2-52:英雄の意思
サフィが、神殿の部屋からいなくなった。
きっと独りで、アルヴィース・ダンジョンの最下層へ向かった。
僕は誰もいない部屋で立ち尽くしてしまう。
開け放たれた窓から夜の風がひゅうひゅうとやってくる。遠く見える鉱山は、中腹から空へ伸びる光のせいで真っ赤に染まっていた。轟音の反響、その余韻もまだ空に残っている。
「僕、追いかけますっ」
階段を駆け下り、外へ出る。
神殿の高台から街を見下ろし、僕は絶望した。
戦いに備えた街を大勢の人が行きかっている。軽いパニックみたいだ。
この中から、小さなサフィを探すなんてとても無理だよ……!
「ど、どうしたら……」
頭が割れそうだった。どうしよう。
後悔って、こんなにも胸を苛むものなんだ。
背後でたくさんの足音がする。
騒ぎを知って、ミアさんやフェリクスさん、それに鴉の戦士団も出てきたんだ。
「……サフィは、見失いましたか」
フェリクスさんが口を歪めた。
「我々の手落ちですね。窓は開かないはずですが、黒小人の腕力を甘く見ていました」
その時、急に心が軽くなった。猛烈な嵐の中、ふと雲の切れ目に差し掛かって、風雨が和らいだ時みたいに。
――進め!
心がそう叫んでいた。
小人王様と別れた時には、その声を聞けなかった。
でも今は違う。
一回ためらって、悩んで、踏み切れなかった。
だから今度こそ、胸を張り、息を整え、顎をあげる。
「僕達も、サフィを追いましょう」
放った言葉はフェリクスさんのしかめ顔にぶつかった。
「……危険です」
金貨からも声がする。トールのものだった。
『そうだ。小人が降っていたとしたら、すでに罠があるかもしれない』
頭をどっと考え事が駆け抜ける。
フェリクスさんも、トールも、正しい。その方が『確実だ』って言ってるんだ。
迷宮の外には大勢が展開できる。一方で迷宮は罠があるかもしれず、人数も限られる。
そのことは、今あるどんな理屈でも覆せない。
だから僕は言わないといけない。
交渉は前提条件の確認から。
その前提を――ひっくり返す。
「小人が裏切っているって、まだ言い切れないと思う」
それなら、と僕はフェリクスさんをまっすぐに見た。
正しさがあると信じているなら、俯いたり、目を逸らしたりする必要なんてない。
「小人の迷宮の最下層は、逆に小人の力が眠っている層になります。そして……それを起こすために、僕らは『目覚ましの角笛』を持ってここに来たはずです」
初めの目標を思い出すんだ。
魔物の脅威があることは、想定済み。それでも小人の迷宮には力があるはずだから、僕らは起こしに来た。
「……そうなると、議論が堂々巡りですね」
フェリクスさんは杖をついた。細い目が僕を見下ろす。
「リオンさん、あなたは小人を信じるという。我々は信じられないという。しかし、迷宮で見てきた事実は、小人の裏切りを指しているように見えます」
「でも、番兵ゴーレムは、巨人と戦っていました。巨人への巨大弓も。そして、小人王様は、僕の角笛を見て何か考えを言いかけたように思います」
フェリクスさんが口を結ぶ。
金貨が震えて、トールが雷鳴のように言った。
『それだけか?』
「それだけです」
『薄弱だな。巨人用の武具、そして取引現場に比べればな』
頭に響く声は威厳に満ちていて、気を抜くと挫けてしまいそうだ。
「そ、その小人の技術が味方になるかどうかが、これで決まります。サフィを追って、最下層の何かを封印解除できるかどうかで……!」
『ふん! 要は、賭けだろう』
言い捨てるようにトールは言った。
『小人が裏切っていたら、賭けに負け。俺達も負ける。裏切ってなかったら……小人の残した仕掛けか、技術が、俺達の味方になる』
僕らの間から、言葉が消えた。心が押しつぶされそうな沈黙。
『リオン。賭けに街や、仲間を巻き込むのか?』
神様と、鴉の戦士団を、同時に敵に回してしまったかもしれない。
でも――これだけは言わなきゃ。
仲間というなら、サフィだってそうだ。
「だから、僕を信じてください」
フェリクスさんがぽかんと口を開けた。芸術的なカウンターをもらったみたいに。
「し、信じる……?」
「はい。僕は、サフィと小人を信じます。その僕を――信じてください」
しばらく、何も言葉が出なかったと思う。
こっちは心の声を出し切った。
考えてみれば簡単なことなのかもしれない。
『それでも、信じたい』と主張すること。
あの場にあったのは、信じられない証拠ばかり。
でも誰かが――僕がそう声をあげなければいけなかった。誰かを助けたいっていう時に、リスクがないなんてこと、ないんだから。
「……つまり、あなたは我々に、鴉の戦士団にこう言いたいわけですか。『俺についてこい』と」
ちょっとたじろぎそうになるけど、言い方を変えればその通り。
「なるほど、ふむ……」
フェリクスさんが一歩下がり、視線を空へ向けた。
「これほど防備が整った今であれば、保険をかければ……もともと偵察くらいは必要でしょうしね」
くつくつとフェリクスさんが肩を揺らした。わ、笑ってる……?
トールが口を開いた。
風向きが変わったのを察したのかもしれない。
『だが、そりゃ……』
『トールよ』
『ソラーナ、黙っていろ。お前は特に信徒に甘い。いいかリオン、お前が言うのは』
そこで、また金貨が震えた。
『いいんじゃないかな?』
聞こえてきたのは、ロキの声だった。トールが叫ぶ。
『ロキ、お前……!』
『トール、これは状況の見方が違うね。トールとフェリクスは安全策、つまり敗けにくい戦い方。リオンは違う。リスクはあるけれど、新たな味方を得て勝ちにいく戦い方だ。後者の方がリスクはあるが、賭ける価値はある――リオンはそういう話をしている』
トールが言葉に詰まるのがわかった。
金貨が震えて、人形サイズのトールが外へ飛び出してくる。応じて、ロキも。
僕とフェリクスさんの間で、片方は雷、もう片方は炎を纏った神様がにらみ合った。
「…………ロキ、お前も小人を疑ってると思っていたがな」
「まだ疑っているよぉ? リスクも当然あ~る。けれど――」
ロキはたれ目の端で、僕を見た。
「間違えないことは、英雄の条件ではない」
なんだろう。いつもひょうきんな神様だけど、この時だけは、心から褒めてくれているように感じた。
「決断することだ。そして、信じてくれと言った。いいだろう、僕は信じるよ、君は友達甲斐のある男だ」
そう言い残して、ロキは紫の光を残して金貨へと消える。
『リオン、わたしは君を信じる。君がわたしを信じてくれたように』
ソラーナがそう言うと、太陽に照らされたみたいに胸が温かくなった。
狩神ウルと、薬神シグリスも次々に言ってくれる。
『ボクも同意だ』
『シグリスも、リオンに異論はありません。もともと、目覚めさせるのは彼ですから』
トールが最後まで外で頑張っていた。
空中に浮かびながら、豊かな赤髪をかきむしり、雷雲みたいに顔を歪めている。
「ああ、くそ!」
やってられない、と言わんばかりに頭を振った。
「…………戦士団のフェリクスよ、街の防備は済んでるのか?」
「もともと冒険者の街。たとえ迷宮から魔物が溢れても、王都のような混乱は起きないことを約束します。雷神殿の目に適うかはわかりませんがね」
トールは長い長い息をついた。
「……わかった。だが地下に潜るなら、全員に『黄金の炎』を使え。もし戦況がまずくなったら、最速で防衛線まで撤退だ」
「うん。実は……最初から、そのつもり。ここで『黄金の炎』をみんなにかけて駆けつければ、サフィに追いつけるから」
そうなると、フェリクスさんとミアさん、そして僕の3人で先行することになるけどね。
<太陽の加護>の効果を、<薬神の加護>で仲間にもかけるわけだけれど、魔力的に2人が限界みたいだから。
トールは目を見開いた。
「く……はははは! そうかよ、きちんと考えていやがったか」
決めてしまうと、トールは高らかに笑った。
「では進め!」
そう言い残して、赤い光を残して金貨へと消える。
僕は高台から遠く見える鉱山に目を凝らした。さっきのような轟音は止んで、赤い光もだんだんと鎮まっていくように見える。
でも、これ、嵐の前の静けさってやつだと思う。
「行こうっ」
言いかけた時、僕は坂道から人が登ってくることに気づく。
それは、ふくよかなお爺さんだった。
えっほ、えっほ、と息を切らしている。顔には豊かな髭を生やして、背中にたくさんの荷物を持っていた。
坂を上がり切ったところで、その人は足を止めた。
「え……」
僕はたじろいでしまった。
どうしてこんなところにいるか分からない、人物だったから。
「ふ、古具屋……さん?」
それは、王都で僕が出会った古具屋さんだった。
運命なんて言葉を使えるとするなら、全ての始まりだった人。ソラーナとの出会いは、この人からもらったコインのおかげなんだから。
僕らを見つけて、古具屋さんは目を細める。
「いやぁ、避難はここでよかったですかのう? ほっほ……」
照れたように笑ってから、僕らに気づいて首を傾げる。闇の中、その背後を2羽のカラスが横切ったように思えた。
僕は声を失ってしまう。
王都で見たきり、もう会えないと思っていた。まさかアルヴィースで再会するなんて。
「ど、どうしてここに……」
フェリクスさんが一歩前に出た。
「市民ですか? 避難は……」
古具屋さんの両肩に、2羽のカラスが止まった。なんだろう。雰囲気が、違う気がする。
微笑みは優しそうで、分厚いコートも、背負ったリュックもあの時のままだ。
なのに目が――こっちを見透かしている。
何千年も生きたような、空の果てみたいな深い深い瞳だった。
『……この気配。2羽のカラス……?』
ソラーナが金貨から声を震わせる。
一瞬、戦士団の印が思いこされた。『鴉の戦士団』のマークは、マントにも施された2羽のカラスだ。
『……ふぅん? 前は気づかなかったが――降りてきていたんだね』
ロキの言葉が理解を後押しして、僕は呟いていた。
「お、オーディン……なの?」
古具屋さんは、かすかに顎を引いた。
「金貨は役に立っているようじゃのう」
この人は、ソラーナが封じられた金貨を渡してくれた。
古具屋さんがオーディンなのだとすれば、そんな好意も説明できてしまう。
「目覚めの力を活かすことじゃ。君にはその力があり、そして目覚めには、太陽じゃ」
コインケースの中で、金貨が熱くなる。
「ソラーナよ。信徒はこれほど成長した。君も応えねばならんのう」
『オーディン、あなたは……』
さて、とオーディンは空を見上げる。
「待って! まだ、聞きたいこと……」
「今はよしておきなさい。ではね、リオン君。英雄になってくるといい」
そう言い残して、オーディンはカラスの羽を残して消えた。
また揺れがやってきた。鉱山の中で、炎骨スルトが暴れている。
『リオン』
「うん!」
ソラーナに頷きを返し、僕は<太陽の加護>を発動する。
纏うのは『黄金の炎』。
仲間を、サフィを助けにいくんだ。





