第3話 最初の目的地と、ささやかな一件
出発の日。
王都の西門には、朝から妙な人だかりができていた。
「……やはり、こうなりますのね」
私は馬車の窓から外を眺め、小さく息をついた。
視線の先には、ざわめく貴族や市民たち。
昨日の一件が広まらないはずもなく、物見高い者たちが集まっているのだろう。
「見送りというより、野次馬ね」
隣に座るセレスティナが苦笑する。
「仕方ありませんわ。あれだけのことがありましたもの」
婚約破棄。
公爵家の独立宣言。
どちらか一つでも大事件だというのに、両方同時に起きたのだ。
注目されない方が不自然だ。
「気にする必要はない」
馬車の外から、ルシアンの声がした。
「連中は“何かが起きる”のを期待しているだけだ。何も起きなければ、勝手に散る」
「まあ」
「だから堂々としていればいい」
――言われるまでもありませんわ。
私は軽く笑い、背もたれに体を預けた。
やがて馬車は静かに動き出す。
王都の門を抜け、石畳の道を進み、やがて視界が開けた。
広がるのは、なだらかな丘陵と農地。
そして、その先へと続く街道。
「……ようやく、ですわね」
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
これからは、誰にも縛られない。
そう思うと、不思議と足取りまで軽く感じられた。
◇
最初の目的地に選んだのは、西方へ三日の距離にある中規模都市――ラウゼン。
交易の中継地として栄え、旅人や商人の往来が多い街だ。
「まずは足慣らし、というところかしら」
「足慣らしにしては、随分と賑やかな場所を選んだな」
ルシアンが肩をすくめる。
「賑やかな方が、見ていて飽きませんもの」
実際、街の中央広場は活気に満ちていた。
露店が並び、人々の声が飛び交い、どこを見ても色とりどり。
……けれど。
「少し、騒がしいですわね」
広場の一角に、人だかりができている。
怒号が混じっているあたり、あまり穏やかな状況ではなさそうだ。
「面倒ごとの匂いがするな」
ルシアンが眉をひそめる。
「関わらないのが無難だろう」
そう言いながらも、全員の視線が自然と私に向く。
……本当に、どうしてかしら。
「少しだけ、様子を見ましょう」
私は人混みの方へと足を向けた。
◇
「だから言ってるだろうが! この荷は今日中に運ばなきゃならねぇんだ!」
「それはこちらの台詞だ! 契約では昨日のうちに引き渡されているはずだろう!」
中心で言い争っていたのは、二人の男。
一人は荷運びの商人。
もう一人は、この街の商会の責任者らしい。
周囲には積み上げられた木箱。
そして、それを取り囲むように人々が集まっている。
「何が問題なのかしら」
私が近くにいた女性に声をかけると、彼女は驚いたようにこちらを見た。
「え、あ、はい……どうやら荷の受け渡しで揉めているようで……」
「受け渡し?」
「本来は昨日のうちに終わるはずだったそうなんですけど、運搬が遅れて……でも商会側は“契約違反だ”って」
なるほど。
視線を移す。
木箱には、穀物と書かれている。
この時期に遅れれば、確かに損害は出るだろう。
だが。
「おかしいですわね」
「何がだ?」
いつの間にか隣に来ていたルシアンが問う。
「荷は揃っているのに、受け取りを拒否している」
「……確かに」
普通なら、遅延分の違約金などで調整すれば済む話だ。
それを全面拒否しているのは不自然。
「ねえ、あの箱」
セレスティナが指差す。
「いくつかだけ、印が違わない?」
言われて見れば、確かに一部の箱だけ刻印が微妙に違う。
「混入、ですわね」
「混入?」
「ええ。おそらく途中で別の荷が紛れ込んでいますわ」
それも、意図的に。
私は一歩前に出る。
「少しよろしいかしら」
突然割って入った私に、二人の男が同時に振り向いた。
「なんだ、あんたは――」
「その荷ですが」
私は静かに言葉を続ける。
「一部、刻印の異なる箱が混ざっておりますわ。そちらを確認なさった方がよろしいのではなくて?」
沈黙。
そして次の瞬間、商会側の男が慌てて箱に駆け寄る。
「……本当だ。刻印が違う……!」
「な、何だと!?」
運搬の男も顔色を変えた。
「この箱だけ、中身も違う可能性がありますわ」
蓋を開けると、中から出てきたのは穀物ではなく、別の加工品。
「……これは」
商会の男が息を呑む。
「契約外の品ですわね」
「つまり」
ルシアンが小さく呟く。
「どこかで荷がすり替えられたか、意図的に混ぜられたか」
「ええ」
私は頷いた。
「このままでは、どちらか一方の責任では済みませんもの」
周囲がざわめく。
さきほどまでの怒号は消え、代わりに状況を理解しようとする空気に変わっていた。
「……あんた、何者だ」
運搬の男が低く問う。
「ただの旅人ですわ」
私は微笑む。
「ですけれど、問題は単純です。混入分を除いた上で再確認し、責任の所在を調べればよろしいのではなくて?」
しばらくの沈黙の後。
「……その通りだな」
商会の男が頷いた。
「こちらも感情的になりすぎていた」
「……悪かった」
運搬の男も頭を掻く。
問題は、ひとまず収まった。
◇
「……ねえ、アリアベル」
広場を離れながら、セレスティナが呆れたように言う。
「何であれだけで分かるの?」
「何となくですわ」
「絶対違うでしょ」
「違わないわ」
私は軽く笑った。
ただ、見て、考えただけ。
それだけのこと。
「……やっぱり厄介だな」
ルシアンが小さく呟く。
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
そのとき。
「お嬢様」
カイルが静かに告げる。
「先ほどの商会の者が、礼を申し上げたいと」
「まあ」
振り返ると、先ほどの男たちがこちらへ駆け寄ってきていた。
「本当に助かりました!」
「危うく大損するところだった……!」
深々と頭を下げられる。
周囲の視線も、先ほどとは明らかに違っていた。
好奇と、尊敬。
そして――興味。
「お気になさらず」
私は軽く首を振る。
「ただの通りすがりですもの」
その言葉に、なぜか周囲のざわめきが少し大きくなった。
……不思議ですわね。
私は何も特別なことはしていないのに。
けれど。
「――やっぱり」
セレスティナが楽しそうに笑う。
「あなたの旅、面白くなりそうね」
「そうかしら」
「ええ、間違いなく」
私は小さく息をつき、空を見上げた。
まだ始まったばかり。
けれど。
どうやらこの旅は、思っていたよりずっと賑やかで、退屈しないものになりそうだった。




