願い——倉庫の星空の少年
コンビニのガラス扉を押し開けると、自動ドアのベルが鳴った。
レジの後ろに立っていた店員が顔を上げる。彼の眉間には深い皺が刻まれていて、肩の上には拳ほどの大きさの黒い影が蹲っていた。形は枯れ葉のようで、縁がかすかに光っている。
昨夜、カップ麺を食べているときに、私は突然これらのものが見えるようになった。最初は湯気で目が霞んだせいだと思った。しかし今朝、地下鉄の中でネクタイを締めた男の肩にも、潰れた紙コップのような形をした灰色の何かが乗っかっているのを見て、これは幻覚ではないと確信した。
その黒い影は店員の呼吸に合わせてゆっくりと上下する。私はお茶を一本手に取ってレジに向かった。すると影が突然、手のひらほどの大きさに膨れ上がり、歪んだ矢印のような形に変わった。
「……百二十円です」
店員はこめかみを押さえながら言った。指先は力んで白くなっている。
代金を渡そうとして、指先が彼の手に触れた。その瞬間、コンビニが回転しているのが見えた。棚のおにぎりが全て真っ赤に変わり、おでんの格子からは湯が溢れ、冷蔵庫の牛乳瓶が列をなしてタップダンスを踊っている。それらの映像は二秒と経たずに消えた。
店員はしばらく私を見つめていた。彼の瞳には逆さまになった店内と、自分の肩に乗った黒い影が映っている。
「……見えるんですか?」
「見える」
彼はため息をついた。影は米粒ほどの大きさに縮んだ。
「……昨日からなんです。彼女と別れた後で。昨日の昼にメッセージが来て、『合わない』って言われて、それからこの影が出てきて」
店の外で雨が降り出した。ガラス窓に水滴が伝い落ちる。店員はレジを閉めると、ポケットから一枚の硬貨を取り出した。硬貨が照明の下で光る。
「これ、どうやったら消えるんですかね」
店員の声には探るような響きがあった。
私は首を振った。このものが見えるようになってからまだ二十四時間も経っていない。人にどうやって付着するのかも分かっていない。
だが、指先が触れた瞬間に見えた回転する映像は、怨念と感情が関係していることを示唆していた。彼の痛み、彼の悔しさ、それら全てがあの枯れ葉の形をした黒い影に凝縮されているのだ。
「せめて、今はどんな形か教えてくれませんか」
「枯れ葉。でもさっきは矢印だった」
店員は硬貨を私の手のひらに押し込んだ。金属の冷たさが肌に染み込む。
「そうですか……ありがとうございます」
彼は笑った。口元がわずかに上がった。するとその黒い影が彼の肩から滑り落ち、水溜りと化して床の隙間に染み込んでいった。水溜りはタイルの上に広がり、やがて消えた。
コンビニの外では雨が激しく降っていた。傘を広げると、生地が叩かれてドンドンと響く。ガラス扉越しに振り返ると、店員はレジ台を拭いていた。彼の肩は綺麗に空っぽで、普通の人と変わらなかった。
突然、スマホが震えて意識が戻る。画面を開くと、同級生の夏目からのメッセージが届いていた。
【今日の放課後、空いてる?】
彼女のアイコンは狐の面だった。
短く「うん」と返信し、スマホをしまって歩き続ける。
雨の中、街灯の光がアスファルトの上に広がっている。数人の通行人が傘を差して早足で通り過ぎていく。彼らの肩にも様々な形のものが浮かんでいた。スーツを着た女性の肩には青い靄、ランドセルを背負った小学生の頭上には黄色い星が光っている。杖をついた老人の後ろには灰色の長い尾が引きずられていた。
足を速めて、それらを見ないようにした。しかしそれらの形は常に視界の端で揺れ、払いのけられない。
次の交差点に差し掛かったとき、私は立ち止まった。
信号の下に一人の男が立っていた。彼は私と同じ制服を着て、ネクタイは緩く首にかかっている。彼の肩には黒い影はなく、代わりに星空が漂っていた。無数の細かな光点が銀河を成し、彼の周りを回っている。先ほど見たあらゆる悩みよりも、それらの光点は明るく、そして静かだった。
その男は私の隣の席の者だった。本多だ。
本多は信号の柱に寄りかかりながらスマホを覗き込んでいる。親指が画面の上を素早く滑り、光点がその動きに合わせて配列を変える。時に球体に集まり、時に砂粒のように散らばる。彼の周りの星に雨粒が落ちると、それは弾かれた。
「おい」
私が声をかけると、彼は顔を上げた。眼鏡のレンズが雨で曇っている。彼は眼鏡を外し、制服の裾で拭った。銀河もそれに合わせて流れる。
「どうしてここに?」
「雨宿り。家はあっち」
本多が指さした方向は、私の家とは反対だった。
彼の背後の銀河については、あえて触れなかった。あの光点はあまりにも静かで、静かすぎて空気が重くなった。コンビニの店員の肩にあった怨念とは違い、この星空には攻撃性がない。しかし息が詰まる。子供の頃に田舎で見た天の川を思い出させた。夜空を横断するあの川を見上げると、自分が砂粒のように小さく感じられた。今も同じ感覚だ。
青信号に変わった。本多はスマホをしまい、横断歩道を渡る。銀河が彼について移動し、光点が尾を引く。彼の歩調は確かで、一歩ごとに水たまりを踏み、跳ねる水しぶきが街灯の下で輝いた。私はその場に立ち尽くし、彼の背中が雨の幕に消えていくのを見ていた。
その時、またスマホが震えた。夏目からだ。位置情報が送られてきている。旧校舎の三階だった。
旧校舎はとっくに取り壊されるべきで、十年前から危険建物の貼り紙があった。わけが分からなかったが、とにかく向かうことにした。
傘を差して校庭の裏手に回ると、金網柵が一部切り裂かれていて、体を横にして通れるようになっていた。三階へ続く階段は机や椅子が積み重なっていて、剥げた塗装の表面にはカビが生えている。一段上るごとに、足下の板が軋んだ。
そこに着くと、夏目が窓辺に腰掛けていた。白いワンピースに、両脚をぶらぶらと揺らし、足元には赤い長靴を履いている。彼女の肩は空っぽだった。綺麗に空っぽで、この旧校舎には似つかわしくなかった。
「二分遅刻だよ」
私が到着すると、夏目が不満そうに言った。
「雨がひどくて」
短く答えた。
彼女は窓辺から飛び降りた。長靴がバッタンと音を立てて着地する。そして私の前に歩み寄り、ポケットから何かを取り出した。狐の面だった。アイコンと同じものだ。陶器で焼かれたもので、表面には赤と白の漆が塗られている。目元には二つの穴が空いていて、漆の一部は剥がれ落ちて、下の灰褐色の素地が覗いている。
「これ、あげる」
受け取った面を手に取って眺めた。
陶器の手触りはざらついていて、内側には細かな文字が刻まれている。指でその刻みをなぞると、線香の匂いがした。古い本のカビの匂いも混じっている。
「どうしてくれるんだ?」
「君には見えるからだよ。コンビニのことも知ってるし」
どうして彼女が知っているんだ?
私は彼女をじっと見つめた。彼女の口元がわずかに上がっている。コンビニの店員とは違う弧を描いている。窓の外の雨が次第に弱まり、雲の切れ間から日差しが差し込んできた。それが彼女の肩に当たるが、影ができない。
待て、彼女の足元にも影がない。
「気づいた? 教えてあげるよ。私は妖怪なんだ。正確に言うと、半妖だ」
彼女は宿題の話をするように淡々と言った。私は狐の面を握りしめ、陶器の表面に手汗が滲む。日差しが彼女の体を貫き、地面には薄い灰色の影だけが残っている。
「……半妖って何だ?」
「人間と妖怪の子供だよ。血が混ざっているから、固定した姿を持たない。でも本来見えないものが見えるんだ。怨念とか、星の光とか」
彼女は窓の方を向いた。日差しが彼女の顔に明暗の境目を描く。
「じゃあ……本多の背中のあの星の光は何なんだ?」
無数の細かな光点が銀河を成している。その光景が気になって仕方なかった。
夏目が振り返り、私を見る。彼女の瞳は日差しの中で少し色が薄くなっていた。
「あれ? そうだね……願いだよ」
「願い?」
「そう、誰かに忘れられた願い。人々は願い事をして、その後忘れてしまう。そうやって捨てられた願いが、願った本人に付着して、いろんな形になるんだ」
彼女は私の手から狐の面を取ると、窓の前に掲げた。日差しが面の目の穴を抜けて、床に二つの光の輪を落とす。それから顔の前に掲げ、自分の顔に面を合わせるようにした。
「本多が忘れた願いって何だ?」
彼女はすぐに答えなかった。代わりに面を自分の顔に当てた。
陶器の面が肌に触れた瞬間、彼女の輪郭がぼやけ始めた。次の瞬間には、私の背後に立っていた。吐息が首筋に触れる。
「それは君自身が聞くことだよ。僕は怨念しか見えないから。願いは違う。星の光が見える人間にしか読めないんだ」
彼女が面を外すと、輪郭が再びはっきりとした。窓の外では雨が完全に止み、日差しが旧校舎に満ちている。光の柱の中で埃が舞い、ゆっくりと昇り、また落ちていく。
「どうして僕を助けるんだ?」
彼女にそう尋ねた。
夏目は微笑み、面を私の手に押し戻した。彼女の指先が肌に触れたとき、私は少し身を震わせた。冷たかったからだ。
「君が人を探すのを手伝ってくれるからだよ。もう十年も前に死んだ人を」




