2-49:決断の価値
アルヴィース・ダンジョンの未踏エリア。小人王様は、石になったままもう話さない。
僕らは教えてもらった壁の前に立つ。
白く息をはきだしてから、両手でそっと冷たい壁に触れた。
「目覚まし……!」
右手で右側の通路を、左手で左側の通路を、それぞれ封印解除する。
石壁が崩れて、現れたのは分れ道だ。
小人王様の言葉どおり、それぞれが、地下と地上へ伸びているのだろう。左側は炎骨スルトが待つ最下層へ向かい、右側は外へと逃れる。
僕達は、選ばないといけない。
「ぼ、僕は……」
迷う。
だって、これは、僕達だけの問題じゃないから。アルヴィースの命運がかかっている。
心は何かを叫んでいた。
小人王様が『檻』といったこと。ボス層に対巨人の罠があったこと。番兵ゴーレムが、巨人に立ち向かったこと。
――小人は、信用できない?
本当に、それでいいの?
サフィがいた国は、本当に、そんなひどい国なの?
「撤退しましょう」
何かを断ち切るような声。フェリクスさんが怜悧な眼差しで順番に僕らを見つめた。
僕、ミアさん、鴉の戦士団、そして最後にサフィ。
小人の鍛冶屋さんに少し視線を置いた後、フェリクスさんは通路へ目を戻す。
「この状況で、小人を信じ切ることは難しい。迷宮はそもそも魔物の巣窟で、今は小人の罠さえ警戒するべき状況です。炎骨スルトがいるのはわかりました。ならば我々は地上に戻り、冒険者と衛兵に準備をさせ、外で攻撃を迎え撃つ方が理に適っているでしょう」
わざわざ罠があるかもしれない場所で戦うのは、愚かだ。
フェリクスさんはそう言っているのかもしれない。
神様も、特にトールも同じことを考えているんだろう。金貨からは何も聞こえては来なかった。
「だ、だけど……」
僕は声を出して、フェリクスさんに言いつのろうとした。
「なんですか?」
見下ろされ、声が出なくなる。フェリクスさんは鴉の戦士団で、ベテランで、神様も何も言わないくらい言葉には筋が通っている。
「そん、な……!」
サフィが口を震わせる。小人の鍛治屋さんの顔は、真っ青だった。
「アタシ、アタシは……!」
「小人の国については、もう十分でしょう」
とりあわないフェリクスさんを、サフィは睨み付けた。
心はまだ叫んでいる。
――信じて!
でも、何を? どっちを?
「…………!」
その問いに答えが出せなくて。
僕は自分の声を、最後まで本当の声にすることはできなかった。
◆
僕達が戻ると、アルヴィースの街は大変な騒ぎになっていた。
迷宮は立ち入り禁止。鉱山ダンジョンと街の間にあったという古い城壁には、すぐに冒険者や兵士が並び、ダンジョンから魔物が出てくる事態に備える。
迷宮から逃げ戻ってきた僕らは、オーディス神殿まで向かい、『鴉の戦士団』という身分を明かした。午後をいっぱい使って、冒険者ギルドに指示を出し、領主にも迷宮の異変を伝える。
王都の東側で起きたような魔物の大侵攻に、備えるためだ。
今、僕がいるのはオーディス神殿だ。
夜がもう更けている。
立ち上がって、窓に近づく。
相変わらず、鉱山が巨大な壁みたいに立ちはだかっていた。入り口まで続くなだらかな上り坂が、神殿の高台からはよく見える。ダンジョンの入り口――かつての宮殿の正門からは、斜面がいきなり急峻になっていた。
月を背負う鉱山の麓に、松明の明かりがたくさん動いている。
『君が、気にすることは何もない。一切、何一つとして』
金貨が震えて、ソラーナの声がした。ルゥが作ってくれたコインケースを手に取り、半分だけ出ている金貨をなでてみる。
『……そう割り切れない、優しい君を、わたしは好きだ』
ソラーナの励ましは、いつもならお日様みたいに心を温かくしてくれる。
でも、今は違った。
胸にぽっかりと穴があいて、どんな言葉をかけられても、ひゅうひゅうと風と一緒に抜けていってしまう。
『あの場では……フェリクスにも、正しさがあった』
「違うんだ」
僕は、口を食いしばった。
「僕……小人王様の部屋から地上に出るとき、下へ――スルト達に立ち向かわないって決めた時……!」
示された選択肢。
彼らを信じて最下層で戦うか、それとも神々を信じて地上に戻るか。
僕は――結局は、神様を信じた。
サフィを、小人を信じなかった。選んだのは『撤退』だった。
「……これでいいのかって思った。サフィが悲しそうだったし、でも未来のことなんてわからないし、僕じゃ決め切れなくて、だから……」
口から、弱い僕が顔を出した。
「少し、ほっとしたんです」
だって、と言葉が口をつく。
「僕の代わりに、神様が決めてくれたから」
夜は静かで、春前のせいか虫の鳴き声さえ聞こえた。
あれほどあった唸り声や、地響きも今はない。
「言いたいこと、聞きたいこと、みんなで話して聞いて考えたいこと、いっぱいあった。でも……言葉、出なかった……」
鉱山が滲む。涙が出たんだろうか。
父さんは、ユミールがいたダンジョンで、仲間と共に立ち向かったっていう。
今なら、改めてその凄さがわかる。『鴉の戦士団』が撤退しかけたというのに、戦い続けたということは――父さんは決断したんだ。
何が正しくて、何をするべきでないか。
冒険者としての芯みたいなものがあって、だから、踏みとどまれたんだ。
『……君は優しい。かといって、トールや、フェリクスの考えもまた正しい』
ソラーナに、僕は城壁で動く松明の群れを見つめた。
彼らは夜は魔物の侵攻に備え、朝になったら迷宮を囲う。そういう、二段構えの、油断ない作戦を取っていた。
「わかってる、けど……!」
窓枠を握りしめる。身に着けたままのガントレットが、月明りに白く輝いていた。
僕は、弱い。
大事な場面で、意思さえ示せなかった。
優しいだけじゃない。
それを貫く強さが欲しくて、僕は女神様に誓いを立てたのに。
ぐっと情けなさをのみこんで、僕は気持ちを過去から引き剥がす。
窓から離れて、衣装箱の上に腰を下ろした。
「……サフィ、大丈夫かな」
今、鴉の戦士団がいる場所でサフィは休んでいるはずだった。
様子を見に行きたい気もするけれど、今は僕の方にも元気がちょっとない。
『わたしも心配だが……』
地上に戻るときのサフィの言葉を思い出す。胸に痛みが走った。
――黒小人と白小人も、変わったって思ったのに。
――一緒に鍛冶作業やるようになって、協力するようになって……。
大昔のアールヴヘイムでは、小人同士の対立はすごく根深かったらしい。一緒に作業をしないほどだったらしいけれども、凍てついた鍛冶場では、白小人も黒小人も同じ場所にいた。
黒小人のサフィも、十鍛冶という称号をもらっていたくらいなんだ。
小人の国も変わってきた――そんな希望が、巨人への裏切りという事実で砕かれてしまったのだろう。
『仕方がないことだと思うけどねぇ』
ロキの声がした。
『……以前も言ったかもしれないが、不信や裏切りは、当時もあった。かくいう僕自身、裏切りを疑われたしねぇ。不信は、神々の間にさえあったということだ』
僕は、涙を払って驚いてしまった。
「ろ、ロキも……?」
『ふふ、魔法の知識を高めるため、各地を旅したことがあってね。小人や、時には巨人とも交流したりした。戦争になるずっとずっと前、その頃は話が通じる巨人もままいたからね……』
金貨から、ロキが苦笑する気配が伝わった。
『リオン、君が悩むように、神々だってちょっとは複雑だってことさ』
うそぶくように言葉を切って、ロキは静かになる。
薬神シグリスの声が追ってきた。
『……ロキは、そう疑われても、旅で得た魔法知識を見せ続けました。西ダンジョンでも、小人に近い技術があったでしょう?』
そう、か。
西ダンジョンの魔法文字や、ボスのアイアン・ゴーレムはロキがそうして得た知識が元になっているのかもしれない。
『疑われたかもしれないけど、僕が旅で身に着けた知識は有用だったからねぇ。一度は、そりゃあ凹んだけど、やり方を貫かせてもらったよ。しぶとく、しなやかにねえ』
貫く、か。
父さんは、きっとこれをすぐに決断した。
僕はまだ迷い続けている。
一度流された後も、ずっと、ずっと。
『……考えるといい』
ソラーナが言った。
『君には、君の強さがある』
ポーチに入った角笛に触れた。父さんから受け継いだ『目覚ましの角笛』に触れる。
落ち着こう。呼吸を整えて、前を向いて。
口に出せなかったことを、一つ一つ頭に思い描いていく。
そうだ、小人王様は、角笛を――
「あ……」
言いかけた時、地面が揺れた。
あちこちでモノが落ちる音。座っていた衣装ケースごと転がりそうで、僕は窓枠に縋りついた。
空に轟音が響き渡る。
鉱山の裏手が――僕らが迷宮から脱出してきた方の出口から、真っ赤な火が昇った。物語で聞いたような、火山の噴火を思い出させた。
『きたか』
トールの声が金貨からする。僕は顎を引いて、コインケースをポケットに、角笛をポーチにしまった。
部屋を飛び出すと、戦士団の女性と鉢合わせる。
「リオンさん……!」
事情を聴いて、僕は真っ青になってしまったと思う。
降りてきた階段をまた駆け上り、僕はある部屋のドアを開けた。
そこには、誰もいない。地震でものが散乱した室内を、開いた窓からやってくる夜風が吹き抜けた。
「……サフィ殿が、飛び出してしまいました」
独りで鉱山に行ったのだと思います。
戦士団の人が、そう教えてくれた。





