第7話 海へ、そして新たな価値
ラウゼンを発った私たちは、そのまま南西へと進路を取った。
目指すは港町――ベルンハイム。
王国でも有数の貿易港であり、各国の船が集まる場所だ。
「海ですわね」
「海ね!」
セレスティナが身を乗り出す。
遠くに見える青い水平線。
潮の香りが、かすかに風に混じり始めている。
「……少しはしゃぎすぎではないか」
ルシアンが呆れたように言う。
「だって久しぶりなのよ?」
「お前は毎回そう言っている気がするが」
軽口を交わしながら、馬車はゆっくりと港町へと入っていく。
◇
ベルンハイムは、ラウゼンとはまるで違う空気を持っていた。
潮風。
船の軋む音。
荷を運ぶ人々の掛け声。
そして。
どこか張り詰めた、独特の緊張感。
「……少し、様子が違いますわね」
「ええ」
イシュレルが静かに頷く。
「ここは“外”に最も近い場所ですから」
外。
つまり――他国。
「公国独立の影響が、一番早く出る場所でもある」
ルシアンの言葉に、私は軽く頷いた。
確かに。
ここは情報と物資の交差点。
変化が出ないはずがない。
◇
「……やはり、そうですか」
宿に荷を置いた後、私たちは港の様子を見に来ていた。
そこで耳にしたのは、予想通りの話。
「公国側の船が、すでに専用の荷揚げ区画を確保しているらしい」
ルシアンが低く告げる。
「王国とは別枠、完全な独立運用だ」
「動きが早いですわね」
「早いというより」
彼は少しだけ言葉を選んだ。
「準備されていた、と言うべきだろうな」
……でしょうね。
お父様ですもの。
◇
「おや」
そのとき、背後から声がかかった。
「これは、見覚えのあるお顔だ」
振り返ると、そこにいたのは一人の壮年の男。
仕立ての良い外套に、落ち着いた佇まい。
ただの商人ではない。
「失礼。私はマルクス・ヴァンデル」
軽く一礼する。
「この港を拠点とする商会の一つを預かっております」
「アリアベル・フォン・エーヴェルハルトですわ」
名乗ると、男の目がわずかに細められた。
「やはり」
静かな確信。
「公王陛下のご息女にお会いできるとは、光栄です」
「ただの旅人ですわ」
「……それは、さすがに通りませんな」
苦笑。
だがその視線には、明確な評価があった。
「すでにこの港では、公国が“新たな中心”として認識されております」
「中心、ですの?」
「ええ」
彼は海の方へ視線を向けた。
「商人にとって最も重要なのは、安定と信用。そして流通です」
一拍。
「それを、すべて押さえたのが公王陛下です」
淡々とした言葉。
だが、その意味は重い。
「王国は?」
ルシアンが問う。
「“通過点”に格下げですな」
即答だった。
「いまや主導権は完全に公国側にあります。船も、資金も、人も、そちらへ流れている」
私は静かにそれを聞く。
……なるほど。
◇
「そして」
マルクスは、再び私へと視線を戻した。
「その公王のご息女であるあなた様は」
一瞬、言葉を区切る。
「各国にとって、“直接交渉可能な窓口”として見られております」
「まあ」
「もちろん、正式な外交ではありません」
微笑む。
「ですが、それに近い価値は持っておられる」
……評価が過大ですわね。
「ただ旅をしているだけですのに」
「それでも、です」
即答。
「血統、教育、実績。そして何より」
彼はわずかに声を落とした。
「この短期間での評価の広がり」
周囲の空気が、わずかに変わる。
「あなた様は、すでに“選ばれる存在”です」
……また、その言い方。
どこかで聞いたような気がしますわね。
◇
「……ねえ」
セレスティナが小声で言う。
「完全に立場、変わってるわよね」
「そうかしら」
「そうよ」
呆れたように笑う。
「王都にいた頃とは別世界じゃない」
「そうかもしれませんわね」
私は海を見た。
広がる水平線。
その先には、まだ見ぬ国々。
「でも」
軽く息をつく。
「やることは変わりませんわ」
「というと?」
「――楽しむことですわ」
それだけ。
難しいことではない。
けれど。
「……やはり、規格外だな」
ルシアンが呟く。
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
そのとき。
「次の船が出ます」
カイルが告げる。
「どちらへ向かわれますか」
私は少しだけ考えた。
そして。
「――さらに外へ」
静かに言った。
「王国の外を、もっと見てみたいですわ」
その言葉に、全員がわずかに息を呑む。
だがすぐに、笑みが広がった。
誰もが理解している。
この旅は、ただの旅ではない。
そして。
その中心にいる少女は。
――すでに、世界に選ばれ始めているのだと。




