2-54:二つの剣
鉱山に刻まれた裂け目から、雷神トールは夜空へ飛び出した。
見下ろす目に、のたくる大蛇が映る。
山裏は広大な森になっており、川が稜線を迂回するように流れている。
水しぶきと土ぼこりをあげながら、巨大な蛇は木々を押しつぶし、ゆっくりと鎌首をもたげた。頭の高さだけでも巨人タイプの魔物ほどある。地面を這う部分も含めれば、炎骨スルト以上の巨体だろう。
上空に浮かぶトールは、顎に手をやり、戦神の目で大蛇の長さを測った。
まっすぐ伸ばせば50メートル、いや100メートル……?
ふん、と鼻を鳴らす。
意味がないことに気づいたからだ。
「お前は魔力次第ででかくなるんだったな……」
世界を覆う封印が、その特性を抑え込んでいたのだろう。
雷神トールが雷に、薬神シグリスが癒しに、太陽神ソラーナが光に変換している魔力を、この幹部は体のでかさに変換する。
鎚ミョルニルを肩にかついで、トールは大蛇を見下ろした。
「久しいな、世界蛇」
闇に沈んだ森から、金色の目が雷神を睨み上げる。
トールの周りを雷雲が覆いだした。ミョルニルの表面を、青い雷光が駆け回る。
――ええ、久しぶりねぇ。
世界蛇が喉を鳴らす。声は地鳴りに似て、辺りに重く響き渡った。
アルヴィースの街からも、巨大な魔物が躍り出たことがわかったのだろう。悲鳴が聞こえ、トールは口を曲げる。
オーディンはいったいどう始末をつけるのか。
――封印の前は、あなたとは最後まで戦えなかったわぁ。
「……ああ」
強まった風が、赤髪を振り乱す。
封印が世界を覆う前、戦神トールと、世界蛇ヨルムンガンドは何度も戦ってきた。
「お互い顔も見飽きただろう? それとも、千年ぶりだと久しいか?」
ヨルムンガンドは体を揺らして笑う。
不気味な地響きに、深夜の森がざわめく。さぁっと音を立てて鳥たちが遠くへ逃げて行った。
――ねぇぇトール? あなたはいいけれど、迷宮の人間どもは大丈夫かしらぁ?
真っ赤な舌をちらつかせて、巨大な蛇はトールを惑わす。
――炎骨スルトを相手に、最強神のあなたなしで、彼らは戦えるかしら?
トールは無表情を貫いた。
戦神として、相手の戦術がよくわかっていた。
世界蛇は顕現した後、これ見よがしに街を狙うそぶりを見せた。あれは、世界蛇に単独で対抗できる神を外へ誘い出し、迷宮内の戦いを有利にするため。
つまり、陽動だ。
そして外へ出た後は、内側の様子を心配させることで集中力を削ごうとしてくる。
――人間は小さく、弱く、おまけに蛇のように強欲よ。
「はははは!」
大あごの大笑が策略を打ち砕く。
「俺も、前までそう思っていた。まったく、敵として見せつけられると嫌になる」
ミョルニルを握りしめ、大蛇へ向けた。
「小さい? 弱い? 見た目はそうだが、あまりなめるなよ」
暴風に揺れる赤髪。戦神は目を見開いて睨むと、ミョルニルを振り上げる。
「あの少年は――お前が思う以上に化けるかもしれねぇぞ」
いや、その途中か。
トールは口の中だけでそう付け加えた。
「応えろよ、英雄……」
ヨルムンガンドが身をたわめた。尾の先が鞭のようにしなる。迎撃するのは、雷光をまとう鎚だった。
「信じて、スルトは奴らに任せた。俺らも共闘ってやつを学んだのさ」
◆
炎骨スルトが立ち上がる。背後にいたゴーレム達が衝撃で倒れ、そのまま巨大な足に踏み潰されるのが見えた。
熱の余波で鼻が焦げ落ちてしまいそうだ。走りながらも、僕らは耐火マントのフードを下ろす。
見上げる巨体は20メートル近くて、そそり立つ大樹のようだった。
「……見れば見るほど、規格外」
フェリクスさんが呟くのも納得だ。
魔物の群れを押しやって、僕らはかなりスルトへと進んだと思う。
でもあまりにも巨大すぎた。
「目覚ましっ」
精霊シルフを<目覚まし>して、風の刃を送り込んだ。
それでも、塔の土台みたいな足に小さく傷がついたくらい。
ミアさんの鎖斧もほとんど弾かれてしまっていた。
「フェリクス、あんたの魔法は?」
「やっているのですが、効果は薄いですね」
今、スルトをまともに攻撃できているのは小人だけだ。
広間を囲う足場、そこに設けられた砲台から、今も大矢や魔法が繰り出されている。けれども彼らの攻撃も魔力障壁で弾かれ続けていた。
僕らは小人の邪魔にならないよう、大きく円を描くように走っている。
スルトが『城』だとすると、小人達が色々な仕掛けを使った攻城部隊、僕らは隙を伺う遊撃隊ってことになるんだろうか。
――ホオオオッ!
スルトが吠える。迷宮全体が震え、鼓膜が破れそうだ。
「な、なにっ?」
態勢を崩したサフィをロキが抱えた。
「……ふむ」
神様、ロキが目を細める。
「そろそろ、向こうが攻め手かな」
スルトが大きく足を振り上げた。
――オオオ!
ただの、足踏み。
それだけで熱風が押し寄せる。
僕は精霊サラマンダーを<目覚まし>、さらに神様ロキとソラーナに守ってもらった。荒れ狂う熱の嵐で、ガルムや、ゴーレム達が次々に吹き飛ばされていく。
容赦ない破壊に、僕は背筋が凍った。
「み、味方ごと……?」
「仲間が大事なら、スルトの体から採掘するなんてしないだろっ」
ミアさんの言う通りだ。相手は魔物なんだって嫌でもわからせられる。
真っ赤な目が輝く。スルトは拳を振りかぶり、足場に殴りかかった。
巨大弓がバラバラに崩壊し、瓦礫と一緒に小人が下へ落ちるのが見える。足場を守ってるシグリスとウルでも、庇いきれなかったようだ。
響き渡るスルトの哄笑。
――炎から生まれたならば、炎に還るといい!
崩れていく足場がひどくゆっくりに見えた。
サフィが悲鳴をあげる。
――オオオ……。
スルトが唸りながら、巨大な顔を笑みに歪ませる。開いた口から、赤黒い牙が見えた。
今更、怖いと震えそうになる。そんな自分の頬を叩いた。
しっかりしろ、視線を逸らすな。
ここで退けばきっと僕も仲間も、小人も、ルゥも母さんも、火が包んでしまうだろう。
「お願い、ウルの加護……!」
<狩神の加護>で、魔力探知を使った。
「なにか、弱点でも……!」
僕は、奇妙なものを見つけた。最初は、熱と涙で視界が歪んだせいかと思った。
スルトの膝の辺りに赤い光が――ゴーレム核によく似た光があるなんて。
少なくとも立ち上がる前はそんな気配はなかったはず。
「さ、サフィ……」
ロキに抱えられたまま、サフィは涙を拭っていた。
「なに?」
「スルトの膝に、魔力の反応があるんだ。ゴーレム核によく似てるんだけど……」
サフィは目を見開くけれど、ふと何かを思い出したようにまばたきした。
「そういえば……アタシがたどり着いた時、ゴーレム使いがいたわ。なんでいたのかと思ったけど……?」
僕にも思い浮かぶことがあった。
途中で戦った『憤怒の化身』だ。巨人のようなゴーレムが作れるなら、巨人の体の一部だって……?
「リオン、足を止めるな! 巨人タイプの魔物と基本は同じだ!」
冒険者の先輩から、そう叱咤され我に返る。
「は、はい!」
疾走を再開する。
スルトが炎弾を投げつけた。逃げる周囲に、柱のような爆炎があがっていく。
吹き飛んでくる礫が頬を裂く。小人の援護がなければ、この程度の攻撃だって連続して僕らを追い詰めていただろう。
爆炎の隙間から、僕らはさらに観察した。
「……足のところ、炎が弱いか?」
ミアさんの言葉に首肯した。
「そうですね。あそこだけ、土と石でできているみたいに……」
あ、とサフィが声をあげた。
「……足って、あの位置と同じだわ。あの巨人、最初は封印の氷に足を封じられていたの。それで、足は大昔の巨大弓の矢が刺さりっぱなしになっていて……」
口元に手を当てて、サフィは呟く。
「もしかしてゴーレム技術で、傷ついた足を補強してる……?」
ロキが目を細めて、同意してくれた。こんな時でも魔神様は指を立てる。
「ん、なるほどぉ? 封印の前に小人から受けた大傷が、治っていない。だからゴーレム技術が、欠けた肉体を土と石で補っているんだ」
オーディンの封印は、しっかりとスルトの足を引っ張っていた。封印で千年近く維持された古傷は、魔物の再生力でも治せなかったのかもしれない。
「え、ええと……」
整理しよう。
ゴーレム核が、スルトの傷ついた足を土と石で補強している。小人の巨大弓で負った両足の大傷、それに対する『義足』ということなんだろう。
だから、直立した後に<狩神の加護>に反応した。
サフィはゴーレム技師を見たという。こういう応急処置のためだとすれば、辻褄もあう。
「弱点……見つけたかも!」
スルトの背後に回り込み、僕はゴーレム核の位置を確認した。やっぱり、スルトの両膝に赤い光が見える。
破壊すれば、あの巨体だってきっと態勢を崩す。二本足で立つのは僕らも巨人も一緒だから。
その時、ミアさんが真上を指差し、顔を真っ青にした。
「お、おいおいおい!」
スルトが拳を振り上げていたんだ。踏み込みで揺れる地面。
ロキとフェリクスさんが魔法で拳を逸らそうとするけれど、完全に止めることは不可能だった。
拳が、地面に着弾する。
床が水みたいにたわみ、僕らみんなが浮き上がった。
女神様が前に出て、僕らを守るように立ちはだかる。熱風で、金髪が真後ろに伸びていた。
「く、くるぞ、リオン! 魔力の衝撃が……!」
ソラーナごと、僕らは高く吹き飛ばされた。
「うわっ」
軽く10メートルは打ち上げられたと思う。
壁や床に身を打ち付けることはなかった。
落下はとてもゆっくりだったから。
僕らを、薄い羽を持った小人――白小人が掴んで落下から守ってくれていた。小人達は、僕らを優しく下してくれる。
「あ、ありがとう……!」
お礼を言うと、彼らはまた足場へ戻っていった。
炎の巨人へ向き直る。
スルトは地面に膝をついて、力を貯める姿勢に戻っていた。
どくん、と胸が高鳴る。相手の動きが止まった今は、ものすごいチャンスに思えた。弱点である両膝も、今は地面についていて、ほとんど動かないように見える。
心臓が早鐘だ。
チャンス? それとも……。
「ソラーナ!」
僕は、賭けた。
吹き飛ばされたせいで距離が遠い。30メートル近い間合いで、かつ威力を考えると、あれしかない。
ソラーナは金の瞳をきらめかせ、頷いてくれた。
「わかった!」
――――
<スキル:太陽の加護>を使用します。
『太陽の娘の剣』……武器に太陽の娘を宿らせる。
――――
女神様を青水晶の短剣に宿らせる。コインケースから金貨が飛び出して、短剣と一体化した。
かつて狼骨スコルを倒した光の剣が、広間の天井付近まで伸びあがる。
――オオオッ!
スルトは膝をついたまま、両方の手のひらを組み合わせた。そこに炎が宿る。火炎はどんどん勢いを増して、真っすぐに伸びた。
炎の――剣?
「っ」
炎の剣が、『太陽の娘の剣』を受け止めた。
鐘を打ち合わせたみたいな反響音。
大空間の空中で、黄金の火花と、赤黒い火花があがる。目が痛くなるほど眩しい。きっと女神様の力とスルトの炎がせめぎあっているんだ。
魔力は、互角。
明暗を分けたのは技だった。
スルトは剣を受け止めたまま、ゆっくりと立ち上がる。炎の剣を上へスライドし、回転させた。
鍔迫り合いから剣を外して反撃へと移る、『巻き越え』と呼ばれる技だった。比べるのが愚かしいほど相手は大きい。
力と技術を、押し返せない――!
――オオッ!
剣が外される。
――焼け落ちるがいいっ!
横合いの構えからスルトは僕らを薙ぎ払った。
みんなを守るため、『太陽の娘の剣』を盾にする。
「リオン!」
「ソラーナ、みんなを……!」
踏みとどまれないっ。
地面から足が離れた瞬間、僕は熱波に吹き飛ばされた。





