2-50:終末に抗う
地面が揺れ、鉱山の裏側から真っ赤な光が空へ突き立っている。
サフィは黒小人の腕力で戦士団から逃れると、神殿の窓から飛び降り、独りで街を駆け出した。
――目指すは、鉱山。
揺れは治まる気配がない。轟音も、吠え声も。
巨大なハンマーが、地面を割ってしまおうとしているかのようだ。
「くっ……の!」
緑髪を振り、鍛冶道具のバッグだけはしっかり抱えて、サフィは深夜の鉱山街を駆け抜ける。
実は、神殿からの道順は覚えていない。いつもリュックの中から覗いているだけだし、最後に迷宮から戻った時には放心状態だった。
けれど、月を背負った鉱山は街のどこからでも見える。
あそこを目指して駆ければいい――そんな、見込み頼りの行動だ。
それでも、サフィは走った。
リオンも、神々も、他の人間も、もう信じることはできない。だって、彼らは迷宮の奥へ進まないことを選択した。
サフィにとっては仲間を、そして小人王の言葉を見捨てる選択だ。
「ここで退いたら、アタシ……小人でも鍛冶屋でもなくなっちゃう」
なんのために、独りで残されたのだろう。
みんなは宮殿に何を残したのだろう。
1000年という歳月、凍てついた鍛冶場、そして巨人への武具。
不安なことが心の中に降り積もり、答えを見なければ胸が押しつぶされてしまいそうだった。
――オオオ!
また、轟音。
揺れる足元、遠い鉱山。舌打ちしながら周りをみれば、慌ただしく冒険者が駆け回り、まだ残っていたらしい市民が松明片手に避難していくところだった。
「……どこ、ここ?」
こんな時ばかりは、小さな体がうらめしい。周りは人間サイズの家や塀ばかりで、改めて小人の国がもうないのだと実感した。
建物や人影で、目印の鉱山が遮られる。
「ひょっとして、アタシ迷った……?」
笑えない。
指で光っているのは『守護の指輪』だ。世界を覆う封印から、魔力が続く限りサフィを守ってくれる。
当分は動けるはずだが、できる限り早く迷宮へたどり着きたかった。
――こちらだ。
その時、空を影が横切った。夜だというのに、それは――
「か、カラス……?」
2羽のカラスは力強く羽ばたくと、サフィの頭上で一周し、山の方へ飛んでいく。
不思議な力を感じた。まるで、巨大な手がそっちへ手招きしているような。
現に、空からの案内でサフィはもう迷わずに進むことができた。
やがて、山と市街地を隔てる壁が見えてくる。かつてはダンジョンを警戒し、防備が設けられていたのだろう。
「ここなら……!」
今、門は閉ざされている。
だが経年で巨大なヒビが入っており、子どもなら――サフィなら割れ目から十分に抜けられそうだった。
モルタルを持った職人らが集まり、穴を塞ごうとしている。
「どいて!」
潜り抜け、後は鉱山に向けて走るだけだった。
「子供!?」
「危ないぞ、戻れ!」
声を尻目に、カラスに案内されながら山の裏手に回る。鉱山の麓を迂回するように、古い古い石畳が延びていて、それを辿ることでサフィは見覚えがある出口へ辿り着くことができた。
小人王に会った後、リオン達が脱出してきた通路だった。
鉱山の裏側は、深い森になっている。
導いたカラスは木の上からサフィを見下ろし、月が出入り口の岩を白々と照らしていた。
穴からは風鳴りのような唸り声。山の稜線からは、噴火のような赤光が空へ伸びている。
目を閉じ深く呼吸してから、顎を上げてサフィは迷宮へ飛び込む。
玉座の間を通り過ぎた。石になった仲間たちに涙を振り払い、地下へと続く通路を下り続ける。
途中、広い道と合流した。
小人の感覚が、『最近まで使われていた通路だ』と告げる。
不思議と、どこか見覚えがあった。
「ここ……目覚めた時、アタシが上った坂道だ」
サフィは、案外、玉座のすぐ近くで眠らされていたのかもしれない。あるいはリオンの<目覚まし>で、封じられていた最下層への道が、いくつも開いた結果なのだろうか。
真新しい道を進み続ける。
サフィは息をのんだ。
「な、なに、これ……」
壁にあいた大穴。
何か、巨大なものが壁から引き抜かれたように、岩にぽっかりと穴が開いている。
ごくり、と喉が動いた。穴の先は大広間になっているようだ。
まだ暗く、内側は見えない。
「ど、どうしよう……」
恐怖が小さな胸を覆うのを、サフィは首を振ってこらえた。
アタシはもう一人なんだ。
だって、この時代では――他の小人はいないのだから。
小人のサフィが信じてやらなければ、小人の国がどんな思いを残していても、この鉱山に消えてしまう。
けれど、もう走ることはできなかった。
音を立てるのを恐れるように、そろそろとサフィは進む。
「昇降機……?」
やがて見つけたのは、ゴーレム技術を応用した、昇降機。
乗り込んで起動レバーを引いた。
ガシャン、稼働音がやたら大きく響く。サフィはいつの間にか本来聞こえるべき轟音も、見えるべき赤光も、鎮まっていることに気が付いた。
昇降機が止まる。
サフィは最下層へ降り立つ。だだっ広い空間だった。
薄暗くて、全景は見えない。天井に一筋の割れ目が走っていて、そこから月明りが差し込んでくる。鉱山から漏れ出た赤光は、この隙間から外へ出ていたのだろうか。
「あら? まさか、黒小人がくるなんて」
声と共に、膨大な量の光がやってきた。
サフィはたまらず目を閉じる。
「な、なに……」
見上げると、円形の広場を見下ろすように、足場がぐるりと渡されている。
広場の天井は30メートル、とすれば足場の高さは15メートルほどだろうか。
その足場に、2体のゴーレムが直立して、巨大な魔石灯を掲げていた。魔石が生む光が、サフィに丸い光を投げている。
「あ、あんた誰?」
ゴーレムの間に、黒衣の女がいる。
「初めまして、私は蛇骨ヨル。世界蛇のヨルよ、黒小人のお嬢さん」
黒衣の女、ヨルはサフィを見下ろした。
「……あなただけ? 『角笛の少年』はいないの?」
サフィが沈黙していると、ヨルは嘆息した。
「……そ。せっかくお話しようと思って、巨人を静かにさせたのに」
ヨルが手を振ると、ゴーレムの裏で太った男が立ち上がった。大柄なくせに、妙にふらついている。まるで操り人形だ。
そのくせ、手を振る動きはきびきびして、なおさら不気味だった。
「ゴーレムよっ」
男の声が虚ろに響く。
空間にゴーレムの唸りが満ちた。
どうやら、広場を囲う足場には、ゴーレムが多数配置されていたらしい。人形らはそれぞれが魔石灯を掲げ、おびただしい光が空間を完全に照らしだす。
「ひっ」
サフィは息をのんだ。
照らし出されたのは――すさまじい大きさの、巨人だった。
灼熱した肌。灼熱した髪。うっすらと開いた目はすでに赤く輝いて、口からは炎がチリチリと吐き出されている。
膝をついた姿勢でなければ、あまりの大きさにヒトガタであることさえ気づけなかっただろう。
「す、スルト……?」
もう、疑いようがなかった。
馬車も握りつぶしそうな手。胸板は城壁のようだ。
立ち上がれば、きっと20メートル近くあるだろう。
『炎の巨兵』も、『憤怒の化身』さえも上回る、規格外の巨人だ。
ガタガタと歯の根が合わない。腰が逃げ出そうとしている。見るな、見るな、と本能が叫んでいるのに、恐ろしさのあまりに目線がそれに縛り付けられている。
くすくす、と嘲る声が降ってきた。
「どうしたのぉ? ここは、あなた方の宮殿、その裏門。もっとも、このスルトを迎え入れるためにずいぶん改装したようだけどねぇ……」
巨人は身じろぎした。サフィはそこで、スルトが膝をついた姿勢のまま、両手と両足を氷で束縛されていることに気が付いた。
果てが見えないほどの広間だけれど、その壁際にはまだ氷が残っている。内側には何かが――魔物が捕らえられているようだ。
神々の封印が、いまだに効果を発揮しているのだろう。
――オオオ!
熱風が起こる。
サフィは吹き飛ばされた。軽く体5つ分は飛んだだろうか。
地面に頭から落ちて、血が流れる。
広間の封印の氷は、あちこちでひび割れ、解け失せていった。
「本当は、『角笛の少年』に教えて絶望の顔を見たかったけど……ふふ、いいわ。まずはあなたに教えてあげる」
ヨルは歌い上げるように手を広げた。
「神話時代、小人は寝返ったのよぉ」
額から流れ落ちる血に、涙が混じった。
「こちらの条件は、小人の国の十鍛冶は、魔物になること。そして、他の小人も巨人のために武具を作り続けること。だから小人王は……宮殿で炎巨人の王、スルトを迎えたというわけ」
がらんとした空間に、ヨルの笑いが響き渡る。
魔物とは、神も人も殺し、破壊を振りまいて高笑いをするような存在だ。
そして魔物に降れば、生き物として歪んでしまう。降った小人のなれ果てがゴブリンだし、迷宮にいたガルムや、炎の巨兵のように、邪悪で救いようのない存在になってしまう。
作り手である小人とは対極の、破壊者だった。
そんなものに、故郷は降ったのだろうか。
支えになっていたものが、砕け散りそうになる。どんな名工も打てない、思い出という宝物が、ヨルの言葉で穢されていく。
「小人も力に魅せられたというわけね。ただ……」
ヨルは憎々し気に言い淀む。
「……完全に降る直前に、封印の氷がやってきた」
スルトを拘束する氷が、完全に砕け散った。
――オオオオッ!
スルトが立ち上がろうとする。
けれども巨人は苦悶の声をあげると、腕で足を庇った。手で、脚から何かを引き抜く。
ヨルが目を細めた。
「バリスタの、矢……?」
スルトはうずくまっていたのでは、なかった。巨大な矢に足を撃ち抜かれ、両足を地面に縫い留められていたのだ。
抜き去った矢をスルトは遠くへ放り投げる。
槍のような大矢は地面に転がり、砕け散った。
「ど、どういうこと……?」
サフィは呟く。
スルトの炎は空間全体に及んだようだ。
土と氷に覆われていたアールヴヘイムの裏門が、本来の姿を取り戻す。
洞窟とは仮の姿。それは封印の氷で覆われて、その上に長い年月で土砂を降り積もらせた姿だった。
今、その氷が消えた。氷の上に積もっていた土砂や岩も崩れて、サフィの周りにも土が落ちてくる。
「きゃっ!」
もうもうとした土煙。
見えてきたのは、ヨルが立つ足場のさらに上にこしらえられた、もう一つの足場だ。そこにはぐるりと巨大弓が――『対巨人バリスタ』が並び、まさにスルトがいた位置を狙っていた。
バリスタの周りには小人もいる。
彼らは錆びついたバリスタを操作する姿勢のまま、物言わぬ石になっていた。
「……これは」
ヨルが舌打ちした。ゴーレムが掲げる魔石灯が、土ぼこりを裂いていく。
「……チッ。小人ども、これは……謀ったわね」
頭がぼんやりしたままだった。
『謀った』?
何を、小人達は、何をしたのだろうか。
サフィは、土ぼこりの向こうに、壁に光る赤い宝石を見つけた。それはサフィが持つ『守護の指輪』と同じ輝きを放っている。
――サフィ。
頭に声が響いた気がする。
小人王の声に、よく似ていた。
「王様……?」
サフィの頭の中で、何かが――不可解だった出来事が組み合わさっていく。一つでは意味をなさない部品が、集まって、巨大な仕掛けとなるように。
裏門に呼び出されたスルト。そこを狙う無数のバリスタ。
迷宮の第1層、かつてのアールヴヘイムの正門は崩れて、埋まっていた。まるで、何かが意図的に山を崩したみたいに。
「囲んで、倒して、埋めようと……?」
ゆっくりと、小人の為そうとしたことが見え始める。
涙がにじんだ。
「裏切ったわけじゃ、なかったの……?」
まだサフィが独り残された理由がわかったわけではない。小人達の考えも、まだ完全にはわからない。
でも、ただ裏切ったわけではないことが、サフィには希望だった。
『正しい心と、正しい道具』。
白小人も黒小人も持っていた誇りが、1000年前も保たれていた。それは、サフィもまた彼らの仲間という証左だった。
「……なるほどね。でも、もう遅い」
ヨルの言葉が空間に響く。
サフィは唇をかんだ。
「今更、小人の裏切りがなかったとして――それが何になるというの?」
神々は、小人達を信じなかった。主神はその神々を信じずに、世界を封印で覆った。
そしてサフィもまた、今いる仲間を信じなかった。
だって信頼があれば、独りで来ることはなかったのだから。
太古の兵器も、小人もいる。
だがここに<目覚まし>はいない。
「不信というのは、巡るもの。自分の尾を噛む蛇のようにね」
ヨルは自分の指先を噛んでいるようだ。
「――みんな、ごめん」
結局、アタシも同じだった。
独りで来て、独りで死ぬ。
「やりなさい、スルト。今度こそ、本物の、終末を!」
スルトが拳を振り上げる。まとった炎に、サフィは目を閉じた。
暗闇。
熱はいつまでもこなかった。
こわごわと開けた視界に、不思議なものが映っている。
太陽に似た黄金の光が、空間全体に降り注いでいた。
スルトが振り上げた手をとめ、空中を睨んでいる。
「……聞こえる」
角笛の音。
まだ遠い。でも、鉱山のどこかで、通路のどこかで、あの少年はサフィのために角笛を吹いている。
――サフィ!
そう背中を叩かれたようで、サフィは足に力が入るのを感じた。
「……リオン、あんた」
小人王の声が、赤い宝珠から確かに聞こえる。<目覚まし>の力で、太古の宝珠が蘇ろうとしているのかもしれない。
――こっちへ! 君の魔力を、祝福で……!
鳴り響く角笛。サフィは小人の金鎚を手に、身を起こした。ゴーレムが指差し、ヨルが気づき、スルトが咆哮をあげる。
氷から解き放たれた魔物も、サフィを追うために動き出した。
「まだ、終わりじゃない」
サフィは、手に鍛冶師の鎚を持って、宝珠へと駆け出す。
終末に抗うんだ。





