第33話 刃が届かない理由
夜。
南方交易都市の外縁。
闇に紛れ、一人の男が立っていた。
黒装束。
気配を消す技量。
そして。
確実に仕留めるための、刃。
「……標的確認」
低い声。
視線の先には、灯りの残る宿。
そこにいる。
アリアベル。
今回の任務。
それは単純だった。
排除。
ただ、それだけ。
理由は問われない。
問う必要もない。
「近づく」
足音はない。
呼吸も殺す。
完璧な侵入。
それができる実力がある。
だから選ばれた。
屋根へ。
音もなく跳躍する。
視界が開ける。
窓。
灯り。
影。
そこにいる。
確実に。
「――仕留める」
刃を握る。
その瞬間。
ふと。
視界に入った。
窓越しに。
少女の姿。
ただ座っているだけ。
何もしていない。
ただ。
そこにいる。
それだけ。
なのに。
「……なぜだ」
足が止まる。
違和感。
説明できない何か。
胸の奥に、引っかかる。
「……おかしい」
任務は単純だ。
接近。
排除。
離脱。
それだけ。
それだけのはずなのに。
視線が逸らせない。
少女が、こちらを見る。
気づかれた。
そのはずなのに。
騒がない。
叫ばない。
ただ。
穏やかに、目が合う。
その瞬間。
思考が、止まった。
「……何だ、これは」
刃が、動かない。
動かせない。
敵だ。
排除対象だ。
そう認識している。
なのに。
踏み込めない。
「……違う」
無意識に、言葉が漏れる。
これは。
敵ではない。
そういう“何か”ではない。
「……あり得ない」
否定する。
だが。
身体が拒否する。
刃を向けることを。
その存在に。
「……これは」
理解する。
遅すぎる理解。
「……信仰か」
どこかで聞いた言葉。
理解できなかった概念。
それが、いま。
目の前にある。
理屈ではない。
理性でもない。
ただ。
“そう感じる”。
それだけで。
すべてが書き換わる。
「……撤退」
決断は早かった。
それ以上、近づけない。
近づいてはいけない。
そう、本能が告げている。
男は静かに後退する。
音もなく。
気配も消して。
だが。
その心は、すでに崩れていた。
◇
室内。
「……今の、何かしら」
私は小さく首を傾げた。
「気配がありました」
アルヴェインが即答する。
すでに窓際に立っている。
「ですが」
一拍。
「去りました」
「そうですの?」
「はい」
「……追わないのですか?」
「不要です」
即答だった。
「脅威ではありません」
◇
「……そう」
私は特に気にせず、視線を戻す。
ただの夜。
ただの時間。
何も変わらない。
◇
その頃。
闇の中で。
男は膝をついていた。
「……何だったんだ」
震える手。
刃が、握れない。
「……違う」
敵ではない。
殺す対象ではない。
「……あれは」
一拍。
言葉が出る。
否定できない言葉。
「……触れてはならない」
それが結論だった。
任務は失敗。
だが。
それ以上に。
何かが終わった。
◇
翌日。
その報告は、各国に伝わる。
そして。
評価が、さらに一段階変わる。
暗殺者ですら、刃を向けられない存在。
それが何を意味するか。
理解できる者ほど。
深く、恐れた。
少女は知らない。
ただそこにいるだけで。
世界から“拒絶される対象”になりつつあることを。




