依頼——旧校舎の半妖狐
その夜、私は狐の面をつけて鏡の前に立った。
陶器が額と頬骨に貼りつき、冷たさが肌に染み込む。鏡の中の自分の目元は真っ暗な穴だった。首を動かすと、面が肌を擦ってかすかに軋む。
面の内側の刻みが淡く光り始めた。文字が表面に浮かび上がり、一列に並ぶ。
「願いは呼吸の瞬間に現れる」
その文字を読み終えて、私は面を外した。
部屋は静かで、エアコンの低い唸りだけが聞こえる。窓の外の街灯が斜めに差し込み、床に菱形の明かりの斑を作っている。面を机の上に置き、スタンドの台座に寄りかからせると、陶器の表面にはまだわずかな温もりが残っていた。
スマホが震える。本多からだった。
【明日の数学のノート、借りられる?】
【いいよ】
【今日、交差点で君を見かけたけど。傘持ってなかった?】
信号の下に立っていた彼の姿を思い出す。銀河が彼の周りを回っていた。あの光点は無数の言葉にならない言葉のように見えた。それらの光点の配列は何かを語っているようだったが、私には読めなかった。全く知らない文字のようだった。
【持ってた】
【そっか】
会話が終わった。
画面が自動的に暗くなるまで、私はそれを見つめていた。
本多はこれまで願い事について口にしたことがなかった。「宇宙飛行士になりたい」といった子供じみた発言すらしない。彼はいつも簡潔で、刈り込み過ぎた盆栽よりも簡潔だった。しかしあの星の光が何もないところから現れるはずがない。彼が忘れた過去のどこかから来ているに違いない。
翌日、学校に着くと本多はもう席に座っていた。教科書を開き、蛍光ペンで重要な箇所に線を引いている。窓の外で雀が電線に止まって鳴いている。雀の肩には何もなかった。鳥には見えないのかもしれない。私は隣に座った。彼は顔を上げなかったが、線を引く手が一瞬止まった。
「ノート」
彼は私の方を見もせずに言った。
ノートを差し出そうとして、同時に異変に気づいた。昨日とは違う。彼の肩から星の光が消えている。代わりに小さな靄の塊があった。灰白色で、くしゃくしゃに揉まれたティッシュのような形だ。靄は彼の肩の上でゆっくりと揺れ、縁が時折細い糸のように広がる。
「昨日どこに行ってたんだ?」
「家」
「雨宿りの後?」
彼はようやく顔を上げて私を見た。レンズの奥の目は濃い茶色で、何か機嫌が悪そうに見えた。
「気にしてるの?」
「いや」
彼はノートを返し、再び線を引き始める。靄が彼の肩の上でゆっくりと回転し、一周するごとに少しずつ縮んでいく。
こっそりと彼の横顔を観察した。唇が強く結ばれ、顎のラインが張っている。何かを堪えているように見えた。
休み時間に夏目が教室の前を通りかかった。彼女は私にウインクを送り、白いワンピースは制服に変わり、赤い長靴も黒い革靴になっていた。肩は相変わらず空っぽだった。本多の席を通り過ぎる時、彼女は一瞬立ち止まり、灰白色の靄を一瞥してから、何事もなかったように通り過ぎていった。
本多が顔を上げて彼女を見た。
「あの女生徒、一年C組だ」
彼の言葉に私は少し驚いた。
「知ってるのか?」
「いや」
そう言うと彼はすぐに課題に取り掛かり、ペン先が紙の上でさらさらと音を立てる。彼はこれ以上話したくなさそうだったので、私もそれ以上は尋ねなかった。
放課後、私は旧校舎へ向かった。夏目は三階の窓辺に座っていて、手にノートを持っていた。表紙は赤く、白い紐で縛られている。表紙には濃い色の染みがあり、指紋のような形をしていた。
「本多の願いは何だったんだ?」
「分からない。今日は彼の背中の星の光が靄に変わってた」
夏目がノートを開いた。紙は黄ばみ、端は枯れ葉のように巻いている。ページには青いインクで几帳面な字が書かれている。日付は十年前の秋だ。
「十年前、この学校に一人の男生徒がいたんだ。三階の美術室で一枚の絵を描いたんだよ。夜空の絵だ」
彼女はあるページを開き、そこに貼られた写真を見せた。写真の少年は旧型の制服を着て、イーゼルの前に立ち、微笑んでいる。彼の肩には何もなかった。少年の顔立ちは夏目に似ていた。特に目の形が。
「彼は僕の兄だ」
「半妖?」
「違う、人間だよ。彼は願い事をして、その願いを絵の中に描き込んだ。残念ながら、その後彼は死んでしまった。絵は倉庫にしまわれたけど、願いはその場に残った」
「じゃあ本多の背中の星の光は……」
「彼がその絵にうっかり触れてしまったんだ。願いが彼に移ってしまった」
彼女はノートを閉じ、目を伏せた。
窓の外で風が吹き始めた。誰かの嘆きのように聞こえる。旧校舎の窓はしっかり閉まっておらず、キーキーと音を立てている。
「あの絵を探して、願いを絵の中に戻してほしい」
夏目が立ち上がり、ノートを私に差し出した。彼女の指は表紙の上で一瞬止まった。
「どうして?」
「だって願いの主は僕の兄だから。彼は十年も前に死んだんだ。もう安らかにしてあげたい」
私はノートを受け取った。赤い表紙は少し熱かった。中を開くと、写真の他に手描きの地図があった。倉庫の場所、美術室への経路、そして赤い丸で印がつけられた地点が記されている。地図は細かく描かれていて、階段の曲がり角に窓がいくつあるかまで書かれていた。字はノートの中の文字と同じで、彼女の兄が描いたものに違いない。
「これは何だ?」
私は赤い丸を指して尋ねた。
「願いの核だよ。絵を手に入れたら、狐の面をこの赤い丸の場所に置いてほしい」
彼女の声は凪いだ水面のように静かだった。しかし彼女の指が震えているのが分かった。関節が白くなっている。彼女は窓の外を見つめていて、私の方を見ていない。呼吸も普段より浅い。
「どうして君が自分でやらないんだ?」
ノートを閉じて顔を上げ、彼女に尋ねた。
「僕は半妖だから。あの絵に近づくと、願いに飲み込まれてしまうんだ。願いは妖怪にとって魅力的なものだから、自分を抑えられずにそれを食べてしまうかもしれない。そうなったら、願いは完全に消えてしまう」
彼女は私を見た。夕暮れの中で瞳がかすかに光っている。
私はノートと面をしまい、旧校舎を出た。校舎の窓に明かりが灯り、整然と並んでいる。
本多が校門から出てきた。肩にリュックを背負い、灰白色の靄が彼の周りを揺れている。靄は肩から背中にかけて広がり、波打つように動いている。
彼は私を見て立ち止まった。
「……一緒に帰る?」
彼がそう尋ねてきたので、私はうなずいた。
私たちは並んで校門を出た。街灯が影を伸ばしたり縮めたりする。彼の靄がこちらに漂い、手の甲に触れた。温かい感触に少し戸惑った。怨念の冷たさとは違い、願いの触感はいつも温かい。
「変な匂いがするよ」
本多が顔を向けて言った。
「どんな匂い?」
「段ボールと線香。神社の倉庫みたいな」
彼は眼鏡を押し上げながら、私の体に染みついた匂いを表現した。
私は何も言わなかった。彼の言う通りかもしれない。彼の靄はさらに濃くなり、横顔がかすんで見えた。その灰色の中に、ぼんやりとした輪郭が浮かんだ。筆を持った少年の横顔だ。その輪郭は一瞬だけ現れて、また靄に飲み込まれた。




