2-48:世界蛇
アルヴィース・ダンジョンの秘密坑道で、ガニスは目を見開いた。喉が動き、カエルに似た顔立ちに汗が浮き出てくる。
ぶるりと肥満体を揺らし、声を震わせた。
「下層のゴーレムが全て――破壊された?」
まさかそんな。何かの間違いだ。
必死に現実を否定するが、スキル<人形使い>、能力『ゴーレム・マスター』は無情な現実を伝えていた。坑道のすぐ上に、もうゴーレムの反応はない、と。
「きぃいいい! 馬鹿な、馬鹿な!」
実験用にダンジョン深層に置いてあったゴーレムは、全滅。
新たにダンジョン内に運び込ませたゴーレムは、その冒険者らに追いつけもしなかった。
「まずい、まずいぞ……!」
カエルじみた顔は真っ赤になった後、青ざめる。
「は、速すぎる……! ダンジョン進行が速すぎるっ」
間違いなく、迷宮に潜っている冒険者は腕利きだ。何が『角笛の少年』だ、ただの子供じゃない、恐ろしい力を持っている。
もちろん、深層を進んでいるのが『角笛の少年』だと、ガニスにも確証があるわけではない。
迷宮にどんな冒険者が潜っているかは、この目で見るまでは断定はできないだろう。
だが、状況証拠は揃ってきた。
スキルは、ゴーレムが破壊される寸前の情報を主に伝える。一体は、ガニスでさえ聞いたことがない威力の雷魔法を受けたようだ。ゴーレムを避けた手並みも含めると、もう只の冒険者とは思えない。
少なくとも、もはや坑道に残るのはリスクは高過ぎた。
奴隷商人の女が、ガニスを罰するため迫っている。『商売上手』ラタがとりなしてくれるという希望は、少年を足止めする戦果が前提だった。
ぎょろりとした目で、ガニスは秘密坑道を見渡す。氷に包まれた洞窟は、震えるほど寒い。
それともこれは、恐怖のせいだろうか?
「かくなる上は……逃げるか」
折のよいことに、ラタはすでに姿を消していた。
いつもはピッケル音が続く場所だったが、今は無人である。
ガニスは詳細な指示を下すため、ラタと会った後に鉱山ダンジョンの入り口まで戻っていた。その間に、奴隷達は外へ逃れたのだろう。
もともと坑道には監視用のゴーレムもいたが、『角笛の少年』の追跡に使うため、多くをゴーレム核に戻していた。念のため、冒険者も雇っていたが、奴隷と一緒に逃げ散ったのだと思われる。
思う内にも、天井から魔物に似た唸り声がする。
地震のような揺れが来た。
「……クズどもが逃げ出すはずだ。残っておれば、盾にでもしてやるのだが」
ガニスは舌打ちをして、足早に昇降機へ戻った。
「館へ行って、帳簿を処分しなければ……ここの研究成果は、いっそ諦めるか、いや……」
ぶつぶつ呟くうちに、昇降機が上階に到着する。
出口で待っていた女に、ガニスは腰を抜かした。
「あら、こんにちは」
黒ローブの女。
「ヨ、ヨル……殿……? これは、これは、奇妙なところで……」
「お出かけですかぁ?」
ヨルは薄ら笑いの顔をガニスに近づけた。黒髪が蛇のように縮れ落ちている。
唇をなめる真っ赤な舌と、ガニスの組み合わせは、蛇に見つかった蛙だ。
「どちらへ?」
「あ、こ、これは……」
「どちらへ? この……山蛙」
早すぎる。悪態がこぼれた。
「ら、ラタ、あの男ぉ……!」
ラタのやつ、つい最近、ヨルに知らせたような口ぶりで――実際には、とっくの昔に告げ口済みだったのだろう。
「ふふ、ガニス」
ヨルは白くしなやかな腕でガニスを掴み上げる。恐ろしい力だ。
そのまま昇降機から引きずり出し、壁に叩きつける。
「がっ!?」
「巨人の遺灰を、勝手に使うとは。蛇にも勝る強欲ぶりね」
ガニスは起き上がろうとして、正面の巨顔に気づいた。
奇しくも、ガニスが投げつけられたのは、岩壁に浮き出た巨人の顔のすぐ近くだった。
――オオオ……!
熱された息が、口の隙間から漏れ出てくる。真っ赤な眼球は人の頭ほどもあり、ゆっくりとガニスの姿をとらえ始めた。
ガニスはすがりつくように言う。
「こ、これは、ただの鉱脈ではないのか? ワタシが採掘していたものは……!」
「うふふふふふ。まさかまさか。これは、大昔、このアスガルド王国ができる前にいた巨人が、封じられ、燃え切らず残り、そして氷と土に埋まったものなのよ」
ヨルは愛おしそうな手つきで、岩壁へ浮き出た巨人の顔をなでた。
ガニスよりも一回り大きい巨大な顔は、おそらく2メートル近くあるだろう。直立でもすれば、城壁も一跨ぎできる巨体に違いない。
「氷と、土に……埋もれる?」
ガニスは、地下坑道の風景を思い出す。
ようやく気付いた。
自分が採掘していたものが――この巨人の一部だということに。
――オオオ……!
「ひぃぅっ!」
ガニスは頭を抱えた。許しを請うように。
一人、黒ローブを熱風にはためかせながらも、ヨルだけは楽し気に語り続けた。
「おや? どうやら、『角笛の少年』はずいぶんここに近づいてきているようね」
顔から土と石が剥がれ、赤熱する肌が露になる。通路が暑くなり始めた。
巨人の顔が炎を纏い始めている。
「神々の気配に反応しているわ」
ガニスには、チリチリとローブが縮れる音が聞こえた。火の粉が頬を焼く。
本能が叫んだ。
「炎の、巨人……!?」
ガニスは本当の神話も、『炎の巨人』という種族も知らない。
だが、漏れ出た言葉は正しかった。
「その通り。これは、炎の巨人の王、炎骨スルト」
炎の巨人は、咆哮した。
ヨルが気まぐれに張った魔力の障壁がなければ、ガニスは壁に打ちつけられて絶命していたかもしれない。少なくとも鼓膜は破れていただろう。
「は、は、ははは……ひひひ……」
狂ったように泣き笑いをするガニス。失禁しなかったのは、むしろ頭のどこかが壊れてしまったことを思わせた。
巨人の顔は、ゆっくりと眼球を上へ向ける。
「あら? 来ないのね、そう……」
くく、とヨルは口元に手を当てる。
「賢いというべきか、憶病というべきか。ただ、終わりは待ってはくれないわよぉ」
通路の先、坑道の出口方向から新たな人影がやってくる。
もう一人の奴隷商人、ラタだった。
貴族風の装束が、殺風景な坑道には不似合いだ。周囲の熱にも関わらず、涼し気な顔をしている。
「迷宮は完全な混乱のようだよ」
ラタはにっこりと笑う。人当たりのよさそうな青年だが、三日月形になった薄目が、かえって不気味だった。
細められた目の奥から、金色の瞳が巨顔を見つめた。
「さっきの揺れといい、咆哮といい。この世の終わりだ、なんて声もある。まぁおおむねは正しい」
ラタはヨルに目を向け、口を不満げに曲げた。豊かな栗毛をかきあげて、嘆息している。
「ヨル、あなただけですか? どうも間違いない、『角笛の少年』はここにきてる。裏をかかれたね……」
「ユミール様は来れない。兄の方も、おそらくは来ないでしょう」
あ、とヨルは言い添えた。
「ふふ。兄は、角笛の少年の方じゃないわよ」
クスクス、とヨルは笑う。腰を屈めて、へたり込むガニスに目を合わせた。
「でもね、ガニス。あなたには感謝をしているわぁ、あなたにユミール様がスキル<人形使い>を授けたのは、この地に眠った小人の技術を生かすため。あなたはうまくやった、多少、強欲すぎたけどね」
ヨルの目が光る。
ガニスは短く悲鳴をあげた。
「でも、そうねぇ。せっかく夜まで目覚めが延びたのだもの? ガニス、あなたの力をもう少し借りましょうかぁ」
ガニスの心に、火が生まれた。
天才と呼ばれたい。意のままに力を振るいたい。
平民はおろか貴族さえ領主さえひれ伏す力が欲しい……!
そんな欲望が暴かれ、強められていく。
「スキル<唆し>」
巨人が炎に包まれたように、ガニスの心もまた欲望という炎に包まれた。
「蛇に宿った、唆しの力……ギデオンには要らなかったけれど、あなたには使って差し上げましょう」
ねぇガニス、とヨルは放心するガニスに顔を寄せる。麗しい唇が囁いた。
「もし、この巨人があなたのゴーレムになったら……あなたの技術で強化されたら……あなたは歴史に名を刻むでしょうねぇ」
消えかけたガニスの野心に火が灯った。蛇の唆しを受けて、魔法技師は壊れたように笑う。虚ろな目で立ち上がると、ゆっくりと昇降機へ戻り始めた。
奴隷商人の会話は続いていく。
「さて、スルトは夜にでも目覚めるだろう」
ラタは黒ローブのヨルを見やる。
「スルトの体は、『巨人の遺灰』そのもの。トールもいるようだし……あなたも本来の姿で戦えるのでは?」
ラタはにこりと笑った。
「蛇骨ヨル――神話時代、あなたは世界一大きな蛇だったのだから」
ヨルは肩をすくめて、自分の指先を噛んだ。蛇の大口に、雷神や、少年、そしてその妹を丸呑みすることを夢見て。
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次話は1月17日(月)更新です。





