第4話 失ってから気づいても、もう遅い
同じ頃。
王都――王城。
「……ご説明いただけますか。これは、どういう状況なのかしら」
静かに響いたその声に、執務室の空気が張り詰めた。
声の主は、王妃。
その視線の先には、顔色を失った王太子レオルドと、数名の重臣たちが並んでいる。
「西方からの補給が停止しております」
宰相が一歩進み出て告げた。
声音に揺らぎはない。ただ事実を述べているだけの冷静さが、かえって場を凍らせる。
「停止、ですって?」
「はい、陛下。エーヴェルハルト公爵領より、王国に対する軍需物資および食料供給を停止する旨、正式な通達が届いております」
沈黙が落ちる。
王太子がようやく口を開く。
「そ、そんなもの、すぐに撤回させればよいではないか」
宰相は即座に視線を向けた。
「恐れながら、撤回を命じる権限はもはや王家にはございません」
「……何だと?」
「エーヴェルハルト公爵家は、昨日の時点で王家との信義が失われたものと判断し、独立の意思を明示しております。ゆえに、王国からの命令を受ける法的根拠も、政治的義務も失われました」
抑揚のない言い方だった。
それだけに、現実の重みがそのまま響く。
「……レオルド」
王妃はゆっくりと王太子へ視線を向けた。
「あなたは、昨日のあの場で、どなたに何をしたのか――まさか、本当に理解していなかったのではないでしょうね?」
「は、母上……私はただ、あの女との婚約を――」
「あの女、ではありません」
王妃の声は静かだった。
「エーヴェルハルト公爵家嫡女、アリアベル嬢です。あなたの婚約者であり、この国の未来を支えるはずだった方を、そのように呼ぶのはおやめなさい」
王太子の喉がひくりと鳴る。
「ですが、母上! あれは公爵家が勝手に騒ぎ立てているだけで――」
「勝手に、とは申されませんな」
宰相が言葉を継いだ。
「エーヴェルハルト公爵領は、西方防衛の要衝にして、王国軍兵站の中核を担う土地です。加えて穀倉地帯を抱え、主要交易路の管理にも深く関与しております。そこが離脱するということは、王国の軍事、経済、流通の三要素に同時に空隙が生じるということに他なりません」
王太子は目を見開く。
宰相は、淡々と続けた。
「念のため申し添えますが、これは単発的な報復措置ではございません」
一拍。
「――体系的に設計された経済遮断でございます」
室内の空気が、さらに冷え込む。
「まず軍事面。王国軍に対する兵站供給は全面停止。軍馬、武具、補修資材の供給も同様に遮断されております」
書面が一枚、めくられる。
「次に食料。西方穀倉地帯からの出荷は停止され、市場価格はすでに上昇傾向。備蓄の一部は国外へ流通しているとの報告もございます」
「……まさか」
「さらに物流。西方交易路は再編され、公国の許可なき通行は制限されております。現時点で実質的な封鎖状態と認識すべきかと」
王太子の顔が、目に見えて青ざめていく。
「金融面も深刻でございます」
宰相は視線を上げない。
「王国向け信用供与はすべて停止。主要商会は王国通貨での取引を避け、公国発行の手形へ移行を開始しております」
「そ、そんな……」
「最後に人材」
冷静な声が続く。
「技術者、商人、学者の一部がすでに公国側へ移動。流出は今後さらに加速する見込みでございます」
沈黙。
完全な沈黙。
「……以上でございます」
宰相は書面を閉じた。
「本件は一時的混乱ではなく、長期的影響を前提とした国家単位の遮断行為と判断されます」
それは、結論だった。
「お答えなさい」
王妃が静かに言う。
「あなたは、自分が何を失ったのか、理解していますの?」
王太子は答えられない。
「わたくしは以前より申し上げてきたはずです。王族の婚姻は、感情で扱うものではないと」
「……っ」
「それをあなたは、踏みにじった」
宰相が最後に淡々と付言する。
「なお、アリアベル嬢は殿下の失言の多くを裏で修正し、貴族間の調整および対外関係の維持にも関与しておられました」
王太子が顔を上げる。
「……何を、言っている」
「殿下が王太子として体裁を保てていた要因の一部が、同嬢にあったということでございます」
沈黙。
そして。
「失ってから価値に気づくなど、愚か者のすることですわ、レオルド」
王妃のその一言が、すべてを断じた。




