巨人――世界最初の存在に、ラタは震えた。
「だが、まだまだ、とうてい、おれは満たされていない」
ユミールが大儀そうに右側の壁を指す。そこには空樽や麻袋に交じって、人の腕が見えていた。時折、ぴくりぴくりと動きはするが、意思があるようには見えない。
スキルを食われて廃人となった奴隷だろう。
念じることで発動する恩恵は、もはや精神の一部だ。スキルを食われるとは、心を抉り取られるのと同じであった。
「ラタよ」
「……はっ」
「おれは気づいている。お前はヨルやスルトと共に戦わなかった」
「そ、それは……」
後ずさるラタ、その胸倉をユミールは掴み上げた。
「奴隷商人の仕組み、なかなか見事だ。そのためにおまえは惜しいと思っている。おれのために、わざわざ手塩にかけて作った組織が傷つくのが」
10メートルを越す魔物を見てきたラタだったが、ユミールはどの魔物よりも巨大に感じた。
「わかる。共感できる。おまえは俺の被造物だからだ」
「…………!」
「その反骨、面白くもある」
ユミールはラタを放す。
地面に腰を打ち付けたことで、ラタは自分が天井際まで持ち上げられていたことに気づいた。
それまでは巨大な眼球から目が離せなかった。
ユミールは後ろを向き、ソファに戻る。縮れた金髪が背中で揺れていた。
「奴隷を大量にもってこい」
「ど、奴隷を……?」
「創造の力、そして目覚ましの力、それが来るまでの腹ごなしだ。あるだけ、かき集めて、ここに持ってこい」
面会はそこで終わった。
分厚いは扉が閉じられる。
ぶるぶると震えながら、ラタは廃城を歩いた。震えは笑みに変わっていく。
「いいでしょう、あなたには敵わない。ならばせいぜい楽しませて差し上げます、ユミール様」
くく、とラタは笑う。
頭にはここと水路でつながる、奴隷の集結地があった。
「近々、大取引もある! その街から、奴隷を大量にあなたに供してご覧にいれましょう、くく……!」
狙いは、水運と湖に恵まれた、豊穣の街。
フローシアという街だった。





